iroha 20

いろは 20



---------------------------------------------------------------第二十弾 目次
CONTENTS 20
■巻頭言
■駒場寮1999→2000
■明渡裁判報告
■6・28裁判報告
■祭りと宴会の記憶 80年代寮祭企画史
■寮祭シンポ報告
■文学に描かれたる駒場寮 正伝
■BOSS選 選対名研究--序
■寮経験アンケート
■発電機カンパ募集中 寮委員長からの要請全文
■お知らせ

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駒場寮経験をつなぐ討論紙     2000/01/30  投稿歓迎

    い
            は
        ろ                         【20】

    編集/発行   駒場寮存続を支援する会
    連絡先  東京都目黒区駒場3-8-1東大駒場寮北9S
    電話    ***-***-****,***-***-****
            **-****-****(呼)
    代表    成瀬 豊(95,99期寮委員長)
    WEB版   http://www.longtail.co.jp/iroha/
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巻頭言


 巻頭言としてふさわしいのかどうかわからないが、一つの寓話めいた話を紹介したいと思う。
 あるところに殺人事件の被告がいた。仮に名を駒田亮としておこう。彼は全くの無実の身でありながら、ふとした手続き上の行き違いで殺人の実行犯とされてしまったのであった。もちろん彼は法廷で自分の無実を主張した。また事件の経緯が明らかになるにつれて、彼の無実は疑いの余地がないように見えてきた。そのときである。検察は突然次のようなことを言い出した。「確かに彼は殺人行為に関しては無実であるかもしれない。しかしながら、そもそも彼は生きるに値する人間なのでしょうか。私はそうは思わない。もしそうでないというならば、被告は自分が生きるに値する立派な人間だということを、我々を含めたすべての国民に対して、納得できる説明を行うべきである。それができないかぎり、被告の死罪は免れない。彼が実際に殺人行為を行ったかどうかなどという問題は、ささいな手続き上の問題に過ぎないのである。」
 裁判官もこの検察側の主張を認めた。突然、自分が生きるに値する人間であることを万人に対して立証するという、極めて困難な事業を遂行する羽目になった駒田氏は、それでも精いっぱいの努力をした。また、もともと町内の人気者であった彼には、署名などの支援活動をしてくれる大勢の人々がいた。だが結果は非情なものであった。裁判官は結局、駒田氏は生きるに値する人間ではないとして、求刑通り死刑を言い渡したのであった。こうして無実の駒田氏は哀れ処刑台の露と消えたのであった。
 この話を読んで皆さんどう思いますか。私はとってもひどい話だと思います。なお駒田亮氏の本名は駒場寮といい、住所は東京都目黒区駒場3-8-1だそうです。今からでも遅くないから、彼の味方になりたい方は早速励ましの御手紙を出しましょう。(文責・K)
36枚看を立てる寮生たち

■駒場寮1999→2000


10・24寮委員長選挙。新寮委員長が信任される。
10・266. 28裁判の口頭弁論(関連記事を参照)。
11・2学部当局に対し、「話し合い解決を求める署名」と要望書(1. 電気・ガス供給の再開。2. 裁判の取り下げ、話し合い解決。3. ガードマンなどを用いた暴力的取り壊し工事を行わない。4. 廃寮計画の取り止めと、学生との合意に基づいたキャンパス作り=「4項目」)を提出。後日課長補佐から要望書には回答しない旨の通告がある。
11・7寮問題公開学習会。80年代、90年代の寮委員長が講師に。
11・11代議員大会。寮に関する議案はすべて可決。

1. 学生自治会正副委員長・駒場寮自治会・学友会学生理事会共同提案「東大教養学部当局は学生・寮生との合意なく、一方的に駒場寮の「廃寮」を決定し、強行的におし進めてきました。学部当局に対して、駒場寮「廃寮」計画をいったん取りやめ、学生との合意にもとづくキャンパスづくりを行うことを求めよう。<行動提起>(1)多くのクラスでクラスアピールをあげ、学生の意思を学部当局に示そう。(2)この主文に関して学生投票を行い、学生の総意を学部当局に示そう」賛成42、反対0。

2. 駒場寮委員会・学生自治会正副委員長提案「駒場寮問題に関して、以下の4項目を学部当局に対して求めよう。(1)駒場寮への電気・ガスの供給を再開すること。(2)大学自治を踏みにじる駒場寮「明け渡し」裁判を取り下げ、駒場寮問題を話し合いによって解決すること。(3)ガードマンによる実力排除や警察力などを用いた、暴力的「取り壊し」工事を二度と行わないこと。(4)学生・寮生との合意のない、駒場寮「廃寮」計画をいったんとりやめ、学生との合意にもとづくキャンパスづくりを行うこと」賛成41、反対0。

3. 駒場寮における安全確保のための緊急提案(駒場寮委員会・学生自治会正副委員長)「駒場寮生の生活と、クラス・サークルの活動における安全を確保するため、学部当局に対して以下のことを直ちに行うよう求めよう。(1)現在、消えたままになっている、北寮全体および中寮の一部の非常灯を修復すること。(2)現在故障している、中寮西半分などの火災報知器を修復すること。(3)緊急時の通路を遮断するなど問題の多い、駒場寮を三方から囲んでいるフェンスを撤去すること」賛成42、反対0。(委任数は481。)

11月上旬パンフ『駒場寮「廃寮」の不当性解説集』『駒場寮の意義についての我々の見解』を作製。北寮前やクラスでまく。
11・18定例教授会に抗議行動。教授会では、一高同窓会が2001年度から活動を停止することになったという報告がある。
11・19〜23秋の寮祭。北寮前ステージには去年に続き36枚の大看板。「廃寮粉祭」の大文字の下、多数の企画を敢行。学部の廃寮攻撃・寮自治会の反対運動を知らせる写真展示とビデオ上映、北朝鮮食料支援バザーや寮内リサイクル、ドキュメンタリー映画上映会「教えられなかった戦争−フィリピン編」他、演劇「震える手もて幽かな灯を」(ぶ「て」企画)、ライブ(寮生ギター大会、廃人ズ)、文理研公開学習会「オウムに人権はないのか」、駒寮写真館、恒例のカフェ、コマバー、カラオケ。来客参加企画は、麻雀、大コックリさん大会、KART Fighter大会、人生相談、無料受験相談会。食べ物はチャーハン、カレー、焼き鳥、たこ焼き、焼き肉、焼き餅、芋煮、ビールと盛り沢山。目玉は、北中寮代表の鉄人が北寮前ステージで実演した料理対決。寮委員長らが審査員になり、ジャスミンティーのソースをかけた茶わん蒸し、ゆで鳥のにんじんソースかけ中華風、ラタピーユ(トマトベースでナスやキャベツなどの野菜を煮たイタリア料理)などの凝ったメニューを堪能した。22日には国立大学の独立行政法人化を考えるシンポジウム(関連記事を参照)。学部は寮祭に対して警告文を掲示。
11・26明渡裁判の口頭弁論(関連記事を参照)。地裁前でビラまき。
12・3寮オリエンテーション実行委員会が発足し、新入寮生募集の準備を開始。
12・6学部による文書「学生の皆さんへ 99(2)−旧駒場寮の廃寮とキャンパスの将来計画−」が学生に配られる。廃寮決定を正当化し、将来構想=CCCL計画にとって寮が障害だという主張。デマに反論するビラをまく。
12・10明渡裁判の証人尋問第一回(関連記事を参照)。地裁前でビラまき。
12・13寮委員会主催の公開学習会「大学再編と学寮政策」。講師は80年代の寮OB。
12・13〜17代議員大会決定を受けた学生投票。寮に関する提案は賛成多数で批准される。10月下旬からクラス入り、ビラまき、立て看製作、北寮・正門前宣伝を積極的に行った結果が実る。明渡裁判を取り下げ話し合い解決を求めるクラスアピールは14クラスから上がる。国立大学の独立行政法人化に反対する提案も批准される。

主文「東大教養学部当局は学生・寮生との合意なく、一方的に駒場寮の「廃寮」を決定し、強行的におし進めてきました。学部当局に対して、駒場寮「廃寮」計画をいったん取りやめ、学生との合意にもとづくキャンパスづくりを行うことを求めよう」投票総数4115、賛成2343、反対1341、白票431。

主文「学費の値上げにつながり、学問の自由を脅かす国立大学の独立行政法人化に反対しよう」投票総数4121、賛成3129、反対658、白票334。

12・16定例教授会。「明渡裁判で和解勧告が出たらどうするのか」という教官の質問に対し、学部長が「大学の主張が認められるという前提で訴訟をすすめているので、和解勧告は想定していない。和解勧告が出たら、そのときに考える」と答弁。
12・18寮祭と学生投票の打ち上げコンパ。
12・20学生投票の結果を受けて、北寮前で共同記者会見。
12・21明渡裁判の証人尋問第二回(関連記事を参照)。地裁前でビラまき。
12月下旬「明け渡し」訴訟における公正な判断を求める署名集めを開始。冬休みに入り、他大の学寮に寮生を派遣、情報交換と交流。多数の寮生が帰省。
12・31有志で年越しそば。
2000年
1・1有志で雑煮。
1・4地裁・大蔵省・文部省の前でビラまき。
1・116. 28裁判の口頭弁論(関連記事を参照)。
1・17学部当局に対し、学生自治会・寮自治会と学部長との団体交渉を申し入れる。
1・20定例教授会。「明渡し執行となった場合、またガードマンを導入するのか」という教官の質問に対し、永野学部長特別補佐が「ガードマンの導入はできれば避けたいというのは教員に共通の考えだろう。が、次回も執行官からガードマンを入れるように要請があることはありうる」と回答。抗議行動とビラまき。
1・25廃寮計画をいったん取り止めるよう求める提案が学生投票で批准されたことに対し、浅野攝郎教養学部長が東大新聞に見解を表明。駒場寮の廃寮を前提にした三鷹国際学生宿舎建設計画は正当な手続きを経ている、廃寮という前提を覆すことは社会通念上ありえないという従来からの立場が変わることはないと回答。

◯駒場寮明渡裁判


次回:3月3日(金)11:00 東京地裁民事615号法廷


証人尋問の傍聴に向かう(撮影:寮生)

11月26日 口頭弁論

寮側:代理人が準備書面8の要旨を陳述。
  1. 寮がサークルやクラスの活動に果たしてきた役割に対する学部の認識は不十分である。
  2. CCCL計画は廃寮を目的とした具体性のないものだ。
  3. 原告が主張するような、不法占拠をしている学外者は存在しない。
  4. 建物はまだ耐久性がある。
  5. 試算ではその維持費は、学部が雇ったガードマンの費用より安い。
  6. 跡地計画は寮周辺の自然環境を破壊するおそれがある。 よって原告の主張は権利濫用だ。
あとは次回の証人尋問の日程を確認して終わった。


12月10日 証人尋問第一回
傍聴者:約70人(外に人があふれた)

 N・Yさんは、寮生時代に体験した負担区分問題について詳細かつ明晰に証言し、80年代まで一貫して大学は駒場寮の自治を認めていたこと、実態としても寮の管理・運営は寮自治会によって担われていたことを明らかにした。最後に寮についての思いを熱く語り、傍聴者の胸を打った。
 寮生Sさんは、大学による廃寮決定手続きの不当性、大学が寮に対して行ってきた違法かつ不当な暴力行為について静かな怒りをこめて証言し、学生にとって現在でも駒場寮は大きな価値・役割を持つことを明らかにした。学部の卑劣な行為が次々に述べられていくと、永野三郎教授が原告席で顔をこわばらせてうつむくのが見られた。


第1部 証人:N・Y(元・駒場寮委員長/都寮連副委員長)

尋問要旨 
■寮側代理人による尋問 

84年の負担区分合意書の経緯について


 わたしは81年から84年3月まで在寮し、寮委員長、寮委員などとして学部との交渉に出席した。
 81年の入寮当時、駒場寮は照明倍化・電気容量3倍化の要求を大学にしていた。教養学部当局はそれを実現するには負担区分問題を解決しなければいけないと主張し、この段階で負担区分はすでに問題化していた。

【負担区分問題の発端】
 64年、文部省から大学に、「学寮における経費の負担区分について」なる文書が通達された(=負担区分通達 2.18通達)。が、わたしの入寮時の東大では、水道・電気は大学が全額負担し、燃料費の一部を寮が負担していて、実際は通達の通りではなかった。
 79年に会計検査院から、駒場寮の水光熱費の負担区分について「予算の適正な執行でない」と東大に指摘があり、総長は当事者である寮生の意見を一切聞かないまま「できるだけ早期に実施・努力する」と回答していた。このことが82年に教養学部当局から寮生に知らされ、問題になった。
 82年1月に寮自治会と団体交渉がもたれ、学部は負担区分通達について以下のように確認した。
  1. 負担区分通達は遺憾(理由=1.全国一津の基準を機械的に適用するもの、2.大学自治になじまない、3.受益者負担主義により寮生の負担が増える)。
  2. 駒場寮の負担区分は、その特殊性にそって合理的に定める。
  3. 概算要求を伴う要求事項については、負担区分問題解決後、すみやかに実現するよう双方が努力する。
  4. 今後文部省の新たな介入があれば、双方で協議して対処する。
【負担区分問題の再燃と解決】
 ところが学部当局は、83年5月に文部省から、今年中に通達通り負担区分を実施せよと強く指導され、大学・学生寮個別に具体的な対応方針を指示されると、82年の確認事項とは反する早急な要求をするようになった。学部当局は文部省の指導のもと、寮自治会にさまざまな圧力を加えてきたが、最終的には84年春に、82年の確認事項の立場に立ち戻り、それにそった内容で合意文書(=84合意書)が作られ、負担区分問題は解決した。

【84合意書】
 84合意書では、寮生は水光熱費の一部を駒場寮独自の(つまり負担区分通達にそわない)基準に基づいて負担する旨が記されており、合意書の付属確認事項でその解説がなされている。
  1. 「従来からの大学自治の原則」とは、68-69年の東大闘争での10項目確認書を指す。
  2. 「寮自治の慣行」とは、教養学部と寮自治会との取り決め・合意に基づいて寮自治会が寮の管理運営を行うことを指す。
  3. 「第八委員会は、事前に大学の諸機関に反映するよう努力する」とは、発端になった79年の会計検査院に対する総長の回答のようなことをくり返さないための予防措置。ここは当局と大きな議論をしたところ。草案では「総長の公的な意志表明」とあったが、大学の意志表明は総長に限らないため、行政官庁と大学の職員・事務官との折衝も含められるようにと「大学の公的な意志表明」となった。草案での「事前に寮生の意見を充分に把握・検討して」は、寮生の意見は聞いたが反映させる時間がなかったとなってはまずいということで、「事前に大学の諸機関に反映」になった。実際、84年の概算要求事項(案)は、83年秋に当局から寮委員会が受け取っている。照明倍化・電気容量3倍化の要求に対し、大学が努力をしているという根拠として寮に開示したのだ。これは第3項の具体的な事例。
  4. 「新入寮生募集停止の措置を望むものではない」。学部は、通達の実施を83年末までにせよという文部省にしたがって、さもなくば新入寮生募集を停止するという脅迫をした。これに対する謝罪と反省の意味が込められている。今後、文部省から新々寮化攻撃や廃寮攻撃があった場合、新入寮生募集停止のような措置は取らないという意志表明だ。
【学部当局の寮に対する考え】
 文部省のいう「新々寮」(=学生寮の建て替えを認める条件)、1.全室個室、2.食堂なし、3.管理運営責任の明確化、4.負担区分の明確化(=寮生が水光熱費を負担)について。83年当時の第八委員長・藤本先生、第八委員の西川先生、菊池先生、84年学部長の小出先生、評議員・青柳先生らは、「新々寮は東大にはなじまないもの。負担区分の明確化は寮生の勉学の機会を減らすもの。入退寮選考は自治の経験になる」と言っていた。
 当局は83年に文書や交渉の席で「駒場寮は、柱、壁がしっかりした建物なので、改修すれば2、30年は使える」と言っていた。当局に寮の改修・長期使用の意思があることを示す84年の資料もある。また、84年9月ごろ、菊池昌典教授は「電気・照明はちゃんと要求している。今後も引き続き寮の改修をやっていく」とわたしに語った。87年には浴室移設の合意が結ばれており、大学は寮を長期使用するつもりだったことがわかる。87年の向ヶ岡寮のパーティでも、有馬総長から「浴室を今度見に行く。大事に使ってくれ」と言われた。
 そうした経緯から考えると、事前に寮に情報を開示せず意見も聞かない今回の廃寮決定は、全く予想だにできないことだと思う。

【寮自治会による管理運営】
 寮の管理運営は、ずっと寮自治会が行っていた。
 寄宿寮規約に寮運営の規定があり、寮自治会は、総代会・寮委員会・懲罰委員会という三権分立の諸機関を設置している。これは名目でなく実質的に機能していた。

◯入寮選考
 入寮選考・退寮の決定については、方法・発表の手続きが寮規約に記されている。
 管理部内規に基づき、学生課の掲示板に入寮募集の掲示をさせ、また、募集案内と入寮願書を東京大学が新入生に配布する書類に入れさせていた。大学も新入寮生の募集に協力していたのだ。入寮願書は寮委員会が提出先であり、学部に届け出たり学部から許可証をもらうなどといったことはありえなかった。
 寮生の異動については、毎月初めに入退寮者を学生課に届けるという事後的な報告のみ。学部が直接入寮を許可したり退寮させたりということはありえなかった。

◯入寮許可証問題
 64年に文部省が、学寮を管理運営する規則(=○管規)を作り、各大学に行政指導をした。
 これをきっかけに「入寮許可証問題」が起こる。それまでは、寮が入寮選考後、白紙の入寮許可証を大学から受け取っていた。このやり方は○管規に反するので、学部長が新入寮生個々人に直接入寮許可証を発行し、かわりに寮籍表を受け取るという形に改めたいと学部は要求。紛争になり、寮と学部との交渉の結果、66年の最終案では「矢内原方式」(入寮内定者名簿と引き換えに白紙の入寮許可証を寮が受け取る=一括承認)の慣行を守ることで決着した。
 わたしの在寮時には、届け出はもっと簡略化され、入寮許可証すらなかったし大学への寮籍表の提出もなかった。東大闘争を経て、意味がないからということで廃止されたと聞いている。

◯寮で働く職員の雇用
 寮務室で電話番をしたり郵便物の整理をしたりする寮フさんの採用に当たっては、寮生の意見・希望が尊重された。人事権は学部にあるが、働く場は寮だから。後任者の雇用も、寮生の提案を受けて決めることが確認されていた。
 寮食堂の経営も寮が実際に行っていた。81年3月まで食事部が、炊フさんとの賃金交渉・雇用の形態・メニュー設定・食材の調達・食券の管理などを行っていた。
 寮生のアルバイトであるボイラーマンは、寮委員会が雇い、学部と寮委員会が形式的に契約をすることにより賃金は学部から支払われていた。
 教職員の寮内立ち入りには、事前連絡が必要だった。
 このように、寮委員会がほぼ全面的に寮を管理していたのだ。

【最後に】
  1. 学生寮の意義はわたしの在寮当時と今も変わらない。  19から20歳くらいの学生にとって、共同生活というのは非常に重要で、わたしの場合もそうだった。立花隆ゼミのインタビューでも答えたことだが、寮に入ったのは、わたしにとっては「第二の誕生日」であると思う。寮の中では、生活していく上で、いろいろな意見の違う人、気にくわない人とも共同しなければいけない。そういう人と協力して共同性を養っていくことは、今も今後も変わらない、寮という共同生活の意義だと思う。
  2. 廃寮問題が起きた91年以前と91年以後の駒場寮生には大きな違いがあると、当事者たちと接して思う。  わたしも含めた91年以前の寮OBには、大学や理性というものに対する信頼があり、理性にそって大学と交渉し合意を見たことは実現されるんだという確信に近いものがあった。それに対し、大学当局・教養学部当局は、今回の問題の過程で、寮との約束を一切反故にするやり方をしてきたため、91年以後の寮生からは、大学当局への非常に大きな不信、さらには人間不信を感じる。91年以後、累計で数百人の寮生を送りだしているが、東京大学が教育機関を名乗るなら、こういうやり方をしていっていいのだろうか。
  3. 裁判所にお願いしたいのは、国有財産法などいろいろな法律が問題になっているが、個々の条文のみにとらわれることなく、それぞれの立法趣旨を考えていただきたいということだ。大学の自治、大学と寮自治会とのいろいろな合意・取り決めを尊重して判断をしてくださるようお願いしたい。
■国側代理人による尋問
−(84合意書の)確認事項にある「寮生活に重大なかかわりを持つ問題について大学の公的な意志表明があるときは…」、これは概算要求なども含む趣旨だと証言されたが、84年に概算要求案を受領されて以降も、関連する概算要求がなされる度に寮自治会に対してそれが示されてきたのか。


その後ずっとかどうかはわからないが、少なくとも数回は示されたと聞いている。具体的には、照明倍化、電気容量3倍化、各部屋のドア・窓枠の改修費用の概算要求だと記憶している。

裁判長:最後に述べられた3つの項目は、それはそれで理解した。が、廃寮に異議を唱える中で、一番大事だと裁判所に考えてほしいことは何なのか*。一言で言うと何になるのか。大学の自治と言ってもそれ自体固定不変なものではないはずだし、とすると何を考えてくれということなのか。

固定不変でないと言われたが、それぞれの時代に即した大学自治はあると思う。それを踏まえてもなお、やはり現在の駒場寮廃寮のあり方は、大学の自治にそぐわないやり方で進められていると思う。

*この裁判長の質問は解釈の別れるところ。法律的に意味のある主張としては何を言いたいのかとも読めるし、最後に主張した3つの事柄の中でとくに何を言いたいのかとも読める。


第2部 証人:Sさん(寮委員長を3期務め、現在寮委員)

■寮側代理人による尋問
廃寮決定の不当性、学部の違法行為、寮の価値・意義について

【91.10.9教授会での廃寮決定】

 駒場寮の廃寮決定は、91年10月9日の臨時教授会で、三鷹国際学生宿舎建設とセットという形で、学生・寮生との相談なく、突然決められた。学生・寮生は、決定直後に噂として聞き、至急、事実確認のため原田義也・教養学部長に公開質問状を提出した。その結果、三鷹寮と駒場寮を廃寮にして三鷹に国際学生宿舎を建設する計画が決定したこと、三鷹国際学生宿舎特別委員会(永野三郎教授が委員長)を設置することがわかった。
 10月15日の評議会で計画は承認され、17日に「21世紀の学生宿舎を目指して」が発表された。

【10.9教授会決定以前】
 10月9日の教授会決定以前には、廃寮計画が存在するという説明は一切なかった。
 7月の定例学部交渉(年2回)のときは、寮の建て替えや新寮の建設について具体的な計画はないという説明だった。その裏で東大当局は、三鷹に国際学生宿舎を建設する計画を立て、概算要求をしていた。計画を隠したまま進め、学生・寮生をだましていたのだ。

【総代会・代議員大会/学部当局】
 11月11日の寮総代会で、話し合いが不十分だから予算請求を1年待て、駒場寮の廃寮を前提とするなという決議を上げた。代議員大会でも同様の決議が上がり、寮、学生のいずれも廃寮反対の意思を明確に示した。
 学部当局はそれに誠実に対応しなかった。11月20日の学部交渉で永野教授は、「強い反対は見られないので計画は実行する」「ここで止めると東大のメンツを失う」と発言。
 92年2月24日の学部当局との交渉では、「駒場寮という学寮は不要。廃寮は予算獲得の道具」だと発言した。

【学部当局の問題点】
◯廃寮決定の手続きは、84合意書・69東大確認書に違反している。東大確認書に明記されている全構成員自治を尊重せず、学生に隠したまま計画を決定した。寮生の意見を十分に把握検討するどころか、計画の存在すら知らされなかった点で、84合意書にも違反している。

◯数百回にわたる話し合いを行ってきたと大学当局は言っているが、10月9日の教授会決定以前には、寮生との話し合いは1度もなかった。決定後の話し合いは、廃寮を前提にして寮生に押しつけるもので、廃寮の是非は議題にならず、とても話し合いと呼べるものではなかった。

◯教養学部の多数の学生の意思
 93、94年と教養学部生がストライキを行った。95年2月には学生投票が行われ、駒場寮の存続を求める趣旨の主文が約4000人(7割以上)の賛成で批准された。数千筆の署名を学部当局に提出。学生は毎年継続的に反対の意思を表明してきた。

◯学部当局の対応・暴力
 学部は多数の学生の意思を無視し、95年度以降の入寮募集停止を通達。95年には廃寮通告、96年3月には廃寮宣言を強行した。96年以降は、寮生を追い出すためにさまざまな嫌がらせ、暴力行為を行ってきた。96年4月には、電気・ガスを突然停止。教官の集団(いわゆる説得隊)が多勢でたびたび寮に押しかけ、寮生に圧力をかけた。なかには住人に平手打ちをする、窓ガラスを割るなどの乱暴狼藉を働く者もいた。
 96年6月3日、寮食堂から電気を引いていた電気コードリールを50個盗んでいった。これはいまだに返却されていない。
 97年3月、明渡断行仮処分によって明寮は明渡しを強制されて取り壊された。この仮処分の審理中、各債務者あてに教養学部長名で、「執行費用(総額約1億円以上)の支払いのため将来の就職後の給料が差し押さえられる可能性もある」という脅しの文書が郵送され、審理中には不適当な行為だとして裁判所から注意を受けた。
 97年6月28日、北寮裏の工事を強行、ガードマン数百名を雇って、なぐる、けるの暴力によって学生を排除した。
 98年9月、南ホールの火災の混乱に乗じて、南ホールへの電気供給を停止。南ホールから電気を引いて急場をしのでいた寮生は、その後半年間電気のない生活を強いられた。
 99年1月、ガードマン数百名を雇って北南ホールを包囲、北南ホールの取り壊しを強行した。
 96年4月以降、寮生個人や親にまで恫喝文書を郵送。また、寮生であるというだけの理由で教室の貸し出しを拒否するいやがらせも行った。
 こうしたさまざまな卑劣な行為は、廃寮に熱心な学部執行部と三鷹特別委の人間が中心になって行われた。

◯学部当局を批判する教官の存在
 教授のなかには執行部の方針に批判的な意見も多く聞かれた。小川晴久教授、高橋宗五助教授は今回の裁判で陳述書を出されている。96年4月の電気・ガス停止に対し、教養学部の教職員組合は抗議声明を発表した。
 97年5月の教授会で、廃寮に批判的な三教官から解決に向けた提案が出された。1.CCCL計画を見直す、2.駒場寮地区に学生と院生が自主的に活動できる空間を作る、3.学生と院生が話し合いに参加できる条件を保障する、4.募金活動の用意があることという内容。三鷹特別委がとりあえず検討することになったと聞いた。この提案は、駒場寮問題を学内の話し合いで解決していこうというものであり、評価できる。わたしたち駒場寮生が学内での話し合い解決を望む気持ちは今も変わらない。

【寮の管理/運営】
◯寮生が居住する部屋を決める手続き
 寮生は、入寮願いを寮委員会に提出し許可をもらう。年2回、同室願いを寮委員会に提出し、居住する部屋を決める。
 寮委員会は寮全体を管理している。個々の寮生は自分の居住する部屋だけを管理している。
 入寮に当たっては、自主規律三原則を守ることを誓約させている。よって不法滞在はない。

◯すでに退寮した者などの占有認定
(省略) 

【駒場寮の存在意義】
◯入寮の動機
 実家から通学に片道2時間ちょっとかかる。勉強のほかにアルバイトもしたいので大学の近くに住みたい。が、家庭が裕福なわけでもないので駒場寮なら金銭的にも大丈夫だと入寮した。

◯経済面の意義
 寮生は経済的困窮者が多い。寮委員会が寮生に行ったアンケート調査の結果では、寮生の約3割は家庭からの仕送りをもらっていない。一方で教育費の負担も増えている。現在、入学金、授業料合わせて約75万。今年度から国立大学の授業料にスライド制も導入された。
 それゆえ、入寮しなければ学生を続けられない者がいる。親がリストラされた者や、4人兄弟だった者など。貧しいから大学で学ぶことができない者に、教育を受ける権利、教育の機会均等が保障されるべき。そのために駒場寮の果たす役割は大きい。

◯自治活動の場
 キャンパス内にあるため、昔からクラスのたまり場の役割をしてきた。学園祭の準備でもたくさんのクラスがクラスルームを利用している。
 サークル活動の場としても重要な役割を果たしている。時間の制約なしに活動できるので、実験で忙しい理系の学生やアルバイトをしなければならない学生にとって必要性が高い。7000人の全学生に対して、今サークルスペースは足りないから、駒場寮は大きな役割を果たしている。
 勉強だけでなく、クラス、サークルの自主的活動を通して成長していくことも学生にとって必要だ。

◯相部屋の共同生活の意義
 他人と共同生活をするのは初めてだった。様々な価値観をもった人が集まっていて、共に生活をしながら率直に意見をぶつけ合い議論している。いろんな人の考えを知ることができたし、人間的にも成長したと思う。これは一生の財産。共同生活は非常に意義のあるものだ。

◯三鷹国際学生宿舎
 三鷹国際学生宿舎は、全室が個室なので交流が非常に少ない。共同生活で得られるものがないので、駒場寮の代替にはならない。
  
◯自治
 駒場寮は自治寮で、管理運営は昔から寮生自身が行ってきた。多くの寮生みんなが納得できるように、共同スペースの掃除から大学との交渉に臨む方針まで、寮内で議論を十分に尽くして民主的に決定してきた。その実践のなかで民主主義の大切さを学ぶことができた。
 入寮選考権を寮自治会が持っていることは、教育の機会均等を保障する上で必要。三鷹国際学生宿舎では親の収入で機械的に選考で落とされた者が、駒場寮では個別の事情を考慮してもらい入寮できたという例がある。自治寮ではそういう柔軟な対応ができる。

◯敷地周辺の豊かな自然
 寮の周辺には、メタセコイアなど非常に多くの貴重な樹木ある。この豊かな自然を全部壊す廃寮計画は、自然環境の保護の点でも問題がある。たぬきやオオサンショウウオが住んでいるという話を聞いたことがある。

【まとめ】
 大学当局は寮生・学生に事前に一切相談しなかった。合意書、確認書に違反し、民主主義を踏みにじって一方的に決定を行った。
 対して、駒場寮は、教育の機会均等の保障、学生の自主的活動の場、共同生活からかけがえのないいろいろなものを得られる、などの非常に大事な役割を果たしている。
 大学当局は暴力的・非人道的手段をとって駒場寮をつぶそうとしてきた。これは決して許されないことだと思う。
 わたし自身にとって、多くの学生にとって駒場寮は必要。わたしだけでなく、多くの学生が駒場寮の存続を求め、廃寮に反対している。

−[加藤弁護士]95年以降は自主入寮募集をしているわけだが、寮委員会はきちっと審査をしているんですね。

はい。

−どの時点でだれがどの部屋にいるか、寮委員会では把握していると。

はい。

−寮委員会がきちっとした審査をしないでだれでも住みたい人はどうぞというようなことは一度もやったことはないですね。

そのようなことはありません。

−[中西弁護士]電気は現代生活ではライフラインだと思うが、学部に電気を止められたとき、完全にもうバチンと消えて真っ暗になったわけですか。

はい。真っ暗になりました。

−「学生の皆さんへ」という文書で当局は、CCCL計画が進まないので居残っている学生には悪いけど止めたと言っている。皆さんはこれをどう受け止めましたか。

とんでもない文書で、自分たちのひどい行いを棚に上げて、よくこんなことが言えるなあと思ったのを覚えています。

−CCCL計画も、学生自治会や寮委員会に事前に話があって進められたものではないですね。

そうですね。突然提示されたものだと思います。

−さきほど学部が話し合いに応じるなら話し合う気はあると言いましたが、寮自治会全体でもそういう意向なんですか。

はい。話し合いという形での解決を求めています。

■国側代理人による尋問の部
−寮自治の主体はだれだと考えていますか。


寮生一人ひとりが主体であり、全寮生によって構成される寮自治会が組織として寮自治を担っていると思います。

−本郷生、女子学生の入寮許可はいつからか。

女子学生は95年から。本郷生は正式な寮生とは異なる。

−それは寄宿寮規約を改正したのか。

いや、本郷生については新たな規定を定めたと記憶しています。

−入寮を許可すべきものは教養学部に在学中の男子に限ると規約にあるが。

男子に限るという点については改正した。

−女子や本郷生を受け入れるようにした理由は?

女子については、学内にある施設を男子学生だけが利用できるのはおかしい、女子にも平等の権利があると考え、議論を経て決定した。

−本郷生については、なぜ?

今すぐには思い出せません。

−入ってくる人がいなくなったので、埋めるためにほかの人も入れるようにしたのではないんですか?

女子学生については男女平等の観点からです。

−[加藤弁護士]本郷生は総代会や各種選挙の議決権を持っておらず、従来の寮生と違った扱いをしているんじゃないですか。

はい、そうです。

−本郷生が寮にいるのは言わば緊急避難的措置で、だから別な規定にしたと聞いていますが。

そうですね。

−寮委員とか総代会を構成する人は教養学部の学生であることに変わりはないんでしょう。

はい、そうです。

裁判長:駒場寮の中で、そこを一つの象徴にして、自治とか、かけがえのないいろんな価値を育むものとかが行われてきた、それを残せと訴えているわけですね。

はい、そうです。

裁判長:この先、どんなふうなこととしてそれを考えているのか。いつまでも続くわけはないのだから。

50年、60年は持つ頑丈な建物だから、今の建物を残していけばよいのですが、逆に50年、60年たって、今の建物が使えなくなったら、別の建物でその役割を代替していけばよいと思います。

裁判長:今聞いているのは、50年、60年後にはどうするつもりかということを聞いているわけですよ。そんなにかけがえのないものなら、どうやってそれを維持していくのかということも当然ディスカッションしているはずですからね。50年や100年なんて短いんだから。

そうですね。今の建物が使えなくなるときが来たら、そういう役割を果たしうる建物を造って、継承、維持していくことにするのがよいと思います。

裁判長:今の場所にですか。

それは50年なり60年後の学生が、大学側と話し合って一番よい場所に決めればよいと思います。


12月21日 証人尋問第二回

傍聴者:約70人(希望者多数のため抽選になった)

 永野三郎・学部長特別補佐に対し、国側代理人による主尋問が約30分、寮側代理人による反対尋問が1時間30分にわたって行なわれた。主尋問の部で永野は、駒場寮廃寮の手続き上の正当性を主張した上で、寮自治否定論を悪びれることもなく述べたてた。反対尋問の部では、寮側弁護団が駒場寮廃寮計画の実態、すなわちそれが寮生・学生との話し合いはおろか、教授会内部での議論さえなしに、文部省の意向に沿って進められた実態、あるいはキャンパス再開発計画が三鷹計画の予算化を受けた後ででっちあげられた代物である事実を明らかにして、計画の手続き的瑕疵、駒場寮廃寮の不要性を示そうとしたが、永野は「知る立場にない」と逃げを打つか、さもなくば「必要なプロセスは踏んだ」との強弁を繰り返すかに終始した。永野のこうした答弁は、藤村啓・裁判長の援護射撃に助けられた側面も大きい。また永野は、許しがたいことに、学部の交渉呼びかけを寮の側が蹴ったなどという明らかな虚偽も述べたて、傍聴者の怒りをかった。

証人:永野三郎 学部長特別補佐(元・三鷹特別委委員長)

尋問要旨
 [三鷹国際学生宿舎を以下〈三鷹〉と略記]

■国側代理人による尋問の部
【廃寮計画のプロセス】
−91年に臨時教授会で〈三鷹〉計画が提案され、異議なく承認され、工事の進行に伴って駒場寮廃寮が決まったということか。


教授会での提案は基本方針の提案であって、その線で行くかどうかは学生との話し合いによる。92年夏に予算の示達があり、その時点で駒場寮廃寮は決まった。

−予算の内示があればもう引き返せないということではないのか。

そうではない。内示があった後でも、具体的な設計プロセス等々を大学が踏まなければ予算はつかない。具体的には我々は次のようなプロセスを踏んだ。(1)91年10月に学生向け文書「21世紀の学生宿舎をめざして」を発表。(2)同年10月24日に公開説明会を開催。(3)同年11月14日、28日に学部交渉を開催。(4)同年12月にアンケートを実施。この四段階をへて〈三鷹〉計画推進を決めた。

−(2)の場で強い反対はなかったのか。

主観は入るが、なかったと思う。(3)について言えば、学生側は11項目の要求を提出した。うち8項目については合意したが、3項目については合意にいたらなかった。すなわち、(イ)〈三鷹〉計画を進めよ、但し駒場寮を廃寮にするな 、 (ロ)全構成員自治の立場に立って学生との合意ができるまで着工するな、 (ハ)その条件を満たすまで予算請求するな、の三つ。それに対する大学の見方は、(イ)については、〈三鷹〉をつくるからには駒場寮は廃寮以外ありえない。(ロ)(ハ)については、予算システムから言って、「今年はけっこう」とは言えない。計画が中止になってしまう。翌年も予算がつくとは限らないから。全体としては、〈三鷹〉をつくってくれという要求もあったから、強い反対はなかった。

−アンケートで学生の強い反対があればどうしたか。

中止、見直しをしたはず。アンケート結果は12月20日頃出た[から時期的には中止できた]。

【寮の管理実態】
−駒場寮の管理責任者は? 補修営繕は誰が行なっていたか。電気・ガス・水道等の費用は誰が負担していたか。ゴミは誰が処分していたか。


管理責任者は学部長。補修営繕は学生課を通じて行なっていた。電気代等も学生課を通じて大学の費用でまかなっていた。ゴミも大学が費用を出して業者を雇っていた。

−寮内に滞在する者について全く学生の管理に委ねていたのか。

違う。不適切な事例があれば、第八委を通じて指導していた。例えば90年、退学した者が寮内にとどまっていて指導したことがあると聞いている。

−寮に自治権は……

ないと考えている。学生が自治を進めていく、それについて大学は可能な限り尊重する。しかしそれは治外法権を認めるとか、管理権を認めるといったことではない。

■寮側代理人による尋問の部
【廃寮決定のプロセス】
−[尾林弁護士]91年10月9日の教授会決定以前に、自治の主体に説明していなかったことは認めるか。


教授会でまず決定しないことには、学生に説明すべきことはない。

−教養学部が廃寮について初めて検討したのはいつか。

知る立場にない。

−91年7月に学部交渉があったことは知っているか。その時、どういう説明をしたか。

その時点では具体的計画にはいたっていなかった。具体的計画段階にいたれば学生にも説明する。具体的とは予算がつくということだから、嘘はついていない。

−その時点で具体化していなかったものが、その後すぐ8月に具体化したと?

予算システムを考えればそういうことはある。つまり8月に、文部省から大蔵省に持っていかれることがわかったということだ。

−3月の概算要求の時点で既に廃寮は前提だったのか。

そうだ。

−ならなぜ7月の学部交渉のとき隠していたのか。

予算がつく前に言っても仕方がないから言わなかった。わいわい騒がれると……

−わいわい騒ぐとはどういうことか。

予算がつくなど具体化すれば話し合うと先ほども申し上げたので、計画が全くなく具体化していない段階のことをおっしゃっているんだろうと私は理解します。私は現場にいなかったからニュアンスは聞いていないが。

−前回の証人尋問で成瀬証人は、概算要求段階から学生自治団体に説明し意見を求めるならわしになっていたと証言した。84年当時の運用実態と91年7〜9月の実態は全く異なっていたということか。

そんなことは知らない。

−概算要求をするというのは、明らかに84合意書に言う「大学の公的な意思表明」にあたるはずだ。

概算要求を必ず見せるとは[合意書には]書いていない。
[裁判長が助け船を出す]事実としての確認が大前提だから……

−[概算要求の扱いについて]確認していないのか。

していない。

【寮自治の否定】
−91年10月9日教授会に提起された方針案には、「食堂は付設しない」「入退寮の選考は大学側が行なう」と書いてある。成瀬証人は、駒場寮には入退寮選考の権限があったと証言したが、あなたの認識は?


寮生の決定を最大限尊重するということでしかない。それに家計というプライヴァシーを学生が調べるのは不適切。我々は透明な選考基準をつくることにした。プライヴァシー尊重は時代の風潮だ。

−駒場寮がプライヴァシーを侵害していたか。

そうは言わないが、守秘義務を負わない学生が見るのはよくない。

−91年10月9日以前にそういうことを学生と議論したか。

いや。

【「大きな反対はなかった」】
−11月12日の駒場寮総代会、11月17日の教養学部自治会代議員で反対決議が可決されている。学生自治団体が民主的最高意思決定機関でそういう決議をしているにもかかわらず、大きな反対はないと言うのはなぜ。


一方で〈三鷹〉を建ててくれという要求もある。〈三鷹〉への声がある以上、駒寮廃寮反対は強くない。両者は両立しえない。

−大きな反対はなかった、とは言えないだろう。

学生から聞かれて、無期限ストが延々続くといった事態があればと答えた。様々なプロセスをへて大多数の賛成はあった。

−アンケートでは駒場寮廃寮自体については聞いていませんね。

いない。〈三鷹〉をつくり、駒寮をつぶす計画全体について聞いている。一体だから切り離せない。

−強い反対の票が出るのを避けたのではないのか。

そんなことはない。一体計画全体について聞いている。

−入退寮の件についても聞いていない。なぜ。

聞くまでもなく、大学が行なうべきと考えていたから。

−教授会決定があっても計画の撤回は可能だったと言うが、それはいつまでのことか。

内示が91年12月末、示達が92年夏、その時点で予算は確定している。

−廃寮の是非自体について考え直す余地があると交渉の席では言っていないようですね。むしろメンツに関わるから撤回できないというようなことを言っているが。

様々な方々の努力の賜物として概算要求項目にあげてもらった。その予算がつくかもしれないという状況になって、ちょっと待ってくれ、今年はやめたなどと言うことは学部の信頼を著しく損ねるという意味で言った。

【廃寮の必要性】
−駒場寮を廃寮にせざるをえないのは〈三鷹〉建設のためか。


そうではない。東大全体を新しい時代のために刷新するのが目的だ。

−その当時、跡地計画は具体的にあったか。具体化したのは数年後ではないか。

図面化がそういう時期であるということだ。

−91年の文書では、これから跡地計画を考えていかねばと書いてある。

いや、学生の福利厚生施設の充実はずっと課題としてあり、そのためには駒寮跡地しかないというのが我々の認識だった。

−しかし91年にあなたは、駒場寮廃寮は〈三鷹〉建設の道具と言っているではないか。

再開発の邪魔になっているという意味で不要だと言ったかもしれない。

−なぜ駒場寮廃寮とセットでないと〈三鷹〉は建設されないのか。

寄宿舎にそんなにぜいたくはできない。そんなことをしたら[駒寮を残したままだと]東大のわがままと言われる。そんな要求は東大として出しえない。

−しかし84年には、駒場寮を残したまま三鷹寮を建て替える計画があった。駒場寮に特別修繕を施し、かつ三鷹寮に第二棟を建てるという計画だ。

私は知らない。初めて知った。

−こういう方針が91年までに変わったということか。

三鷹寮第二棟の内容にもよるが、旧来のを残して建てるのは無理だ。無理がわかって変えたのだと思う。

−それで駒場寮廃寮とセットなら通るということにした?

資格面積・定員から言ってそうだと思う。

−駒場寮の利用者が減っているということも言っていたが、学生の行なったアンケートによると、学生にとって必要な施設だと言う声が出ている。あなたの認識は?

今は廃寮されている。

【廃寮計画のプロセス】
−[加藤弁護士]91年10月9日以前に教授会で構想を示したことはあるか。

ない。

−学部文書「学生の皆さんへ」に、〈三鷹〉計画は前年度の概算要求で頭出ししたとある。議論されたのは本当に91年か。

概算要求の項目は90年に教授会に出してはいる。

−90年度の概算要求で既に駒場寮廃寮がこみになっていたのではないのか。

単なる頭出しだから……。それに、知らない。

−91年3月以降、駒場寮廃寮とセットなら予算がつく可能性が出てきて、8月にそれがはっきりした。そういうことは誰がどこで決めて折衝しているのか。

学部長ないし学部長室だ。

−今までの学寮と大きくシステムを異にする、そういうことについて教授会でも議論しないまま、折衝プロセスを一般教官に知らせず、10月9日に初めて出した。おかしいとは思わないか。

おかしくない。提案し各項目について議論しながら全体として異議なく承認されたのが10月9日の教授会。折衝プロセスをいちいち報告するなどということはふつう行なわれない。

−今までと全く違うシステムになる。なぜ学生にもっと早く話さなかったのか。

大学としての方針を教授会で決定しない限り、どういう案をもって学生と話し合いをするかが決まらないわけだから、誰がどういう立場で話し合いができるとお考えか。

−学部長が折衝しているのであれば、学部長が学生と話してもよかったはずだ。教授会と平行してできたはずだ。

予算がつくかどうかもわからないものを、いろんな問題全てについてガチャガチャやっているほどのゆとりはない。

−問題設定が乱暴だと思わないか。7月の説明と全く違うことを10月9日に示し、12月で切る。

予算の仕組みがそうなっているんだ。

−議論してから決めようと学生が言っている。対して、今年予算がつきそうだ、流すわけにはいかない……、その判断があったから形だけ後でつけたのではないのか。

様々なプロセスを踏んだ。
[裁判長が助け船を出す]予算獲得を至上とする立場と、寮を守るという立場の平行線だから……

【寮自治否定への転換】
−文部省から「新々寮条件」をつけられることは知っていますね。そういう問題について教授会で議論したか。


個室化について。相部屋がいやだという最近のライフスタイルがある。アンケートでも7割が個室がいいと言っている。

−前回の成瀬証人の証言によると、84合意書当時、第八委員会は文部省の方針はおかしいと言っていた。そういう話は聞いていたか。

とくに聞いていない。ただ、本郷五寮の方で確認書があるのは聞いている。

−個室がいいといった方向転換はいつ決めたか。

特別委員会内部で議論した。

−10月9日時点で既にそういう構想が前提になっているではないか。それはいつからか。

知らない。想像するに、学部長室、学部長、評議員、第八委員会委員長、学生委員会委員長等が集まって決めたのではないかと思う。

−10月9日以前に教授会で議論されたことはないんだね。

ない。

【廃寮の必要性】
−91年当時、跡地利用の要求が具体的に「駒寮をどけて」という声としてあったわけではありませんね。駒寮をどけて福利厚生施設をつくってくれという声が学生から出ていたわけでもないですね。

ない。

−駒寮がどくという前提の下に、後で何をつくろうか、と出てきたんですね。

そう。

−最近の図書館移転計画などでも、結局、空いたところに、後から何を埋めていくか決めていく形ですね。10月9日時点では駒寮をどけて具体的に何かをという要求は出ていないわけだ。

−[尾林弁護士]前回の明渡し仮処分の時、北寮・中寮を途中でとりさげたのはなぜ。


予算が認められたのは明寮部分と北寮庇部分と渡り廊下部分だったから。

−跡地利用に緊急性がなかったからではないのか。

緊急性はなかった。

【電気・ガスの供給停止】
−民間アパートでも電気・ガスの供給停止といったことまではしない。酷とは思わなかったか。


情としては忍びないが、用途廃止された建物に電気・ガスを提供し続ければ、会計検査院からお叱りを受ける。それに、〈三鷹〉に優先的入寮を認めている。駒寮を出ても全員入れるようにしてある。

【警備員の動員】
−[加藤弁護士]仮処分の執行の時以来のガードマンの費用はどれくらいの金額か。また費目は。


知らない。聞きたくもない。[法廷笑]

−教官から、こんな無駄づかいして無理に排除することに疑問の声も出ていると聞くが。

ひどい妨害行為がある。それを防御するために雇っているのだ。

−97年3月の仮執行は、ガードマンの動員が必要であるような事態ではなかっただろう。

この時は裁判所の執行官の方から警備員をつけろという指導があった。執行の妨害はなかったにしても、抵抗はあった。

【建物を破壊する必要性】
−今の駒寮建物をどうしてもこわさなければならないのか。


ある時期、別の用途に使う手はないか、学生と話したことはある。しかし学生が寮以外ではだめだと言って、流れた。

【廃寮計画のプロセス】
−[中西弁護士]91年3月の概算要求における頭出しで駒場寮廃寮は前提だったとあなたは言われた。しかし教授会は知らなかった。頭出しには非常に重い意味があるのではないか。予算化されると時間がなくなってしまうのだとすれば。


いろんな項目があるし、その全てについて内容まで議論し、細かい準備まで進めるということはふつう行われない。

−学生に話すべきだったのではないか。

無理でしょう。いいアイデアでも、秘密にことを進めるのが肝腎なのだ。

−しかし現在、学生会館の建て替えについて、頭出し前に学生と話し合っていると聞く。学生の意見を聞いて頭出し自体を見送ることまでしている。なぜ駒場寮についてはそうしなかったのか。

[ここでも裁判長が何か言って助け船を出しかけた]
[永野]私は当時の執行部ではないからわからない。

−反対は予測しただろう。どのような議論で臨もうとしていたのか。

駒場寮が歴史的に果たしてきた意義は大いに評価しているが、時代の変化がある。地方出身者、女子学生、留学生をどう収容するか、駒場寮のままではだめだというのは明らかだ。そういう大きな流れに理解が得られない方が不思議だ。

−例えば補修をきちんとする、あるいは84年の時のような三鷹寮の建て替えをする、といった別案もあったのではないか。

キャンパスの狭隘化という問題もある。新しい施設をつくって充実させるのだ。別案ということで言えば、合宿所をつくるのはどうかと学生に提案したこともある。しかし全て拒否された。

【反省はないのか】
−自治団体の意向を軽視したという印象は持ってないか。率直に言って。


ない。これだけ特別委が苦労してきたのは、学生の意向を聞こうとしてきたからだ。

−交渉の席などで学生自治を軽視したような発言をしているが。ストを無意味と言ったり。

我々の頃はストと言えば、発議者が処分され、入り口にはピケが張られた。今のストは、処分もないし、ただ数十人の集会があるだけだ。

−[尾林弁護士]今日にいたっても学生投票で過半数が廃寮に反対している。

投票率55パーセントで、うち廃寮反対票が57パーセント。少ない。それにそもそも今さら反対されても無意味だ。

−合意書の存在について91年10月段階では知らなかったのか。

知らなかった。

−その点について手続き的にミスがあったと思わないか。

思わない。〈三鷹〉ができるまで駒場寮は廃寮にしないとするなど、これらは第八委員会の努力で可能になった。

【駒寮を残す可能性】
−[加藤弁護士]去年の教授会で三教官が問題解決に向けた提案をしたと聞いている。その提案、あるいは三教官の活動について教授会での対応はどのようなものだったのか。


ありがたい提案で、努力願いたいと言った。しかし結局、三教官の提案と、寮生の駒寮残せの主張とが相容れず流れた。

−粘り強い対話が、今の時代とくに必要とは思わないか。

特別委が寮に話し合いを呼びかけたが応じない。よほどの変化が寮の側にない限り[解決は]難しい。

−[萩尾弁護士]93年2月の交渉であなたは計画のストップが可能だと言っているが。

工事中止というのは相当なことだ。責任者の辞任などが伴う。

−強い反対があると言えるための条件が、当初の「無期限スト」から「7割の反対」に変わっているが。

〈三鷹〉を実現しないでもいいのかと問うた。

−東大確認書では、無期限ストといった事態を避けるために学生自治団体との話し合いで解決することにしたのではないのか。

知らない。 [証人尋問おわり]

裁判長:いろんな問題が含まれているから、慎重に検討して判決を書きます。

<今後の見通し>
 裁判官は3月28日ごろに判決言渡しをすると明言した。よって、次回3月3日が最後の口頭弁論になり、寮側代理人は争点整理のため主張をまとめた書面を提出する。裁判官も1時間は弁論の時間を取ることを約束した。
 口頭弁論が始まって以来、国側は紋切り型の弁論をくり返し、寮側の証人尋問の要求も固く拒み続けてきた。それに対し、ここまで口頭弁論を継続させ三人の証人尋問を行うことができたのは、弁護団の奮闘と寮生による地裁前などでの情宣活動の成果であろう。学生投票で投票総数の過半数の学生が「廃寮」計画いったん取りやめの意思表示をしたことも大きな意義がある。
 証人尋問後の報告集会では、裁判所に公正な判断を求める署名集め、教授会への話し合いの呼びかけを行っていくことが確認された。判決でどこまで寮側の主張が認められるのか、学内で解決の気運が出てくるのか、情勢は流動的である。

 
提出書面(11/26)
寮側
◯準備書面8
◯証拠説明書
国側
◯証拠説明書
仮処分決定書(98年の電気供給の再開を求める仮処分)
準備書面6(占有認定)

提出書面(12/7)

寮側
◯証拠説明書


6.28裁判

次回:3月7日(火)10:00から、東京地裁611号法廷。


 1997年6月28日、教養学部が教職員200名、警備員150名を動員して北寮の一部と寮風呂の破壊工事を強行した際、警備員の暴行によって怪我人が続出、4名が救急車で運ばれるにいたった事件(=6.28事件)の責任を問う裁判の経過について報告します。

【被告国が準備書面(一)を提出(10月26日付)】
 「生井澤の原告〓〓に対する暴行は否認する。小林と永野が警備員に暴行を指示したという件についても否認する。なお原告〓〓に対する警備員の暴行については不知。」[要約] あとは駒場寮「廃寮」の経緯についての長々とした説明──当然、「正当だ」という説明。

【10月26日の口頭弁論】
 被告国側が陳述した準備書面について、原告代理人が、「屡々、背景説明などが述べてあるが、法的に意味のある主張としては『否認』ということに尽きるわけですね」と釈明を求めたところ、被告国側は「そうだ」と釈明した。 次に裁判長から、警備会社の扱いについて「被告警備会社は警備員の行為を公権力の行使とし、仮に違法行為があったとしても国の責任であると主張している。一方、原告は警備員の暴行傷害について国が責任を負うべきだという主張はしていない。そこで仮に裁判所が警備員の『公務員性』を認めた場合、国に対しても警備会社に対しても、損害賠償請求は認められないことになるが、原告としてはそれでよいか」との確認があった。原告側は、「その点について、次回、請求原因を予備的に追加します」と答えた。被告国代理人も、「国としても、その点[警備員の違法行為の責任を引き受けるかどうか]については検討しておく」と答えた。

【原告側が準備書面(四)を提出(1月11日付)】
 原告側は、10月26日の口頭弁論における釈明を受けて、「請求原因の予備的追加」を行なうこととし、その旨を準備書面(四)で表明した。すなわち、自らの行為が国家賠償法第一条の「公権力の行使に当たる公務員がその職務をうについて」に該当する旨主張する被告新帝国警備保障の「主張を援用し、国家賠償法第一条に基づき、被告国に対し、……損害の賠償を求める。」 またこの準備書面の後半では、被告=国の提出した答弁書に対し、必要な限りで反論を加えた。
1)被告国は、小林寛道の「総攻撃指令」を否認するが、これは事実経過を無視した奇妙な暴論である。
2)被告国は、生井澤寛が二階班の最後尾を務めたと主張するが、事実は全く逆であって、教官および警備員を指揮引率して北寮に突入する立場にあった者が最後尾を務めたというのは、不合理極まりない主張である。

【1月11日の口頭弁論】
 原告側の準備書面(四)について、その前半部の趣旨確認がなされた。すなわち、「仮に大学の教官に違法行為がなくても、大学から委託を受けた警備会社の被用者たる警備員に違法行為があれば、国家賠償の責任が生じる、そういう趣旨ですね」と裁判長が問い、原告側代理人は、予備的請求原因として、その通りと答えた。

【今後の見通し】
 次の口頭弁論は3月7日(火)10時から地裁611号法廷にて。 次回までには被告国が、被告警備会社の主張(警備員の当日の行為には公務員性がある)を認め、警備員の責任を引き受けるかどうか態度を決めてくるはず。国に責任を負わせたい警備会社と、尻拭いしたくない国との利害が対立し、「国が責任を負わないというなら、請け負いたくない(あるいは、もっと金を払え)」といった「困った」やりとりが交されていることであろう。近々、原告・被告双方の主張が出そろうので、春頃から証拠調べに入り、結審までの日程がはっきりしてくるものと思われる。


−80年代後期寮祭企画史−

祭りと宴会の記憶

小塚昌隆(1987年寮祭実行副委員長)


 駒場寮北寮前広場。皆さんもご存知のとおり、そこは東大駒場キャンパスのなかで、ちょっとばかし“スコン”と抜けた、いい場所になっている。
 今も毎日、現役東大生が行き交うその場では過去様々な風景が展開されてきた。僕の中でそれを語ることはイコール寮祭の記憶となる。
 いきなりだが、その記憶は死者達への記憶と結びつく。北寮前のお祭り騒ぎの光景の中にいた、五つの顔。
 みつ、梅ちゃん、江戸アケミ、篠田昌巳、Y.K。
 五人とも若くして、死んでしまった。少なくとも僕にとっては、北寮前に描きたかった「楽しい絵」の一部だったし、結果的にも描けた一番楽しいドンチャン騒ぎの中の顔だった。

 僕が駒場寮に入ったころ(1987年)、寮祭は明確に駒場祭と区別されるものだった。少なくとも、寮委員会周辺にとってはそうだった。
 何によって区別されるかというと、やはり題目どおり「自主管理の祭り」という点だったとおもう。先の「いろは」誌上に「駒場祭の管理は100点満点、比べて寮祭は3点だ」と、元KFC委員長が第六委員会から評価を受けた話がでてくるが、1985年ころからこの手前勝手な「対立」が明確なものになっていた。保健所の指導で酒を飲めない、焚き火もできない駒場祭とは違い、飲みまくり。燃やしまくり。まあ、大人になって見れば、万一の危険と責任を考えれば、それも当たり前と思うが、当時は思わなかった。
 言葉を変えれば、バンカラ、ってくらいなんじゃないか。オットコくっさぁい祭り。思春期の、カッコつけたい精神の倒錯した表現としてのバンカラ。恥も外聞も、見栄も他者意識も投げ捨てたフリを演ずる祭り。そういった感じだった。でも、いいのだ。北寮前のビア・ガーデン(夏の寮祭)、おでん屋台(秋の寮祭)、24枚立て看板の記憶は、きっとどの駒場寮OBにとっても懐かしいものだろうから。

 そのころ「東大生の立場を捉え返す」ということがよく語られていた。その方向性は寮祭企画の中にも反映されていった。
 1986年、北寮前広場に朝鮮の民芸舞踏マダンクッが舞う。初めて、東京の人足寄せ場、山谷のドキュメンタリー映画「山谷ーやられたらやりかえせ」(佐藤満夫監督)が上映される。(佐藤氏はこの年の初め、右翼ヤクザに射殺されたのだ。)翌87年、夏の寮祭では最首悟氏が「水俣の今」について語る。原一男監督の映画「さよならCP」が寮食堂(もしくは北寮前広場)にて上映される。(友人は「ホビの預言」、「シルクウッド」、あとチェルノブイリのドキュメント映画なども見た記憶があるという。)87年秋の寮祭は、いい意味でも悪い意味でも決定的なモメントで寮祭実行委員会ははじめて「寮祭基調」を明文化した。その終章は「闘う共同体の形成」で締めくくられていたように思う。
 それにつれて、北寮前広場はガンガンうるさくなっていく。

 それに拍車をかけたのは、東大生、駒寮生から見て「外」にあたる人達だった。そうだ、外へ出ようとしていた。外と繋がろうとしていた。偏った運動だったのかもしれない。引き回しだったのかもしれない。しかし、北寮前広場を、なんかオモロイ、イベントスポットにしたかった。駒寮の、東大生の限界を突破したかった。風穴を開けたかった。

 87年秋の寮祭にみつは反天皇制パンクス同盟の「テーゼ」、「ヘルネイション」という2つのバンドをつれてやってきた。
 88年10月、「反日文化祭」コンサートが行われ、山谷からやってきた梅ちゃんはしょんべんを垂れ流しながら花札をしていた。その後数日間梅ちゃんは仮宿室に住みつき、北寮二階の廊下で、しょんべんを垂らした。
 翌11月、Y.Kとガンちゃんと僕と山口とTはテント劇団「風の旅団」公演で大童だった。その劇団が「火を使う」という理由でもともと駒場祭企画だったのを外されたのだ。最終的には駒場寮祭企画となり、寮委員会周辺のメンバーの協力でなんとか公演を成立させた思い出がある。
 Y.Kとは中学、高校と同級生だったこともあるが、あまり話をしたことがなく、このとき初めて「何かを一緒に」やったのだが、そのときもたいした話はしなかった。
 そのまた一ヶ月後、天皇死去の際の国民総弔意に異議をとなえるコンサート「東京クライデー」が行われ、南流石やOTOの在籍したロック・バンド「じゃがたら」のヴォーカリスト、江戸アケミが北寮前で「天皇陛下万歳」と喚いていた。「じゃがたら」のサックス奏者篠田昌巳も参加していたと思う。いや、篠田さんが駒場で演奏したのは「風の旅団」公演のときだったっけ?。いまや曖昧な記憶になってしまうのだが。
 89年の寮祭も基調を作成し、浅田彰、小倉利丸両氏を招いてのシンポジウムや、アジアからの留学生からの提案による学習会「アセアン・ムーブメントをめぐって」などが行われていた。

 好き勝手やっていた。僕もガンガン騒いだ。なにかにつけ片手にトラメガを持ち、叫び、歌い、喚いた。ツケは払わなくちゃならなかった。
 だって、その年の秋、駒場キャンパスを機動隊が囲んだのだから。前年成立した「風の旅団」公演をもう一度やろうとしたところ、学部当局が何かと妨害して、最終的には機動隊の出動を要請。学生&旅団と当局が睨み合い、学生五名の逮捕者まで出た。緊張する現場で、僕は最終決定を任せられた。「やるか、やらないか」。北寮前に皆が集まり、その中にY.Kの神妙な顔もあった。僕は「やめよう。」と言った。

 僕が北寮前広場で騒がなくなったのはそれからだ。北寮前のドンチャン騒ぎのなかで出会った人達のところへ行きたいと思った。しかし、駒寮を去る前後、江戸アケミが自宅の風呂場で死んだ。「いじめていい?」が挨拶だった梅ちゃんが天にいじめられ、僕の音楽活動を積極的に支援してくれた篠田さんは92年死んだ。見津が死に、そして2000年1月(つい先週のことだ。)、Y.Kが死んだ。

 北寮前広場で、もう僕は騒げない。そりゃそうだ、もう学生じゃないし。騒ぎたくもない。それでも祭りと宴会の記憶だけが残る。どうしたらいい?。たいした話もしてないのに。

料理対決で腕をふるう鉄人寮生(撮影:寮生)


99秋の寮祭シンポジウム

国立大学独立行政法人化と駒場寮

11月22日(月) 北寮前ステージ

「国立大学の独立行政法人化を考えるシンポジウム」

 ふだんはカラオケでにぎやかな北寮前ステージで、国立大学独立行政法人化を考える硬派な企画が行われ、学生や来客の注目を集めた。多くの聴衆が最後まで熱心にパネリストの話に耳を傾けた。

1.開会の挨拶
2. 報告

◯国立大学「独法」化の内容とその影響 浜林正夫(一橋大学名誉教授 経済史 1943年一橋大入学)
・経済的分析
 日本の企業には、国際競争に耐えうる科学技術の開発が常に求められている。研究開発機関として大学を活用したいが、それには大学の自治がじゃまだった。企業は、大学に産業界の下請けをさせようと、かねてから介入をねらっていたのだが*、それが現在急テンポで進んでいる。教員の任期を1年ごとにすることなども、大学の統制強化とリストラの一環と考えられる。廃寮攻撃もリストラの一つだろう。
 *70年代から中教審は、大学を企業経営として見ることを主張していた。
 リストラが世界的規模で進行している。日産−ルノーの提携の例を見ても、首を切り過ぎ。リストラをした企業は一時的に生き残れるが、国民生活がダウンして成り立たなくなると、結果としてマイナスの影響を受ける。企業は株価を上げることに囚われている。

・予算
 これまででも、学生一人当たりいくらという形で基準的経費がついていた。いくら文部省に逆らったとしても基準的経費は必ずつく。独法化すると、それすらつかなくなる。

・ユネスコ世界大会の勧告
 日本も大会に参加しているのだから、文部省は勧告を守ってほしい。(以下の項目)
  1. 大学入試には国籍、身体の障害、経済力(学費)などで差別があってはいけない。高等教育は学費無償化が目標。---ドイツ、フランスは学費は無料。受益者負担主義は間違い。なぜなら、高等教育は本人の利益になるだけでなく、国の文化・技術水準を引き上げることにつながり、社会の利益にもなるから。
  2. 大学の運営に関して学生の意見を聞く。
  3. 大学の自治・学問の自由を重視する。---大学は社会の下請け機関ではなく、むしろ予見的・批判的機能が必要。見張り台(=watchtower)の役割をしなければならない。
・国立大学の独法化の問題点
  1. 2〜3年で研究成果を求められることになる。実験などはよく失敗するのに。
  2. 学生の授業料が高くなる。大学、学部によって差がつく。とくに工・医学部は高くなる。2.5〜3倍に。医学部は300〜400万で私大並みになるだろう。
  3. 教育・研究の中身に対する干渉が強くなる。
  4. 私立は学生の数に対して教職員の数が少ない。国立大学もそれと同じようにサービスが低下する。
  5. 地域の経済・文化に対する影響  高知大学など地方の国立大学は独法化に反対している。佐賀県では反対県民集会が開かれた。
     国立大学は、全体としては反対だが、内々にはやむを得ないという雰囲気になっている。独法化しても人員は削減されないのではと考えているが、それは甘い。大幅削減になるだろう。そしてその次は民営化である。
     大学の自治、教育研究の自由、財政基盤は、まだ国立大学では守られている。これを守るべき。そうしないと、政治に続いて経済もダメになる。
◯教養学部内、教授会内での独法化問題に対する情況 司会より
 教官個人に聞いても情報がなさすぎる。噂ばかり。危機感を持っているのは数名。定員削減、予算の面でどうなっても対応できるようにと考えている。教授会で執行部が報告したところでは、定員削減はまぬがれないらしい。いまはそこまでしか判断できない。
 工学部では独法化望むところだという雰囲気。企業の研究の下請けは、現在では表立ってはできないし、予算も足りない。(教授会として反対しているところはほとんどない。千葉大文学部ぐらい。)

◯裁判の状況説明 萩尾健太(弁護士 駒場寮弁護団)
 憲法には個人の尊重が規定されている。これは、国家に対抗して、国民が民主主義にもとづき政治参加する根拠になるものである。自己決定権という意味で寮自治と通底する。
 独法化は、経済効率の観点を重視する「新自由主義」の潮流と深い関係があると思われる。

◯駒場寮問題とは何なのか?(その経緯と不当性) I.T(146期寮委員長)
 廃寮決定の不当性、電気ガスの停止など学部の行ってきた強行措置について概説。好きなことを勉強できるために大学の自治が必要だと述べた。

◯駒場寮近況報告 T.T(149期寮委員長)
 総代会、寮委員会など、寮自治の形態について概説したあと、寮の長所を説明。安い、共同生活に加え人的交流もある。現代社会は、マスメディアから情報が一方通行に流されている情況。これが理由のわからない犯罪の原因ではないか。寮の共同性は情報の氾濫から個人を守ってくれる。

3. テーマ討論
4. 会場発言
学生自治会から:学生が大学の意思決定から無視されている。独法化すればますますその傾向が強まるはずだから、独法化に反対。
5. 閉会の挨拶 寮祭実行委員長


文学に描かれたる駒場寮 正伝


 前号の「文学に描かれたる駒場寮」で紹介した大江健三郎著『偽証の時』の題材になった3.14事件(1954年)について、当時寮生だったO・Kさんに詳しいお話をうかがうことができましたので報告します。

◯3.14事件(1954年)とは?
 都学連書記局に国際外語大生として出入りしていたことのある「学生」を、権力のスパイだとして駒場寮および東京工大、都立大に監禁したという容疑で、都学連委員長、全学連中執、書記局員、その他いくつかの大学の自治委員長ら多くの学生活動家に逮捕状が出され、警官隊が寮内を強制捜査、都学連委員長らが逮捕されたが、のち無罪になった事件。

◯3月14日当日のてん末
 警官隊が1000人、寮前にやってきて寮内を捜査しようとした。侵入を阻止しようとした学生が2人逮捕され、集まった寮生と警官隊が対峙して一触即発の事態になり、寮生の代表が警官隊と交渉に当たった。捜査礼状には「社研その他関連する場所」としか書かれていなかったので、捜査に条件をつけた。場所は寮内全部ではなく限定すること、警官の人数を限定すること、逮捕された学生を釈放することなど。隊長は要求をのんで学生を返し、それを寮生が拍手で迎えた。玄関から警官を入れると大勢で入って来られるおそれがあるという意見が寮生から出て、二階からはしごで警官を入れた。

◯振り返って
 捜査の介入に対し、厳格に令状主義を通させた。不法なことをさせず、寮自治を守れたと評価している。
 監禁の事実の有無については関係者も一部しか語らなかった。
 大江の『偽証の時』は、当時の学生運動の閉塞状況や共産党の運動組織の暗い一面を反映している。しかし彼は運動に参加していなかったこともあり、描かれている人間像は主観的にすぎ納得できない。あれで駒場寮というのでは、たくさんの寮生にとっては迷惑。あれほど内部閉塞的な情況ではなかった。

◯時代背景
 メーデー事件(1952年5月1日)で学生が殺されたり、深夜に米軍の戦車が道路を走るごう音が寮の中まで聞こえてきたり、騒然とした雰囲気だった。
 東大では1952年にポポロ事件があり、愛知大、早稲田大などでも警察の学内介入があった。メーデー事件でも、逮捕された寮生がいる。それゆえ、学生・寮生のなかには、学園の自治への官憲の干渉に対する警戒が強かった。
 寮内には、東大生でない若い活動家が、困窮のため泊まる場所がないなどと言って寝泊まりし、寮生としてふるまっていた。寮生には、彼らの素性を詮索しない学生的な甘い態度があった。メーデー事件のときに警官隊といっしょにいるところを目撃された者もおり、今から考えれば権力のスパイがいたのかもしれない。当時は700人以上の寮生が住んでいて、なかには活動家でないもぐり学生もおり、それを許容するおおらかなところもあった。

◯まとめ
 東大だけでなく多くの大学で、当時の全学連はさまざまな反権力闘争を闘っていた。官憲は運動の弾圧をねらって、スパイの監禁という容疑で都学連中執の逮捕状を取り、組織への介入を図った。よって、事件の本質は官憲VS全学連(あるいは寮自治)という構図であって、監禁の容疑は事実無根であり、裁判で無罪になっている。当時の『サンデー毎日』にも「世にも不思議な事件」という記事が出た。
 現実にスパイはいたので、官憲に対する警戒感から人間不信になることがあったが、一方で、自由、民主主義を守ろうとする運動があり、エネルギーがあった。なぜ人間不信が起きるのかについても寮のなかで議論されていた。寮自治がもっとも機能していた時代だと思う。


BOSS選 選対名研究--序


 みなさん御存じのとおり、寮委員長選挙は、オリエンテーション・寮祭と並んで寮の重要な行事の一つである。そこで使われる選対名は、1980年代以降ユニークな展開を見せ、生活と密着した手作りの選挙運動の様子を伝えている。選対名を通して、当時の寮生活の雰囲気を想像してください。

選対名一覧(空白は不明)
BOSS分類選対名
8090W.A
 91Y.T
 92T.K
8193S.H
 94K.F
 95N.Y 全寮連選対
8296S.N
 97F.K
 98I.H 寮生選対
8399N.Y
 100T.S
 101S.Y なし
84102A.M なし---いそがしくてつける暇がなかった。
 103Y.T渚のハイカラ選対---寮内で人気があったアイドル小泉今日子のヒット曲「渚のハイカラ人魚」から。
 104T.Mさつま白波選対---焼酎ブームだった。
85105M.T夢は夜開く選対
 106S.T♯☆おじいさんは山へS、おばあさんは川へ選対
 107O.M
86108M.TBE FREE選対---マンガの題名。
 109I.A怒涛のがぶりより選対---本人が相撲部だった。
 110T.T霧の摩周湖選対
87111T.A嵐の通天閣選対
 112T.H雨か嵐かバルボン選対---ニックネームから。
 113K.Sすすめ!エリザベス選対---「エリザベス」は女装用具店のこと。本人が通っていたわけではない。
88114W.M 怒りのスルメイカ選対
 115K.M僕の弟は茜ちゃんの弟にソックリ選対---本人の弟が、一色まことのマンガ『出直しといで』に登場する茜ちゃんの弟に似ていたため。
 116S.Kカーン!ズイチャチャ選対---寮委員会周辺で擬音がはやっていたことから。他に、スチャ(=いい加減、スチャラカの略)、ゴリ(=主体が固まって、ゴリっとしてて怖い)などがあった。
89117T.S♯◇遺憾の糊ビリー選対---「遺憾の糊」は、小麦粉入り強粘着力の糊を使ってステッカーを学内に貼りまくり、学生課から「遺憾だ」と言われたから。「ビリー」は、本人がビリー・ジョエルが好きだった。
 118K.S 玉屋!マリコンペンテイホー選対
 119Y.G 24時間フル回転リゲイン選対
90120A.K気合一発アチョー選対---ニックネームから。
 121Y.Hコマ寮の上にも二年目選対
 122K.Kあ〜だこ〜だ選対
91123M.Yタックル選対---高校時代ラグビー部だったから。
 124T.M呑まなきゃイイ人選対
 125Y.Mヨシ・みがく選対
92126S.TKIHOH選対---支持母体であった企画厚生部の略称から。
 127Y.H帰ってきたYくん選対
 128K.Tクリーンドンドン汚れとたたかおう選対
93129M.Yかき味抜群マッキー選対
 130T.M駒場じゅわいよ・くちゅーるマーキ選対
 131H.Kざ-ゆにばあす-おぶ-ひぐぽん選対---東大共通の英語教科書『the Universe of English』から。
94132M.HOKです!のみましょう!選対
 133T.Kラッキークッキーツッキー選対---『ラッキーマン』というマンガから。
 134K.Mスコッとさわやか!!コカコウラ選対
95135O.Mきつねもといたぬき選対
 136K.Kまっくろくろつちまけんぞう選対
 137A.H秩序のない現代にサンダーファイヤーパワーボム選対---「秩序のない現代に」は、Mr.Childrenの曲の歌詞。「サンダーファイヤーパワーボム」は、プロレスラー大仁田厚の得意技。
96138Y.Kやめてよ 市村クン選対---市村氏が教養学部長だった。
 139S.Kわたし飲んだらすごいんです選対---「わたし脱いでもすごいんです」というCMから。
 140Y.Kやりやがったな!蓮實選対
97141S.K帰ってきた酔っ払い選対
 142K.U公共性の構造転換選対---社会哲学者ハーバーマスの著書から。
 143S.Kボク寝顔がハニワなんです選対
98144H.Iハウスとポップでロボロボ選対---「ロボロボ」とは、本人が得意なロボットダンスのこと。
 145N.I腐った学部にコロニー落とし選対---「コロニー落とし」は、アニメ機動戦士ガンダムから。
 146I.T◇*漢(♂)達のキモチ選対---「おとこたちの…」と読む。「キモチ」には、廃寮粉砕の闘志が込められている。
99147Y.H「赤」色「貧」乏選対
 148T.N*※闘え!!ハンサム選対
 149T.Tとりあえず、すげぇ、マルチ選対---「マルチ」とは、マルチメディアのことではなく、マルチ商法のこと。

名前もじり型---♯
ギャグ型---☆
出身地型---□
キャラクター反映型---※
趣味・生活反映型---◇
アジテーション型---*

<解説>
 80年代前半は、おおむね全寮連選対VS寮生選対という構図。これが大転換するのが84年103期の『渚のハイカラ選対』。この期から選対名に遊びの要素が加わってくる。とくに87年から89年は一読して意味不明の選対名が並び、勢いが感じられる。80年代は「新人類」に始まり、DCブランドのブーム、コミック雑誌の創刊など都市カルチャーが氾濫し、大学生が消費文化の担い手として登場した時代だった。その雰囲気に影響を受けたところもあるかもしれない。
 バブルの崩壊を経て社会の雰囲気も大きく変わり、90年代の選対名は落ち着きを見せる。名前もじり型が多い。ニックネームがよく使われるのは、寮委員長になる候補者が多くの寮生から親しまれていたことの反映だろう。96年以降は、学部の廃寮攻撃に対抗してアジテーション型が増えている。
 酒をよく飲む寮生活を反映して、酒にまつわる選対名は今も昔も多い。104、124、132、139期など。
 最後に。おそらく駒寮史上最長の選対名と思われるのは、120期選挙で対立候補だったK.T候補の選対名だろう。その名も『かたやまんぞう「ねぎとこんにゃく下仁田名産」「そろいの支度で八木節音頭」「雷と空風 義理と人情」「白衣観音 慈悲の御手」選対』。おしくも当選はならなかったが、106期のS.T寮委員長も、長い選対名をつけて予想外の苦戦をしたそうなので、選対名があまり長過ぎると選挙戦にはよくないのかもしれない。


新制50周年記念 寮経験アンケート


アンケートに御協力どうもありがとうございました。今回お寄せいただいた回答を紹介いたします。今後も『いろは』では寮経験アンケートを集めてまいりますので、よろしくご協力ください。
  1. 駒寮入寮年度/駒寮と関わりあった年
  2. 駒寮に入った動機/駒寮と関わることになったなれそめ
  3. 駒寮の好きなところ/嫌いなところは何ですか?
  4. 寮生活で何が楽しかったですか/何が苦しかったですか?
  5. 印象に残っている友人・寮生あるいは事件について教えてください。
  6. 寮生活で得たものがあるとすれば何でしょうか。
  7. 駒寮を残す意義はあると思いますか?
  8. あるとすればどういう意義でしょうか/ないとすればなぜでしょうか。
  9. いま何に関心がありますか。
  10. 現在の寮生に言いたいことがあればお願いします。
  11. 「いろは」についてご意見があればお願いします。
C.H
  1. 入学1986年、卒業1990年、但し寮生ではない。卒業以降もサークル部屋に年に何度〜十何度かは宿泊。
  2. サークルが明寮サークルだった。(TBA;東京大学バトミントン愛好会)
  3. ・自由に往来できるところ。 ・大広間相部屋なところ。
    ・汚いだあ暗いだあぼろいだあは気にならない。(いや住んだこと無いけれど)
    ・あの『ぼろさ』自体と其のぼろさが醸し出す『雰囲気』が好き。
    ・嫌いなところはそう無いが、何か一部閉鎖的なところ、人を拒否するようなところがあるようなところが気に入らない。
  4. ・寮生活に限らず、10年も経つと学生生活で『苦しかった事』って思いつかない。いや、元から対して厳しい生活おくっていなかったですが。 ・あるとすれば、寮とZ(自治会)の間に見られた隙間と言うか溝と言ったものだろうか。
    これはどちらかと言うと『嫌いなところ』か?
  5. ・T.H、T.K(一方は寮長にもなったはず。名字一緒同じサークル(TBA)同じ寮生で雰囲気が正反対だった。) ・応援団の何人か(いつも明寮一階ですれ違っていたので顔は良く覚えている。)
    ・いろはのおばちゃん(寮生じゃないって。)
    ・86年だったかの6月3日間スト(北寮だったかの屋上で大量に花火打ち出して守衛と一悶着あったりもした。)
    ・(寮と直接は関係ないが)風の旅団事件
    ・明寮小火(廊下に出たら明寮西側出口に火が上がっていた。)
    ・毎年の寮祭、と言うより北寮前カラオケ
    ・TBA部室移動問題(詳細は未だ知らないのだが、気になってはいた/いる。)
  6. 思い出・友人・思慮深さ・論理的思考(寮生活だけではないが。)
  7. ある。
  8. ・あの建物、あの雰囲気を大学内に残し、そこに学生が住むそのこと自体に意義がある。世の中には各種『混沌』が点在分散すべき。 ・大学内に住居環境があることが重要。
    ・学生が自ら運営する環境=自治空間が必要。
    ・多数の他人とともに生活する空間が必要。
    ・なくす理由なきものをなくすために労力を費やす必要はない。が、こう言うと残す理由なきものを残すために労力を費やす必要はない、と反論されるんだろうなあ。
  9. <短期>今年の駒祭&寮祭どうなるだろう? <随時>エネルギー、ごみ関係。前国会・今国会関係法(案)
  10. (寮生に限らず。ありきたりだけれど。)時間が有り余るほどあるのは今だけ。だけれど焦ることはない。どんな生活送っていても、10年経てば良い思い出。世の中や他人に流されていなかったならそう後悔するようなこともない。そして現在の寮生は、流されてなどいないのは明らか。
  11. 思い出話を少しでよいけれど常時載せていれば、取っつきやすいと思う。それですべてにしてしまったらいけないが。
Y.A
  1. 1978入寮。82まで。
  2. 友人のさそい、、、ストーリーはあるが長くなるので要すれば、そういう事です。
  3. 今は、好きでもきらいでもありません。当時は「いいところ」だと思っていました。
  4. 今になって楽しい/苦しいなど聞かれても、、、。当時は、そのように暮らしていただけだし、今では無責任に「何でも楽しい思い出だった」とは言えるし。
  5. 会ってみたい人、、、N(当然、寮生活だから人脈もいずれは広がったでしょうが、この人が触媒的役割だったので)。
  6. そうじゃない形での人生が今、想像できないので、、、比較のしようがないですが、どちらにしても、ひとことでは言えぬ無形のものです(どんなコトバでも安くなる)。
  7. ここまで来ると、、、「ない」と思います。
  8. こんな大事なものが失われることがあっていいのかと思いましたが、昔とは人とのかかわり方もちがっているし。私としても別の形で社会とのかかわりをさぐりつづけています。
  9. 広い質問で、何とこたえていいやら。大学生にとり寮のような集団性は社会性への獲得上、有意義と思うので、これ以上いい形はないものを失ったのだから。昔の先輩が私にかかわってくれたように、私の形でかかわりたい。
  10. のみましょう。連絡とりましょう。人生は短く、心のかよう人は皆無にちかい。(私が閉じてるわけじゃないよ、、、)
  11. ごくろうさまです。
O.H
  1. 1945年。45年2月─51年8月。
  2. 全寮制、戦後例外として食糧事情から通学生を認める。旧一高入学。
  3. 思想、友人、そして勉学のふるさとです。/水洗の事情が悪く糞詰りで、戸外明寮未建築部分に急造した中国式便所で用を足した(戦後)
  4. 貧しく空腹でしたが、議論と読書と共同生活(1-2年)により生涯の友人をえたこと。魅力ある講義と下らない講義と両方あった。/不潔で埃っぽく、寮生が清掃を心がけていなかった。開放性結核患者が居て、病巣となった。
  5. 「我らの時代」に書きましたが、さらに多くの人々を覚えております。ともあれ人材、英才の群れにて、そのために卑小な身が磨かれました。
  6. 3,4,5,6は不可分のものです。多感でかつ柔かい少年から青年時代に移る人間の私利、打算のない交流から得られるものは計り知れない、と思います。
  7. 学生と大学管理者の両方の立場を経験しましたのでYESかNOかでは答えられません。しかし清潔、個室希望と共同生活のメリット、通学制と寮制の選択が成立するとよいと願っています。
  8. 建物は別にします。少年−青年時代の寮生活には重要な教育・教養・友情・信頼の体験の値打ちがあります。現代では全寮寄宿制は成立しませんから、選択制にして寮生活経験に値打ちがあれば、後輩が見習うのではないでしょうか。
  9. これは返答不能です。人間生きている限り無限に関心を持つべき事項があります。
  10. 東大に入学した人の大部分は能力、人格ともに人並すぐれた方々と存じます。寮生も非寮生も含めて、その恵まれた能力をまずは人々のために費やして欲しいと希望します。それでこそ良い意味のエリートです。ノーブレス・オブリージュなき秀才はいりません。
U.J
  1. 1951年入寮。3年間在寮、1年留年。
  2. ともかく金がなくて他の選択がなかった。
  3. 青年の稚気と成人への過途現象。/友人の中でもまれての成長。散らかっているのは気になった。
  4. コンパと友情。/生活苦。
  5. 松川空港事故でなくなったMさん。
  6. 天下の秀才の中で自分がいかに小さく見えたことか、それまでの自分が自己中心に生きて来たことを思い知らされた。自己形成の中で大きな部分を占めている。
  7. 歴史的存在として残す必要はある。
  8. 留学生の国際寮として、低所得の学生寮として必要。
  9. ほとんど日本のモデルとしての沖縄の環境問題にかかり切っている。
  10. もっと早く社会運動として展開すべきであった。今からでもおそくはない。
  11. 前記の視点が弱いように感ずる。
K.T
  1. 80年入寮、83年退寮。
  2. 経済的理由。
  3. 優秀な人が多い。/寮外生が荷物置き場にする。
  4. 諸先輩の生き方・考え方に学んだこと。マージャン。
  5. N.Y氏。N氏が共産党として寮委員長選で巻き返したこと。
  6. 人生出世だけが能ではないことに気づいたこと。
  7. ある。
  8. 幅広い関係者から幅広い知識と経験を吸収できること。
  9. ボクシング。
  10. 体力をきたえ、できればボクシング等格闘技の基本を身につけてほしい。
  11. 内容はもう少し貧弱でかまわないと思う。
N.H
  1. 入学は1978年度。
  2. 駒寮に入寮してはいないが、北寮1Fの一室をほとんど住処にしていた。
  3. 好きなところ:今はなき駒寮のお風呂で泳げた点。   嫌いなところ:お風呂のアカの浮遊量が多い点。
  4. 良くも悪しくも、2年生を3回繰り返した点。
  5. 明寮2Fに鉄パイプ部屋が建設され、その部屋が封印された事件。
  6. ボロボロになるまで何かをやってみる精神。
  7. 駒寮を残す意義はあると思う。
  8. (1)構造物としての建築史上の意義。   (2)さまざまな記憶の風化を防ぐ意義。
      (3)共同生活の場を消失させない意義。
  9. ギリギリの未来。
  10. とにかく思いっきり生活してください。
  11. 本来、駒寮問題は東大全体の問題であるはず。廃寮に疑問をもっている本郷の教員にも働きかけを強め、最良の解決の道を探ってほしい。
  12. その他・・・私が駒場にいたころ、学部当局の諸先生方は学生の青臭い(もしくは幼稚な)意見にも耳をよく傾けてくれた。何よりも教育の最前線に立っている駒場の教員は、たとえ裏切られても、まず学生を信頼するところから対話を再開してほしい。
K.T
  1. 1989-1993
  2. 天皇死去
  3. 非常識が通ること/非常識すぎること。
  4. 風変わりな友人が多くできたこと/帰宅が遅くなったこと。カップラーメンが続いたこと。
  5. 風の旅団の一連の事件
  6. 自信
  7. 難しい
  8. 難しい
  9. たくさんのこと
  10. いまいち現在の若者の顔が見えないなあ。
  11. 同上
S.H

1. 1987−1990
2. 首都圏学生実行委員会の会議の場所として(文理研他)
5. 寮の部屋に入った時、寮生が丸ごとのキャベツの葉をむしりながらポリポリと食べているのを見て目が点になった。
7. ある。
11. いつも送っていただきありがとうございます。日常的にお役に立てなくてすみません。
M.A
  1. 1990−1992。その後はOBとして。
  2. 駒場寮があったから。
  3. ごちゃごちゃしているところ、宝の山のよう。これは嫌いな面でもありますが汚いから。
  4. いろいろな人とであえたこと。
  5. S.Kと寮祭。事件としては廃寮問題。
  6. 未だによく分かりませんが、何かあったとは思っています。プラス方向のものとして。
  7. ある。
  8. 未来への可能性の幅を広げる。
  9. 国民総ナンバー制度。
  10. 思いの外、パワーがあってすばらしい。
  11. 二部構成化。運動面と思い出面。
O.K
  1. S26〜30 27年停学処分(破防法スト)になるも総代会決議により在寮
  2. 生活費の安さ
  3. (好)24時間一緒で、対話、遊びも裸のつきあいによる人間形成   (嫌)照明不充分、コンクリ生活
  4. 対話、ダベリ/同室者にわからぬよう勉強すること
  5. I.T/S29.3.14の警官隊寮侵入事件
  6. 地方出のTop意識の崩壊
  7. 充分あり
  8. 人間形成上の集団生活による研磨
  9. 国民主権の眞の実現について
  10. (1)官僚Top、大会社役員Topになってもたいしたことはないこと、銘記すべし。如何に生くべきか探究せよ(2)君が代、ガイドラインなど社会、国家とかかわる問題への正義感を!
S.M
  1. 83年度入寮
  2. 大学に入ったら自活を目指していて経済的に困窮していたことと、受験の時に仮宿してみて雰囲気が肌に合ったこと
  3. 好きなところは共同性、嫌いなところはなし
  4. 寮生活そのものが楽しかった。苦しかったのは、困窮と浪費で食べられなかったことがあったこと。
  5. 負担区分を巡る84年2月2日の対教授会行動。
  6. 社会との接点
  7. ある
  8. 今の私となる1段階として寮が必要だったと思えることは、後の世代にとってもある程度一般性を持つ(はず)
  9. 子ども
  10. 寮生活を守り抜いて下さい。がんばって下さい
  11. いつも楽しみにしています。いつも手伝いたいと思っていますが、いつもできません。届くといつも申し訳ない気分になるのですが、やはり楽しみです。
Y.M

1. 86年度入寮
2. 入学当初は親元から通うことも考えていたのだが、片道で1時間半はかかることと、銀座線から井の頭線への乗り換え時の混雑を見てこりゃ通えないと思い、入寮を決めた。
・まあ色んなことに触れてみたいという欲望。自治寮という場所への興味
3. 好きなところ:考え方や振る舞いに無自覚に前提とされているもろもろのものをとりあえず取り払ってしまうことを許容する人間関係やそれを支えた空間。
嫌いなところ:それに関わる過程で経験した、さまざまな恥しさの記憶が折り重なっている場所であること
5. 「人物」:こう問われて想起するのは、北寮15Sに住んでいたSさん。入寮当初よく部屋に遊びに来ていた先輩だが、あたりさわりのない話題として野球の話しなぞしていたときに、「野球というゲームを進める原理はなんだい?」と問われ、それを彼との問答を通じて考えたことはどーでもいいことだがどーにも得難い経験であった。
「事件」:いろいろあります。
86年11月?
学費ストの際の900番教室封鎖。故佐藤誠三郎の授業を阻止するために寮生主力でピケットを組んだ。取り巻き数十人に囲まれながら佐藤氏が突入してきたこと、授業が行われないだろうことを知って帰ってしまった学生に、佐藤氏はかなり憤慨していたようです。
87年1月
だったとおもうのですが、北寮前で「国家秘密法に反対するハンガーストライキ」をやりました。ハンストをやったのはほとんどが寮生でしたね。
87年6月初旬
学院構想・寄付講座設置に反対する教養学部学生ストで駒場キャンパスの各門を3日間封鎖
これに至るまでの間に科類別オリ実を作ったり、それを基盤としてやはり科類別のスト実を作ったり、スト実内の議論や行動やその経過も印象深いものでした。そうそう、正門を封鎖していたピケに「公務員の義務だ」と呟きながら見田宗介氏が幾度となくタックルしていたっけ。打ち上げに「打ち上げ花火」を寮の屋上でやりましたが、誰がかってきたんだっけな。S君だったような。
87年6月30日
原理研=勝共連合の東大講演会阻止行動。旧2号館をピケ封鎖(これも寮生主力だった)
前日、当時の自治会委員長だったNさんが北2Sに「教室使用を調べていたら大変なことが分かった」とあわてた様子でやってきたのが思い出されます。続々と集まってくる原理研メンバーに次第にピケが次第に包囲され、突入してくるのも時間の問題という状況に。
ところがいかんせん当日は銀杏並木の一号館から西側が片側工事中で、旧2号館は学生が多くいる生協前などからは見えにくく、注目を集めにくい。とにかく学生を旧2号館に集めなければ危険だということで、一号館東側のT字路で何度も何度も集会を持ち、学内デモを作りました。
それと平行して当時寮委員長だったT.H君が第6委員会と交渉して当局をその場に引きずり出すことに成功したのでした。

この辺は「封鎖」の記憶が多いですね

87年秋
「皇太子訪沖阻止」羽田現地闘争の学生総括集会が寮食堂でもたれ、それに参加する他大学の学生を北寮前で迎えたこと。平日雨が降る中を首都圏・関西の学生数百人が駆け足デモで銀杏並木をやってくる様子を覚えています。
前日から駒場寮に宿泊してもらったわけですが、仮宿部屋だけでは当然足りず、色んな部屋に泊めてくれと依頼したり、学館にも協力してもらったり。寝袋もなく会議室に押し込んだ学生には申し訳ないことをしました。
88年4月25日
「反原発若者交流会」というすこし恥ずかしい名称の集会を寮食堂で企画翌日の「反原発2万人行動」の前段として法政大学の環境問題研究会の人々などと準備したもの。泊まり込みで議論と交流をしました。寮は最終的にはほとんど場所貸だけの関わりになってしまっていたのですが、まあいろんなとこからいろんな人がくるわくるわでなかなかのイベントでした。
88年11月
駒場祭本部企画として「風の旅団東大公演」を企画したのですが、もろもろの下らない事情から直前になって本部企画から外されるという事態。最終的に大学当局の中止要請(芝居の中で火を使うからいけないんだと)をはねのけて公演を維持したのは、寮生と寮委員会の力でした。
89年2月
前年10月の「重体報道」を機に結成された反天皇Xデー行動実の活動の中で、再三にわたって学部長(青柳晃一氏)に対して「弔意を示すな」などの申し入れを行ってきたが、出てくるのは代理の第6委員会だけ。しかもまったくガキの使いで、学部長ではないので答えられないなどという。ならば直にお返事を、と直接学部長室に赴くが学部長は不在。しかたなく、となりの会議室で待たせてもらったのですがなかなか帰ってこない。待ち続けて待ち続けて結局、1週間ほど会議室に寝泊まりすることになってしまった。
試験期間中だったというのに。。
89年9月
旅団公演への弾圧
ここに書ききれないのでまた何かの機会に。
6. 多くの友人。濃密でくり返しも方向ももたない時間(という錯覚?)。
7. ある。
8. 当時はまったく意識しなかったのだが、自分が経済的弱者であることを自覚せずにすんだこと。まわりも困窮していたからね。金がなくてもそんなもんかと思うことができた。
10. 貴重な時間と経験を楽しんで下さい。
11. もっと発行間隔を詰めて欲しいと思います。

S.R

1. 駒寮に入寮したことはありません。
 1974年に入学した時、クラスで3〜4人が入寮しました。そのうちの一人の部屋が事実上のクラスルームでした。渋谷で遊んで遅くなると、よく泊まりに行きました。麻雀を覚えたので、3日間くらいトイレと食事以外は寮の部屋にこもって打っていたこともあります。
 その後、本郷へ進学してから反百年闘争にかかわるようになり、後に文理研の看板を掲げる部屋(一番最初は、今はなき明寮の3階でした)に出入りするようになりました。北寮2Sへの引っ越し作業をやったのを覚えています。北寮2Sには80年に卒業してからも2年くらいは時々顔を出していました。
5. クラスルームの主として、かってに出入りしては安眠を脅かした僕らをやさしく受けとめてくれたO君。
 明寮3階の角部屋にたてこもって某派の拠点化を企てたAとK。
 北寮2S文理研の主だったT.S。
 考えてみると、寮に住んでいたのは、ここに名前をあげた人間くらいで、住んでいない連中が出入りしてたんだ。
7. 愛駒を読んでいると、うれしくなってくるような話がいっぱいでてくる。その舞台をなくしちゃダメだ。
11. 楽しみに読んでいます。寮の発電機カンパするつもりでいます。


発電維持


発電機カンパ 引き続き募集しています

 駒場寮への支援カンパのお願い  147期駒場寮委員長

 学部当局による96年の電気・ガス停止以来、駒場寮では南ホール(旧・駒場寮食堂)から全寮に対し電気を供給してきました。ところが、昨年9月の南ホールでの放火とそれに乗じた当局の南ホール建物に対する電気停止により、全寮が停電してしまいました。これに対し、電気を止めて寮生をむりやり追い出すというのは許せないことであるし、そもそも「廃寮」自体が不当なものであるということから、付近の建物からそれを管理する学生団体の許可を得てわずかながら電気を供給することで、公共部分にのみ電気をつけ、寮生は部屋ではランタンの灯りで生活し石油ストーブで暖をとるなどして、あくまで電気復旧を求めてきました。こうして今年の3月まで、周りの学生や全国の学友そしてOBのみなさんの協力もあって、わたしたち駒場寮生は実に半年間にわたる停電に耐え続け当局に対し送電再開を求めて闘ってきました。電気復旧仮処分の不当却下後、入寮募集を成功させ新入寮生の定着を図るためにも、安定的な最低限度の電気が必要であろうという判断などから、大型発電機を購入し、充分とはいえないながら全寮への電気供給を開始しましたが、このような電気供給体制には二百数十万円という金額がかかっており、さしあたり寮自治会のこれまでの貯蓄を充ててきたため、財政を徐々に圧迫してきていますし、今後も燃料費がかかるものと思われます。そこで駒場寮では、駒場寮存続のための支援カンパを募っています。停電攻撃をくぐり抜け、新入寮生も例年通りたくさん迎え入れることができ、今後も送電再開と駒場寮存続を求めてたたかっていきますので、駒場寮OB・支援する会のみなさんには、是非とも駒場寮存続支援のカンパにご協力下さいますようよろしくお願いします。


暖冬予測が見事にはずれ厳しい寒さが続いています。春を迎えるためのカンパです。よろしくお願いします。寮委員長の呼びかけているカンパに当会は協力しています。「発電機カンパ」と明記の上、一口5000円を目安に支援する会の口座まで振込をお願いいたします。



お知らせ

○『いろは』は紙版もあります。ぜひ購読申し込みを。

○寮OB・歴代寮委員長について教えてください
寮OB・歴代寮委員長の情報募集は継続中です。本紙を郵送したいと思いますので、ご存じの寮OB・寮委員長の氏名・住所を、表紙ページの連絡先までお知らせください。
また、『いろは』では駒場寮経験をつなぐという試みの一環として、OBの方々にインタビューをさせていただいています。在寮当時の様子をお話しいただける方、推薦していただける方からの連絡をお待ちしております。電子メールの連絡先は、**(足達)まで。

○「駒場寮存続を支援する会」会員募集中
支援する会は、元寮生など駒場寮に一宿一飯の恩義を感じる駒場寮経験者を中心に96年の春に結成されました。東大当局の「廃寮宣言」をものともせず「駒場寮の存続をめざし運動を続ける寮生を支え」、ともに「駒場寮の存続を勝ち取ること」を目的に、駒場寮経験を交流させ、寮存続に向けたうねりを作り出していこうとしています。そのために必要となる、寮生への物質的・精神的支援、駒場にはそうそう足を運べないでいる会員のみなさんへの情報還流を主な活動としています。いま御覧いただいているWeb版「いろは」は、そのためのメディアです。支援する会では会員を引き続き募集しています。駒場寮の存続を勝ち取るために、ぜひあなたの力を貸してください。まずは購読会員に、購読会員の方は正会員に、正会員の方は運営委員になって支援する会を支えてください。

○会員用メーリングリストのお知らせ
支援する会では、駒場寮に関する情報と経験の交流を活性化するために会員専用のメーリングリストをもうけています。参加ご希望の方は、**へ。

○会員・購読会員になってください
 いま会では『いろは』発行部数の拡大に鋭意取り組んでおりますが、それに伴う出費増に加え、「6.28事件」裁判費用の支出などで今後、財政の逼迫が見込まれます。まだ会員・購読会員でない皆様には、ぜひとも(購読)会員になっていただきますようお願い申し上げます。「いろは」購読のみご希望の方は2000年度分購読料1000円を、会員登録をしていただける方は、年会費12000円(月会費1000円;「いろは」購読料含む)を郵便振替または銀行振込にてご納入下さい。

○郵便振替ご利用の際のお願い
 郵便振替を利用して出資していただく場合、内訳を明記していただくようお願いいたします。例えば「会費○年分/○ヵ月分」「会費○年分+カンパ」「購読料○年分」など。銀行振込分については、事務局からの通知を『いろは』に同封するなどの手段で確認いたします。

さくら銀行の支店の閉鎖統合により、カンパ振込先口座が以下のものに変わりました。郵便振替については従来通りです。
さくら銀行 中野坂上支店(普)
口座番号 *******
口座名称 駒場寮存続を支援する会  難波 卓志

郵便振替
口座番号 *****-*-******
口座名称 駒場寮存続を支援する会

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