iroha 19

いろは 19



---------------------------------------------------------------第十九弾 目次
CONTENTS 19
■巻頭言 宮川淳
■駒場寮1999
■明渡裁判報告
■6・28裁判報告
■OBインタビュー 第6回	奥津融さん(56年入寮)
■文學に描かれたる駒場寮
■座談・我が手の歴史を! 第2回	84-85駒場寮
■会員募集・振込先のお知らせ
■寮祭企画シンポジウム 独立行政法人化と駒寮 のお知らせ
■発電機カンパ募集中 寮委員長からの要請全文
■総会のお知らせ
■アンケート

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駒場寮経験をつなぐ討論紙     99/10/24  投稿歓迎

    い
            は
        ろ                         【19】

    編集/発行   駒場寮存続を支援する会
    連絡先  東京都目黒区駒場3-8-1東大駒場寮北9S
    電話    ***-***-****,***-***-****
            **-****-****(呼)
    代表    成瀬 豊(95,99期寮委員長)
    WEB版   http://www.longtail.co.jp/iroha/
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巻頭言


 九一年十月、なんの前ぶれもなく廃寮計画が発表されてから早くも丸八年がすぎようとしています。駒場は二年、本郷をふくめても四年で卒業する学生が大半をしめるわけですから、流れ去った月日の長さがしのばれます。この廃寮計画は「21世紀の」と冠されていましたが、その二十一世紀も今や目前にせまっています。
 この間に駒場寮をとりまく環境は大きくかわりました。もはや明寮と旧南寮はありません。寮風呂と寮食堂ホール、渡り廊下も破壊されてしまいました。今なお寮生の住んでいる北寮、中寮の二棟は西側の入口付近をのぞいて白い工事用フェンスに囲まれています。寮生が住んでいるにもかかわらず教養学部は電気・ガスをカット。寮内の生活設備は昔とは比べものにならないほど制限されたものとなりました。
 それでも寮生は住んでいます。廃寮計画に反対して駒場寮は存続しているのです。
 八年の年月にもかかわらず、反対運動は続いています。駒場寮に、かつてこれほど長く繰り広げられた運動はあったでしょうか。世間一般には学生運動の拠点である駒場寮というイメージが流布しているようですが、九一年当時、それは過去のものでした。この運動は、まったく下地のないところに学部側の手で火をつけられ、今なお燃えているのです。一部には寮生の主張に一貫性がないとする声も聞かれます。ですが、それは当たらないでしょう。廃寮反対は一貫しています。
 東大は、教養学部生をのぞくと、四年間の学生生活が駒場の二年間と本郷の二年間に分断されています。とくに一、二年生が主体となる駒場寮の場合、新入生が寮に慣れてから退寮するまでに大した期間がないわけですから、寮を主導する学生の顔ぶれは目まぐるしくかわります。そもそも運動の続きにくいシステムができあがっているとも言えるでしょう。しかし、それにもかかわらず運動は続いている。これは希有なことです。
 おそらく現寮生の大半は、廃寮計画の発表された当時は小学生だったことでしょう。彼らによって今の運動は担われているわけですが、ここまで運動が続いている理由、それは学部側の理不尽で暴力的な行為に多くを負っていることと思われます。学内問題の議論による解決の放棄は、学内自治の放棄にほかなりません。また、非人道的な電気・ガスの供給停止、ガードマンを使用しての寮生の強制排除に寮建造物の破壊などなど、信じがたい所業です。このような行動を改めないかぎり、駒場寮生の運動は続くでしょう。そして私たちは応援してゆきます。
 教官諸兄よ、紳士たれ。             (マ)


■駒場寮1999

8・4一研跡地埋蔵文化財試掘調査に対する抗議行動と集会。101号館へデモ。学部当局は要求書を受け取らず、後日、学部長に抗議文を渡す。
*一研跡地には図書館移転が決まっており、予算の概算要求がされている。図書館移転は、廃寮を前提としているマスタープラン(駒場キャンパス再開発計画)の一環。一期工事で図書館を、二期工事でメディア・センターを建設する予定。メディア・センターは敷地を無理やり中寮にかけて計画している。
8・10課長補佐から口頭で、安全確保のための要望書に対する回答を受ける。7・7の学部交渉時と同じ、「寮生の名簿を提出すれば考える」という不当な内容。
8・27地裁前で慎重審理を求めるビラまき。8・30以降、9・3まで毎日行う。地裁職員・関係者に情宣がかなり浸透。
9・1前期テスト開始。8日から、10・11まで秋休みに入る。
9・3東京地裁で明渡裁判の進行協議と報告集会(関連記事を参照)。
9・7東京地裁で6.28裁判の口頭弁論(関連記事を参照)。
9・8『pua(ぷあ)』発行。
9・9秋の運動に向けて◯◯をやろう全寮コンパ。
9・16教授会抗議行動。
10・1東京地裁で明渡裁判の進行協議(関連記事を参照)。裁判所に慎重審理を求める署名は累計3387筆に。
10・15冬学期開始に当たり、学部当局が学生に向けて「駒場寮を利用するな」という旨の掲示を出す。学部当局が明渡裁判の準備書面で「浮浪者風の者を含め学外者が多く」寮を不法占拠していると述べていることに対し、抗議文を提出。
10・21教授会抗議行動。
*この間、学内でのビラまき、署名活動、教官に対する話し込み活動も頻繁に行われている。
9・3進行協議後の裁判報告集会


◯駒場寮明渡裁判

次回:11月26日(金)10:30から、東京地裁民事615号法廷。


地裁が人証を認める。12月に証人尋問。


9月3日 明渡裁判進行協議

□結果
 裁判官が国側に証人尋問をやってはどうかと持ちかけ、国側も裁判官がそう言うならと抵抗しなかったため、証人尋問がほぼ行われる見込みとなった。
 具体的なやり方について話し合うため、次回はもう一度進行協議をやることになった。

□提出書面
寮側:1通。
訴訟進行に関する意見書
一.本件の争点
 1.本件は本来大学自治内部の問題であるから、司法判断による解決になじまない。これまでも、本件請求は不適当なものとして訴えの却下を求めている。
 2.寮生は駒場寮の占有・使用権限を有する(理由:大学と寮自治会との合意/事実たる慣習/大学の行った廃寮決定は無効/大学と個々の寮生との間の賃貸借類似の契約/原告の請求は権利濫用)。
 3.明渡訴訟の前提である占有認定はずさんである(占有場所を特定していない/占有していない者も含めて寮全体を「共同占有」していると原告は主張している)。
二.人証の取り調べの必要性
 1.寮の管理運営について大学と寮自治会との合意文書が作成されるに至った経過・管理運営の実態などが正しく認識されなければならない。
 2.廃寮決定と明渡請求が権利濫用か否かを判断する基礎となる事実について両者に争いがある。
 3.寮生らの占有使用の事実を認定することも必要。
三.本件紛争の争点をふまえた公正な訴訟進行を
 本件には争点に関する事実に争いがあり、事実認定が必要である。そのために人証に関する取り調べは不可欠である。裁判所が人証を採用しないならば、寮生らは一度も自らの意見を述べる機会のないまま訴訟が進行することになる。

国側:4通。
1.準備書面(五) 建物が早期に明け渡されるべき必要性について。メディアセンターなどの跡地計画を理由に述べている。
準備書面で主張する事実の証拠説明書として、
2.陳述書 浅野攝郎学部長。跡地計画について。
3.CCCL駒場パンフレット
4.駒場地区駒場气Lャンパス第一次整備計画概要 図面など。


10月1日 明渡裁判進行協議

□結果
 寮側はかねてから20人の証人申請をしていたが、この日は特に重要な7人を再度申請した。これに対して裁判官は3人ではあるが初の人証を認めた。次回は11月26日に1度口頭弁論を行い、その後証人尋問に入る。
・証人尋問第1回 12月10日(金)13:30から、東京地裁。
  寮OBのNさん=100分。寮自治の実態、84年の負担区分合意書の作成経過などについて。
  寮生Sさん=70分。廃寮決定後に大学当局が行った違法な自力救済行為、跡地計画の不合理性などについて。
・証人尋問第2回 12月21日(火)13:30から、東京地裁。
  永野三郎(学部長特別補佐)=120分。廃寮決定の経過や跡地計画について。
 証人尋問では、主尋問と反対尋問が行われる。法廷は、これまでより大きい部屋を裁判所に要求する予定だが、認められなければこれまでと同じ民事615号法廷になる。

□提出書面
寮側:1通。
証拠申出書(二) これまで証人申請した20人のうち特に重要な7人について、立証の内容と必要性について述べた。

□解説
 裁判所が証人尋問を認める方向に動いた背景として次のことが考えられる。相変わらず裁判官は、法律論的には証人尋問するまでもないと思っている。が、当事者の納得できる形をなるべくなら担保したいとも考えており、加えて近年、司法改革絡みで裁判所批判が強まっていることに敏感になっている。そこに寮自治会が集めた署名が効いたのではないか。
 進行協議開始当初の裁判官の態度を考えると、証人尋問が認められたことは弁護団・寮自治会の運動の大きな成果であろう。裁判官は早期に裁判を終わらせようと意図しているようなので、それをくつがえし慎重な審理をさせていくことが今後の目標となるだろう。

6.28裁判

次回:10月26日(火)13:15から、東京地裁606号法廷。


 1997年6月28日、教養学部が教職員200名、警備員150名を動員して北寮の一部と寮風呂の破壊工事を強行した際、警備員の暴行によって怪我人が続出、4名が救急車で運ばれるにいたった事件(=6.28事件)の責任を問う裁判の経過について報告します。

 去る6月1日の口頭弁論をもって、警備会社を被告とする損害賠償請求訴訟と国家賠償請求訴訟とが併合されたが、これまでのところ国賠訴訟の方だけが進んでいる。
 被告=国側は、原告の訴えに対して「否認」ないし「不知」の立場をとり、「公務員たる……三名の具体的な違法行為が特定されなければ、これに対する適切な認否反論をなし得ない」として、
(1)三鷹特別委・生井澤寛の暴行の具体的な様態、
(2)評議員(当時)・永野三郎、特別委委員長・小林寛道、生井澤の警備員に対する暴行指揮の時刻・場所・内容を明らかにせよ
との求釈明を行なってきた(6月1日付答弁書)。これに対し原告側は、準備書面(二)(三)を提出して問いに答えた。
 9月7日の口頭弁論では、これを受けて次回までに被告側が答弁することが確認された。

●次回からようやく実質的な審理に入るものと思われます。
 10月26日(火)1時15分〜 東京地裁606号法廷


【準備書面(二)】 一九九九年七月一三日
[生井澤による暴行の様態を問うた部分への回答=略]
[三教員の指揮の時刻・場所・内容を問うた部分への回答]
 生井澤は、本件現場である駒場寮北寮二階班の指揮者として、一九九七年六月二八日午後二時半頃、約二○名の訴外会社ガードマン……を指揮して、原告〓〓及び同〓〓に暴行をなさしめた。
 訴外小林寛道……は、本件現場の最高責任者として、右同日午後二時半頃、駒場寮北寮東側前約10メートルの地点において、同寮にたてこもる学生らを排除する目的で、ガードマンらが右学生らに暴行を加えることを認識容認して、右ガードマンらに対して、総攻撃指令を発した。
 訴外永野三郎は、一連の駒場寮解体攻撃の大学当局の最高責任者として、右同日同時刻頃、東大駒場キャンパス某所において、右小林に対して、同寮にたてこもる学生らを排除する目的で、ガードマンらが右学生らに暴行を加えることを認識認容して、右ガードマンらに対して、総攻撃指令を発するよう指示した。

【準備書面(三)】 一九九九年九月七日
(被告国求釈明に対する釈明・原告〓〓に対する暴行傷害行為の様態)
 六月二八日午後二時半ごろ、原告〓〓が他の寮生ら三〜四名とともに東京大学駒場寄宿寮北寮二階廊下東側窓から外の状況を見ていたところ、誰かが「来た」と言った。原告〓〓が振り向くと、生井澤を先頭に多数のガードマンが廊下西側から駆け足で突進してくるところであった。原告〓〓が生井澤に対し「何をしに来たのか」と質問したが、生井澤はこれを無視し、原告〓〓らを指さし、ガードマンらに対し「あそこだ」と指示した。そして、生井澤を含む一団はさらに原告〓〓らの方に突進し、まず三名ほどのガードマンが原告〓〓の左前方にいた寮生に掴みかかり、右寮生が原告〓〓の方に押されてきたため、原告〓〓が右寮生の腰部を抱きかかえるようになった。その途端、突然、原告〓〓は、生井澤またはガードマンに頭部を掴まれて、前方にひきずり倒され、右半身を下側にして横向きに倒れていき、廊下にうつぶせに倒れた。その後、原告〓〓は、背中等を生井澤またはガードマンに踏まれ続け、意識を失った。


OBインタビュー 第6回 奥津 融(とおる)さん (56年入寮 百姓)


  合気道部。工学部鉱山科卒。現在、農牧場経営。


--廃寮問題はいつお知りになったんですか?

寮祭に来た加藤登紀子さんのコンサートに行ったんです。そのとき寮の中を歩きましてね、愕然としたんです。で、こういう歌を詠んで寄せ書きに書いたんです。「青春の跡 訪ひくれば 駒場寮 魑魅魍魎の 住処なりきか」(笑)。(寮の状態を見て)何とかしたいなという考えがふつふつとみなぎってるんです。

--はあ。だいぶ昔とは変わったと。

(寮内が乱雑になったのは)安保のときからですか。住まいじゃないですね。みんな壊れちゃってますねえ。机もベッドもないんじゃないですか。廊下に看板なんかが積んであって。そりゃ、昔もきれいじゃなかったですけどね。

--最近は寮生がきれいに整理していますけど。

ああ、そうですか。

--入学年度は、何年ですか?

1956年です。あのときはたしか亀井静香が同期です。合気道部でいっしょでね、彼が主将で、僕が副将だったんだよ。僕は寮のサークルは応援部にいてね。応援部の部屋に住んでいました。まあ、どちらも右翼の方だな(笑)。亀井もだいぶ偉くなって、総理大臣になるかな? 無理かな?(笑)。

--当時、亀井氏とのおつきあいは?

クラブで一緒だったから、毎日稽古して。あいつはあの通り品が悪いからね(笑)。他に後輩もいっぱいいましたからね。よくまあ、遊びましたよ。

--その当時から議員になると言っていたんですか?

いや、彼は警察庁に行くんだって言っててね。警察官になるんだと。車に乗っててスピード違反か何かで止められたことがあって、そのとき警察官に「おれは将来警察庁に行く人間だ」とか言って(笑)、相手を威圧して丸め込んだりして。昔から人を食ったような(笑)、すごいやつだった。

--サークル活動が中心の生活だったんですか?

遊びが中心で(笑)。全然ノンポリの学生でした。講義の方はぼつぼつで…(笑)。勉強のことは今から考えると悪夢ですよ。麻雀もやったね、お酒も飲んだね。ダンスもやったね、うん。

--合気道は熱心にやってらっしゃったんですか?

ええ、いちおう副将だから。そんなに弱い方じゃなかったねえ。あれは試合はしないんです。演武会と言って、型を披露するんですね。

--練習は大変じゃないですか?

そんなに大変でもないですよ。昼休みに小一時間だからね。夏休みは伊東の方に行ったり、合宿があったけども。楽しい四年間で、あっという間に過ぎちゃったね。合気道部は女性が多いんですよ。憧れちゃうのかね。

--護身術になるからじゃないですか。

うん、護身術にもなりますけどね。やっぱり精神の修行だろうね。練習を続けていくのは大変だよ。

--合気道は体を鍛えるのに役立ちましたか?

うん。鍛えた人は、腕は細いんだけど力はある。(腕を伸ばして)力を集中するとこれが動かないのよ。小指に力を入れると腕が剣になっちゃって。手刀って言うんだね。

--56年当時だと、「太陽族」とか石原慎太郎が流行っていたころですね。

うん、そのころですね。「太陽の季節」ね、障子紙を破ったとかいう話(笑)。

--寮祭に石原慎太郎が来訪した写真が、寮委員会の中央記録に残ってますけど。

ああそうですか。僕は自分のサークルもやってたからね、資金集めのダンスパーティなんかやって。卒業の年の五月祭に吉田茂が来たかなあ。当時のことは、まったく夢の中みたいな感じですねえ。今となってみれば。

--食事は寮食堂ですか?

うん。腹が減ったら残食を食いに行ってな。残食ってあった?

--いや、僕のときはもうなかったです。食券を買って食べるだけで。

夜10時ごろにブザーがなるんだよ。その日余った物を適当に食えるようにして、それを現金で買うんだよ。まあ、夜食だね。30円とかそんなもんだよ。あるいは、駒場の町へ行って、食堂でメンチカツが50円で食えたな。あれはうまかったな。そのころは飯食う物もなく、金もなくってさ、かつかつにやってたよ。

--資料に残っているんですが、56年の6月に寮規約の改正があって、ストームが禁止になっているんですが。

ああ、夜歩きか(笑)。杖をつきながら、歌いながら、廊下をのしのしとデモるわけよ。酔っ払って。

--先輩が来ると断われないような上下関係があったんですか?

いやあ、応援部なんかはできたばっかりの部だから、そういうことはあんまりなかったなあ。学生のころは金がないから、みんな同じだよ。みんな貧乏人だったよ。まあ、懐かしいね、寮のことはね。だんだん思い出してきたよ。

--寮で過ごした経験はその後の人生に何か影響を与えましたか?

そうねえ…。学生時代に遊び半分で通信添削の事業をやったことがあります。中学生ぐらいの易しいレベルのを。それをやってみて、事業を始めるというのは案外難しいもんじゃないなと思った。会社勤めを10年でやめた後も、事業を始めました。それは失敗とは言えないまでも、不成功だったな(笑)。渋谷の近くに店を作って、自転車屋を出したんです。駒場に住んでいる学生がよく来てましたけど。まあ、百姓をやれば何とでも食っていけるというセーフティ・ネットがあるからできたんだろうなあ。

--では、お仕事についてうかがいます。

今は百姓が面白いね。金にはならないけども。仕事は難しいって言えば難しい、易しいって言えば易しい。一応、一通りの物は作れるけどねえ。今、牛・鶏を飼っていて、自給自足なんだよ。

--作った物は売ってないんですか?

うん、売ってますよ。売らなきゃ、機械も電気もガソリンも買えないからね。牛は、和牛の肉用牛です。あと、お米は150俵ぐらいかな。産直、有機・無農薬って言ってるんですけど。無農薬は、雑草が生えるからなかなか難しいですね。除草剤をやらないとね。
一時、玄米食をしてたんですよ。そうすると、胚芽を食べますよね。胚芽はリンなどの養分が濃縮したところで、農薬とかの成分も一番凝縮して溶け込んでるわけでしょ。それを食べるんだから、玄米を食べるんだったら無農薬でやろうという気になったんですよ。ただ、今は足を悪くして農作業が大変だから、もう無農薬はやめた。減農薬ということで、除草剤だけ使って、あと苗作りのときだけ殺虫剤を使って。

--お米の銘柄は?

コシヒカリが主で、あと餅米と秋田こまちと。やっぱり化学肥料を使ってないから、味は違いますよ。今は安い米が売ってますけどね、「これでもコシヒカリ?」というのがあります。新潟のお米がおいしいって言うけど、うちの米をあげた人は新潟の魚沼のお米と変わりはないって言います(笑)。

*化学肥料を使ってハウス栽培された野菜は、露地栽培で堆肥で作った野菜とは味も香りも大違い。また、殺菌剤や殺虫剤を使うと、有機酸・アミノ酸などの「おいしさの素」を分泌する微生物相が一変してしまう。そういうまずい野菜を食べさせられているから野菜嫌いの子供が多いのだと言う。

--お米は、何人で作ってらっしゃるんですか?

息子と女房と、僕がちょっと手伝うだけ。米を作って玄米にするだけなら一人でもできるんですよ。ただ、わらの始末があるでしょう。わらを束ねて乾かすのが大変でね。

--乾燥させて牛の餌にするんですか?

そう。だから、貯蔵しないといけない。そのあと、田にれんげを蒔かないとね。赤い花が咲くでしょ。あれは、緑肥になるんですよ。それから、精米機から出た糠は、牛の餌にもするけども、堆肥と混ぜて肥やしにしたりね。糠はほかの有機物よりもリンが断突に多いので、すごく米の味が良くなるね。

*大雨が降って田んぼに水があふれたあと、田に300匹余りの鮒が泳ぎ回っていたことがあったそうだ。堆肥を田に入れているので、鮒はその匂いを嗅いで、ここには子供の餌になるミジンコが大量に発生すると察知し、産卵に上がってきたのだろうと奥津さんは推測している。

--牛は何頭いますか?

いま12頭。見せましょうか(笑)?

--ええ、あとでぜひ。世話は大変じゃないですか?

牛で大変なのはお産のときね。繁殖と肥育と両方やってるからね。太りすぎると受胎しなくなるんですよ。そうすると、かわいそうだけど屠殺だね。あまりかわいがるとペットになっちゃうからね。メスは子供を産むまで育てるけど、オスは9ヵ月か10ヵ月でもう売りに出しちゃうんですよ。いいやつだと40万ぐらいしますからね。いずれにしてもあんまり儲かるもんじゃないから、堆肥を取るのが目的でやってるんです(笑)。

--米と牛と両方が組み合わさってるわけですね。

そうそう。くず米とか糠も餌にしてね。餌にする草は高いから、おからを持ってきてわらを乳酸発酵させて牛にやります。これまでいろいろ理想を持ってやってきたんだけど、もうこのごろはだめになっちゃった(笑)。

--理想とは?

完全なる農業さ(笑)。肥料も自給だし、種もできれば自給、農薬は使わない、餌も自給と。有畜農業は、牧場と農場が循環してるんだね。食べ物もその中から得ようと(笑)。機械もいっぱい買い込んで、トラクターを3台も買ったし、バキュームカーも買って、自分の下肥を捨てるのはもったいないから堆肥に混ぜてね。風呂を燃すのも太陽熱と廃財でやってて、給湯にはガスや石油は使ってないの。そういう完全なる農業、完全なる「百姓」。「百姓」という言葉も歴史的には、たくさんの職業という意味だよね。いまは農業の蔑称だって言ってるやつがいるけど、いいんだよ。おれは「百姓」で通す。
鶏も飼ってるし、あと麦も作ったでしょ、大豆はうまくできなかったけど。乳牛でも一頭飼えば、乳をしぼれるから全部自給できるんだけどね。忙しいからちょっと無理だ。5、6人で協業すればこなせるんだろうけど。

*「完全なる百姓」とは、a.食料の完全自給、b.化学肥料・化学農薬の不使用、c.化石エネルギーの完全自給(cは現状では困難)と定義されるとのこと。

--一年でいつが忙しいですか?

田植えと取り入れが農繁期だね。雨が降ったらいけない。ヨーロッパみたいに雨期と乾期がはっきり別れてるわけじゃないから。3日に1回は雨が降るから。だから日本で麦を作るのは大変なのよ。麦は元々ヨーロッパの乾燥した所のものだからね。北海道はいいけど。

--秋、冬は日本の太平洋側も乾燥してると思いますが。

取り入れが5月でしょ。梅雨の前だけど、わりに雨が多いから。日本はやっぱり米の国だよ、麦は買うしかないよ。栃木とかでけっこうやってるけど難しいですよ。雨が来たら、もたもたしてると腐っちまうからね。取れないときはもう全滅ですよ。

--最後に、寮の今後の展望についてご意見を。

今日来てもらって一つ言いたいことは、(『いろは』を指して)こういう廃寮反対の仕方はうまくいかないと思う。自分たちで金を出し合って財団を作って、寄付を集めて、自分たちで寮を建てようと以前も提案したんだけどね。税金でやるんなら、結局、国民の共感を得られないよ。

--建てるのはどこか大学の外にですか?

いや、構内にあるのが昔ながらの伝統だからね。いま一棟残ってるの?

--二棟残ってます。

だったらね、敷地を貸してくれと言えばいい。自治で自分たちで運営しようと言ってるんでしょ。だったら金も自分たちで出せばいいじゃない。でも学生は金を出せないから、OBで出そうじゃないか。OBは偉くなってる人もいるから、いっぱい出せる人もいるんじゃない?(笑)。OBは一万人ぐらいいます? 僕が自腹を切るとしたら、息子がもう一人いると思えば、100万ぐらいは出せるでしょう。一棟建てるのにどのくらいかかるの?

--ちょっとわかりませんが、でも今の建物を修理して使うのであれば、そんなに金はかからないでしょうね。

そうだね。だけど、これからの暮らしはインターネットもやるから、今の建物のままじゃ無理だろうなあ。だから一棟はそのままで、一棟は建て替えることにして、だれかにボランティアでアウトラインだけでも設計してもらったらどうだろう。そういう計画を一度立ち上げてみたいんだよ。そういうことを『いろは』で主張してみてよ。
こないだの都知事選も、東大出は全員負けたでしょ。東大は疑いの目で見られてて、世の中に信頼されてないんだよ。国民の支持・信頼を得られないことばっかりやってるから。「自分たちで寮を維持しよう、国民の負担は求めない、浄財があったら支給してくれ」となったら、「そうか」となりますよ。僕だってクラスやサークルで2、30人くらいは顔を知ってるから、そこから広げていけばいいでしょう。

--以前に、退官された教官がそういう提案をされていましたけど。

ああそう。それは『いろは』に載ってるの? 

--はい。1年ぐらい前に。(本紙13号[98/5/24]掲載の、平澤氏ら三教官による「
教育研究を柔軟に包みこむハビトゥスを駒場に」のこと。)

それは投稿されたの?

--いえ、退官されるときに駒場の教官に向けて送られた文書です。

ああそうなの。教授の中にも、寮出身の人がいるだろうし、残したいという気持ちを持っている人もいるんだよ。だけど国民の税金でやろうというと支持を得られないもんなあ。「自分たちも汗をかいて血を流してやるから」と言えば、「じゃあ、おれも応援しようか」という気になりますよ。「隗より始めよ」だよ。

--できればやってみたいですね。今日はどうもありがとうございました。

10月某日。小田原にて。

奥津農牧場の牛


文学に描かれたる駒場寮

中平 豊


 長い残暑も終わり、すっかり秋。読書にいい季節です。読書家が多いであろう『いろは』読者のみなさまに、僭越ながら読書案内をお送りします。駒場寮が描かれた文学作品を集めました。

◯=一般書店で入手可。□=古本屋で容易に入手可。■=古本屋でも入手やや難。◇=書店での入手難易度不明。

随筆

◯羊の歌 加藤周一/岩波新書(1968年)
 自叙伝だが、日常経験の回想を通じてまとめられた社会史としても読める。著者は1937年入寮。寮の自治・風習についてクールな態度で記述し、当時の寮生活や教養学部の様子をよく伝えている。駒寮ファン必読書。

「私は昔父が住んだ旧制第一高等学校の本郷の寮を知らない。私が三年間住んだのは、学校が駒場に移って一年後、戦後に東京大学の教養学部が使ってきた建物である。建物はコンクリート造りで、その頃はまだ新しかった。土地柄も本郷を知っていた学生や教師たちにとっては、新しかったにちがいない。駒場には、本郷の古本屋もなく、通い慣れたおでん屋も、酒を飲んで騒いだ牛肉屋もなかったはずだろう。またその隣に東京帝国大学がなく、そもそも渋谷まで行かなければ商店のならんだ町というものがなかった。それにも拘わらず−いや、おそらくそれ故に、一高(中略)の学生たちは、ながい間に本郷で先輩がつくりあげた慣習を、新しい土地と建物のなかにもちこもうとしていた。」


◇旧制一高の非戦の歌・反戦譜 稲垣眞美/昭和出版(1994年)
 戦時中の1942年から旧制一高がなくなる1950年までの間の駒場寮が詳しく描かれている。(この本は著者が寮委員会に何冊か寄贈されているので、寮でも入手できると思います。)

「旧制一高では、紀念祭が行われる毎に在校生から寮歌を募集し、入選歌を新しく発表する習わしであった。(中略)
 その昭和(ママ)十七年六月の紀念祭で一席(一位)となった寮歌が、のちに“非戦の寮歌”として、戦争末期に一高の生徒たちに愛唱されることになった「運(めぐ)るもの星とは呼びて」である。」


◯我らの時代---メモワール:平和・体制・哲学 岡田裕之/時潮社(1999年)
 自叙伝的エッセイ集。著者は1945年旧制一高入学。法政大名誉教授でソヴィエト経済史専攻。わだつみ会元事務局長。東大時代は共産党活動家として活躍、不破哲三こと上田建二郎と同世代だそうである。

「善とはなにか。人間はいかに正しく行動すべきか。正義とはなにか。ここに決断すべき転機が突然のように到来する。48年2月の一高紀年祭へのGHQの干渉である。共産党細胞はさすがに反米の抗議の意思表示デモをよびかけ、党員の橋本を先頭に正面校舎にデモを行った。だがこれを契機にした私の入党、と細胞活動の公然化、47年の授業料不払い運動以来の、一高内の学生運動は活発化し党活動がさかんになり、古典の読書から政治、政党活動が哲学研究会のメンバーの支配的な生活になってくる。上田耕一郎、平岡茂樹らの社研から哲研が活動の中心になる。寮委員長選挙に高沢寅男(文乙)を押し立てて選挙運動を全寮でおこなう。」


◇回想の東大駒場寮 高橋健而老/文藝春秋(1994年)
 1950年のレッドパージ反対闘争のころの寮が詳しく描かれている。当時の寮生の人物紹介も豊富。

□ムツゴロウの青春記 畑正憲/文春文庫(1974年)
 著者は1953年に入寮。自叙伝の中で駒寮をユーモラスに描いている。

「入り口に管理のオバサンがいて、手紙類を渡してくれたが、すぐさま顔なじみになった。なにしろ私の場合、毎日同じ相手から手紙がくる。多い日には午前便と午後便の両方、それに速達がまじった。(中略)
 このオバサンについては、入学前から知っていた。強度の近視で、ときどき文字を読み違えるというのだ。私の先輩に鶴という名の人がいたが、帰省した際、
「同じ建物に、鴨という名の人がいてねえ、鶴と鴨を間違えられて迷惑している」
とこぼしていたからだが、」


◇人知れず微笑まん 樺美智子/三一書房
 日記、ノートなどで構成された遺稿集。所属していた歴研が出てくる。

◯突破者 宮崎学/南風社(1996年)
 破天荒な自叙伝。早大生時代に共産党のゲバルト部隊として駒場に派遣され全共闘とぶつかったくだりで、寮食堂や北寮が出てくる。

「駒場寮食堂は木立のなかにぽつんと建っていて、三本の通路で外部とつながっている。大会開催から一時間後、色とりどりのヘルメット姿の全共闘七〇〇人ほどが三本の通路に別れて大会会場に殴り込みをかけてきた。(中略)
 リーダーの「突っ込め!」の号令一下、全共闘の一団は寮の前で会場防衛のために坐り込んでいた学生や職員に殴りかかった。坐り込み学生が逃げまどい、折り重なって倒れる。」


◯嬉しい街かど 武田花/文藝春秋(1997年)
◯季節のしっぽ 武田花/角川春樹事務所(1998年)
 どちらも、すがれた場末の街を訪ねるフォト・エッセイ。前者には、明寮裏の渡り廊下を歩く駒猫、後者には、寮食堂の煙突・南ホール前に放置された椅子・一研裏に捨てられた寮の畳ベッドの写真が登場。著者は『アサヒカメラ』にも寮の写真を発表しているので、駒寮をかなり気に入っているのではないか。

小説

■わが一高時代の犯罪 高木彬光/角川文庫[光文社文庫版もあり](1951年初出)
 1930年代の駒寮、駒場キャンパスを舞台にした推理小説。夜の一号館時計台の屋上から寮生が失踪、その謎を追って物語が展開する。一高生の友情、自治の精神をしみじみと謳った名作。風紀委員・自習室など当時の寮生活の様子も事細かに描かれている。実在の人物、三谷隆正教授も作中に登場。著者は京大出身。これを読んで以来、夜に時計台の下を通ると胸騒ぎがするようになった。駒寮ファン必読書。

「その年の四月なかばのある日のこと、私たちは物理の授業を終わって、銀杏の並木のつづく大通りを三々五々、寮へ帰ってきた。
 あの女は、北寮の入り口で、西式を待っていたのである。
 年に一度の記念祭に、寮の内外を開放する以外は、一高は女人禁制である。(中略)
 濃い紺のスーツをきりりと身につけた、あかぬけのした女だった。支那事変が始まってからというもの、非国民の代名詞、象徴にされたぐらいのパーマをかけてすっきりとした姿で、バッグをかかえて立っていた。(中略)
 私たちはこの女に、ちらちらと注意の眼をむけ、寮の入り口に近づいていった。」


◯草の花 福永武彦/新潮文庫(1954年初出)
 代表作。一高時代の駒寮をモデルにしたと思われる学寮が舞台。青年の孤独がテーマ。著者は1935年一高入学。

「食堂の中では、先輩も後輩も入り乱れて横に細長い食卓に席を占めた。しかし先を争うほどの御馳走が嘗て一度も出たためしはない。朝はきまって若布の味噌汁、昼は油揚とひじきの煮附、晩はたいてい煮肴で、たまにブリの刺身が出ても、ぶった切りの切身の横に食えもしない海藻が山ほど盛ってあった。僕等はてんでに悪口を言い、持参の缶詰をそこここで明けて、喋った分だけ余計にお櫃を空にした。」


◯小説 東大法学部(上) 大下英治/角川文庫(1989年)
 1940年に寮委員長になった山下元利の話が出てくる。

「委員長就任から五日目の五月十三日の昼休み、元利は福田亮太(元電通副理事)とともに佐藤得二生徒主事に呼び出された。
 「じつは、夏休みに、うちの寮を貸してほしいという依頼が、外務省から来ている」
 佐藤生徒主事によれば、外務省は、日本に属する満州、朝鮮などの外地領事館に派遣する三百人の巡査の教育研修をするために、一高の寮を借りたい、ということであった。
 山下と福田が不審に思ったのは、すでに一高の代表が、外務省に了承しているのではないかということであった。
 もし、そうなら、学生の自治を真っ向から破壊するものだ。」


◯されど われらが日々− 柴田翔/文春文庫 (1963年初出)
 1950年代前半、「血のメーデー」「六全協」などを時代背景にした青春群像。芥川賞受賞作。

「友達からその話をきいて丁度二週間目の土曜日、私は堪え切れずに、駒場寮の歴研の部屋を訪ねました。
 それは残暑の厳しい日でした。私が上草履にはきかえ、中寮の暗い狭い階段を昇ろうとした時です。ふと、上をみると、思いがけなく野瀬さんがそこに現われました。野瀬さんは階段を二、三段降りかけて私に気がつき、はっと息を呑むように立ち止まりました。」


□贈る言葉 柴田翔/新潮文庫(1971年)
 自叙伝的小説と思われるので、53年ごろの駒場寮だろう。心が充たされない主人公は、同年輩の他人とまじわって手応えのない生活を変えたいと、入寮を決意する。この動機は現代にも通ずるのではなかろうか。

「夏休みになった。ぼくは、秋の試験の準備という口実を設けて、F市へは帰らず、暑さと埃の東京で、孤独な生活を送っていた。寮の八人一部屋の同室者は、ぼくを除くほか、皆帰郷していた。汚れ、殺風景なコンクリートの部屋に、夏の空虚が漂った。無恰好な木のベッドに坐っていると、そこにはめ込まれた古畳に、額から汗が流れ落ち、面白いように汚点を作った」


◯僞證の時 大江健三郎/文藝春秋[『死者の奢り』所収](1957年初出)
 初期の短編。駒場寮が舞台。1954年に寮で起こった不法監禁事件(=3・14事件。運動内部に潜入した権力のスパイを活動家が駒場寮に監禁したため、4人の学生が警察に逮捕された事件)を題材にしている。「偽証」の是非が直接のテーマであるが、著者の関心は、運動政治上の「倫理」に向けられているのではない。主題は、この単行本所収の他の短編と同様、「監禁されている状態・閉ざされた壁の中に生きる状態を考える」ことにある。たしかに、外界から遮蔽された密室で人間の内面にある衝動が顔を出すと恐ろしい。駒寮ファン必読の問題作。著者は54年入学だが、寮生ではなかった。

「廊下の両側の学生寝室の凡てのドアは閉ざされ燈も灯っていなかった。私たちは足音をしのばせゆっくり歩いて行った。廊下は寒かった。T大寮の三つの鉄筋コンクリートの建物のうちで、この一棟だけ廊下に暖房の装置がないのだ。私は木田にしっかり腕を掴まれた贋学生をやりすごし、西階段の降口で立ちどまって、冷たい硝子窓に額を押しつけた。深ぶかした夜の展がりの向う、暗い生物学教室の向うに柔かい雪明りが見えた。」


ノンフィクション他

◯学歴貴族の栄光と挫折 「日本の近代」シリーズ 竹内洋/中央公論新社(1999年)
 著者は京大教授。教育社会学専攻。学寮や旧制高校についていろいろ書かれている。

◯<現在>との対話1 ポスト・モダニズム批判/拠点から虚点へ 柄谷行人+笠井潔/作品社
社学同再建の際の話として、柄谷行人(1960年入寮)が駒場寮にいたということが紹介されている。

◯建築探偵術入門 東京建築探偵団/文春文庫(1986年)
 東京・横浜の古い西洋館を追跡した本。探偵は駒場寮にも訪れている。

「期待していた“万年床に寮雨”という超俗的な日常を容れるにふさわしい傾いたアバラ屋ではなく、当時としてはモダンなスタイルの鉄筋コンクリート造である。いささか拍子抜けの感があった。」


◯二十歳のころ 立花隆+東京大学教養学部立花隆ゼミ/新潮社(1998年)
 立花隆ゼミの学生が、主に著名人に対し二十歳のころについてインタビューした本。立花隆(1959年入寮)自身もインタビューの中で、監査委員をやっていたことなど寮生時代について話している。寮関係者では他に寮OB一人、元サークル生一人がインタビューされている。加藤登紀子(1962年入学)、野田秀樹(1975年入学)も掲載。

映画

・偽大学生 増村保造監督/大映東京
 四方田犬彦著『狼が来るぞ!』(平凡社)に紹介されている。大江健三郎の『僞證の時』を映画化した作品。駒寮でもロケをしたらしい。四方田の解説から考えると、冒頭とエピローグには原作にない話が付け加えられ、よりドラマチックに脚色されているようだ。残念なことにビデオ化はされていないそうである。増村保造(故人)は東大法学部で三島由紀夫と同期だった人で、三島の作品の監督もしている。寮生だったかどうかは不明。

 調べてみると、意外にたくさんあるものですね。みなさんは上の作品をお読みになってどのような感想を持たれるでしょうか。駒場寮を描いた作品は、まだまだありそうです。ご存じでしたら、ぜひ「支援する会」までお知らせください。本紙で紹介していきたいと思います。


座談・我が手の歴史を! 第二回:84-85駒場寮


「現在が過去を操る。」それが言及の必然だとしても、嚥下不能な異物を標すこともまた不可能ではない。
参加者:八谷正太郎さん(84年入寮。お茶の会。104期寮委員長。大学教員)
    村上智之さん(84年入寮。日曜会。105期寮委員長。商社勤務)
    柴田隆行さん(84年入寮。北幇。106期寮委員長。予備校講師)
     
司会:足達(84年入寮)
--みなさん全員84年入寮ですので、84年当時のことを振り返っていただきたいと思います。どういう寮生活だったのか、どういう時代だったのか。
村上:どういう時代と言われても、ほとんど寮の外に出てなかったのでよくわからない。「夕焼けニャンニャン」*をやってたことぐらい。
柴田:「オールナイトフジ」*があって。
村上:渋谷の養老の滝が朝までやってた。
柴田:夜中に渋谷のペンギンズバーに飲みに行った。
八谷:博多ラーメンでふくちゃんというのもできた。あと、寮生にとっては、いろは(駒下の飲み屋)の存在を抜きにしては…。
村上:いろはのおばちゃんが生きてた。
八谷:生きてたって、まだ…(笑)。
 *当時の若者がよく見ていたテレビ番組。

<入寮前後>
--入寮したきっかけは?
村上:大阪の私立高校出身なんですが、小学校からボーイスカウトをやってて、みんなとわいわいやるのが好きで、最初から入学したら駒場寮に入るのは決めてました。
--寮は知ってたんですか?
村上:なぜか知ってた。合格発表の時に寮生のN野さんが本郷で振る舞い酒をしてた。入寮手続きの時にパンフレットを見て、たまたま「日曜会」がでかかったから。中寮の29、30のSBで、定員も多かったし「野球、酒、麻雀」て書いてあるから、これはぴったりやと思って。で、入る前に想像してた通りの生活でしたから笑いましたね。野球、麻雀、酒、合コン。だから楽しく過ごしましたよ。
柴田:僕は福岡の県立高校なんです。大学に入る前はほとんど知らなくて、入学願書の中に寮の案内が書いてあって、「徒歩0分」(笑)。これはすばらしいと思って。費用がかからないし。
村上:それと部屋はきれいでしたよ。それでうちの高校からもう一人受かった理三のやつなんだけど、入寮を強く勧めたんだけど、リジェクトされまして。そいつは大学の近くに下宿してたんだけど、ノイローゼになって休学してたよ。駒場寮入ってたら、もっと早くノイローゼになってたかも(笑)。
柴田:それじゃ、まずいじゃないか(笑)。
八谷:僕は田舎の私立高校にいて、その時から既に寮生活をしていて…。東京に出て来て一年間予備校にいたんだけど、そこでも寮生活をして、寮には慣れていた。駒場寮は安くて近い。高校の同級生も先に入っていた。その気安さもあって、彼のいる「お茶の会」に入った。
柴田:僕は「北幇(ぺいぱん)」。
--安い下宿に行こうとは思わなかった?
村上:全く思わなかった。
八谷:下宿は探しにくいと。
柴田:どうやって探したらいいのかわからない、田舎者には。一人暮しをするのは不安があった。東京は何もわからないし。
八谷:寮に入って最初の歓迎コンパで二人倒れた人間を見た。その一人が柴田で。
柴田:どこで倒れてた?
八谷:バケツ持って寮食堂で。歓迎コンパでサークルごとに一芸を見せろって言われて、お茶の会も先輩のI田さんの指導の下に一芸を披露したんだけど、全然受けなくて。I田さんが責任を取るって言ってイッキ飲みをして、その後トイレで倒れていた(一同笑)。

<寮生活>
八谷:部屋割は基本的に3人で、きっちり3分割している部屋もあるんだけど、だいたいはどんぶり勘定で。Fさんといっしょに住んでた人は自分のスペースが一畳ぐらいしかない。ドアの脇に備品のロッカーがどどっと並べてあって、家具を越えていかないと自分のスペースに入れない。そこでじーっと一人でいるんだよ。で、あとの広大な20畳ぐらいを残りの二人が使っていた。
村上:それはセミクローズドだね。
八谷:いや、それはクローズドとは言えない(笑)。
柴田:一人だけクローズド。
八谷:そういう自由な住み方があった。あれは印象的だった。
村上:日曜会は四部屋で全部オープンで、11人ぐらいいたから、もうめちゃめちゃやったよ。麻雀は誰か必ずしてるし。
八谷:麻雀部屋はあった?
村上:麻雀部屋は俺の部屋。
--自分のスペースはあるの?
村上:あるある。すごくきれいにしてるから机とベッド置いても、麻雀卓置いて、井出洋介からもらった半自動卓ね。誰かが麻雀してて。で、俺は勉強するときは他の部屋行ってた。あとは漫画読んでるか、テレビ見てるか。だから四部屋は行き来自由。どこで寝ようが。
八谷:お茶の会だって、三部屋のうち一部屋はお茶飲んでわいわいやる部屋だった。
--生活パターンは?
村上:朝は10時ごろ起きて授業一コマか二コマ行くと。その間は麻雀か、生協でぐだぐだしてるか。夕方は「夕焼けニャンニャン」見て、で家庭教師。9時ごろ帰ってきて、そっから麻雀して、12時過ぎてから飲み会。養老の滝。
八谷:標準的なパターン。
村上:標準的なパターン。で5時ごろまで飲んで、風営法の前やから。帰ってきて寝て、でまた朝10時ごろ起きて、完全にその繰り返し。で時々、寮委員会。柴田は授業も出てなかったやろ?
柴田:うーん。最初は出てたんだけどね。八谷は一学期に最高の出席率を誇った上で、ドラ(不可)4つ(笑)。
--授業出ててドラ?
八谷:そう。たんに頭が悪いんじゃないかと(笑)。
柴田:二学期に完全に出なくなって。一週間にゼロコマ。記録を達成して。
八谷:一週間にって言わなくていいんじゃない?(笑)。
村上:夜はどこ行ってたん?
柴田:部屋で飲み会。他の部屋の人が集まってくるから。あんまり外に飲みに行かずに、セブンイレブンに買い出しに。
八谷:二学期からは寮委員会やるようになったから、ずいぶん生活が変わったね。
村上:6月からやな、寮委員なったのは。Y山さんの時だから。
八谷:また、寮委員会がけっこう面白いんだよね。
--会議が?
村上:面白いよ。夜の10時からだけど、いつも。今から思えばとんでもない(笑)。
八谷:寮委員会終わってから、飲み始めるんだよね。
村上:とくにペイが出た日ね。べらーめん行って。
八谷:1時とか2時に終わって、そっから買い出しだからね。
柴田:50年祭があったから忙しかった。
八谷:食い物を部屋で作るとみんな群がって来るんだよね。鍋もやってたね。Y山さんとかね。
村上:だから、寮委員やるまで中寮から北寮まで行かないもんね。
八谷:それで全寮的な動きになったんだ。
柴田:俺の標準的な一日は、昼ごろ起きて北寮売店に行って、ハンバーガーとか寮うどんを買って…。
村上:あった、あった、あった(笑)。
柴田:早ければおばちゃんがいて、パンを買って。寮食堂は時間が合わなかったから。
八谷:特筆すべきは、北寮売店に食パンすら売ってた。生協では1リットルの牛乳を売っていた。
村上:ああ、寮生が便利なように。ふつう自宅生は1リットルの牛乳は買わないわな(笑)。
八谷:当時は駒場寮があるっていうことで、ちゃんと環境が整っているわけだよ。寮食堂あり、北寮売店あり、生協でクリーニングも取り扱ってただろ? 寮食堂は土日もやってたし。
村上:夏休みすらやってたよ、生協。だから涼みに行ってたよね。ただで本読めるし。
八谷:生活環境としての駒場キャンパスってのがちゃんとあったんだよ。

<寮食堂>
八谷:W君は寮から外に出なかった。ボイラーマンをやり、寮勤のバイトをやり、それで生活費を賄っていた。おまけに寮食堂で食べ、生協食堂で食べ、生協で買い物をするということで、50メートル四方で…。
村上:授業出るには200メートルぐらい行かなあかんけど。
八谷:それで生活してた。すごいスピードだった、寮勤バイトの募集に反応して来るのが。寮で生活が完結してるんだよ。収入と支出と。そういう人でも存在できるという豊かさを守っていたわけね、駒寮と駒場キャンパスが。
村上:寮生の鏡やな。
八谷:寮勤バイトが2時間1000円でしょ。
柴田:安いね。
八谷:でも、1000円あれば、駒場から出なかったら暮らせるわけよ。
村上:いや、2日持つ。寮委員のペイがいくらだっけ?
柴田:2万くらいもらってた。あれは貴重な収入だった。
村上:寮食堂覚えてるわ。朝まで麻雀してから食いに行った。で、自宅生で早い奴は寮食で飯食うわけよ。
八谷:飯が80円で、みそ汁が20円で、100円ぐらいで食えるわけだよ。
柴田:のりが10円で。生卵とか納豆とか。
八谷:魚2匹取ったら、大変なブルジョアだった。
--いわしの丸干しもあったね。
村上:昼間、サラダ一皿100円とかあった。
八谷:カレーが200円とかね。
村上:カルトEとかね。

<中寮50年祭>
八谷:(店のBGMを聞いて)これはまさにそのころの音楽ですなあ。ディスコもやりましたよ。この曲もかけました。“Avec moi”とか“With and After”。
村上:順番に言わないと(笑)。祭りが多かった。まず入学して7月に中寮50年祭。11月は駒場寮祭。
柴田:次の年は北寮50年祭(笑)。その次の年からは夏の寮祭が始まった。
村上:83年は話しか知らないけど、百期祭というのをやったんやな。
八谷:百期祭は法被を作ったそうで、我々も購入しました。
--僕も購入しました。
村上:4千円で買ったよ、俺も。
八谷:50年祭の時はTシャツ作りましたね。
村上:人魚の。50年祭の時はダンパをやったんや。
八谷:夜中に二晩くらい続けて練習しましたね。
村上:いやいや、もっとしたよ。
八谷:当日も結局、練習相手と踊ってたよ(笑)。
村上:あれね、雨が降っちゃってね。
八谷:技能持った人がいっぱいいたよね。ダンパをやろうと言うと、ダンスを教えてくれる。50対50っていう合コンもやって。
村上:でも結局、足して50しかいなかったけど(笑)。あの時は、「パーティ・ザ・フィフティ」(笑)。「酔いどれ歌合戦」は毎回やってる。
八谷:やってない。50年祭の時はやってない。
--書いてないね(85年版愛コマを見ながら)。
村上:やってないかあ…。
--「街頭懐かシネマ」をやってる。
村上:思い出した。T原さんだよ。
八谷:これが腐敗したのがY沢がやったやつだよ(笑)。テント作ったやつ。
村上:違う、違う。T夫。あれごめん、俺がT夫そそのかしてやってん。それまだ先の話。今まだ7月や。
--ほかに、「太郎杯争奪麻雀」。
村上:え、じゃ50年祭って俺らも担当持たされてたんか?
柴田:そうだよ。俺が社交ダンスの担当だった。「七夕ダンスパーティ」。
--麻雀太郎って実在の人物なんですか?
村上:太郎さんは亡くなられたNさんですよ。もう十年ぐらい前。夏はディスコなしだよね。社交ダンスだから。

<秋の寮祭>
--秋の寮祭に移ります。
村上:俺、企画厚生部長やらされててん。秋の寮祭実行委員長も決まってたんだけど、俺は免許合宿行ってたわけや、米沢に(一同笑)。帰って来て準備せなあかんなと思ってたら、寮委員長選挙になって八谷が出て。H田が立て看のひげ文字書いて。24枚看かな、あの時は。12の倍数で増えていくだけの話なんやけど。
八谷:「酔いどれ歌合戦」、いつから始まったのかな?
--83年の秋の寮祭からでしょ。
八谷:今もなお、北寮前でカラオケで歌を歌いさえすれば、寮祭の形になるという…。
村上:だって、頼まなくてもなんぼでも参加してくれるもん。
八谷:この当時はね、サポートが違うんだよ。たとえばお酒の寄付があっただろ?
村上:あったよ。日本酒研究会とか。
八谷:先輩を通じて、日本酒が樽でどーんと届いた。それを置いて、ばんばん振る舞い酒をやるという状況が整ってたわけさ。佐Tさんが夜中にがーっと歌っている時に、松濤に住んでいたS先生が怒鳴り込んできて、「何時だと思ってるんだ、君ら!」(笑)。佐Tさんがステージの上で凍っちゃったという…(一同笑)。
--「スピーカー2台をほとんど最大ボリュームにして」って書いてある(笑)。
村上:その時も「秋の夜長徒然麻雀大会」だったと思うけど。
柴田:よく覚えてるなあ(笑)。
村上:ほら、駒祭の準備してる奴らも来るから。
八谷:たまたまいる駒祭の奴らを巻き込むようになったのは、84のころからだね。準備で場所を確保したり用心で泊まってる奴らがいるから。
村上:駒場祭は酒ダメだった。寮祭は酒ばんばんやったから。
八谷:当時の学生委員の先生が国際法の先生で、寮祭は駒場祭の規則が通じないっていうことで酒を自由に出してるのは国際法的に見て正当かどうかというのはなかなか面白い問題であると。
村上:わけわかんない(笑)。
--秋の寮祭の実行委員長をやったのが村上さんで。
八谷:「無軌道・無原則」って。
村上:あとから言われた。「駒場祭は百点満点の管理だった。それに引き替え駒場寮祭は、今後このような無軌道・無原則なことが行われるなら…」。
柴田:泥酔者が出たから原田(当時の第六委員長)が言ったんでしょ。
村上:泥酔者には酒出すなって言われて、俺らも酒の一升瓶をステージに並べてたけど片付けたんや、いったん。横でモツ鍋売ってた人らにも、「気の毒やけど御達しがあるから反応してくれや」言うたら、七夕の短冊みたいなのに「泥酔者にはお酒は出しません」て(笑)、書いてるんだけど泥酔者はそんなの読めないって(笑)。
八谷:“With and After”もなかなか盛り上がりましたよ。あれはフリーフード・フリードリンクだったから。めちゃくちゃだよ。ウイスキーはリザーブを揃えてるし。カクテルもあるし。
村上:この時はめちゃめちゃ人来たんや。
八谷:100人前後。空前のにぎわい。寮所有のミラーボールがあった。
柴田:劇団からライト借りて。
八谷:スモークマシン、ストロボマシンも使ったんだよ。準備に時間をかけてたのは間違いないね。
--祭路線ってどうして出てきたんですか?
村上:Y山さんが寮委員長選に勝ったのが久しぶりなわけでしょ。
八谷:一つには全寮的な懸案がなかった。我々が入った時は負担区分の問題にけりがついてた。
柴田:決着してその後の寮生の生き方が問われたわけで(笑)。
--それが祭に向かったと。
八谷:非民青政権になったってのは大きいんじゃない、祭には。
村上:ゲリラ的な祭りは我々得意だったから。

<寮委員長経験>
--みなさん寮委員長をやられているわけですが、どういう動機や経緯で?
八谷:軽はずみだね。まだ1年生だったから。その前の期の雰囲気を伝えるっていう意味があったから。七月に自治委員長選挙で七夕選対が勝つということがあって、寮もその流れの中にあったんです。
村上:八谷の次は僕やけど、次も取ろうということになって北幇で相談したんやな。あの時は信任投票になった。当選の祝勝会の時にまあ一部行きすぎがあったようですけど。「東大新報」に出て、まだ家にあるよ。憶測記事の最たるものやけど。それが2月。まあ、行きがかり上ですな。というのは、オリ委員長を柴田がやってくれることになってたから。
--その時にオリパンフの名前が『愛して駒寮』になったんですが、だれがネーミング考えたんですか?
村上:だれが考えたん? オリ委員だれだったの?
柴田:俺と八谷とH田、A木…。
八谷:えんえんと印刷している場面を覚えている。わたしはすでに崩折れているのにN波さんひとりで。柴田も編集作業から40数時間(笑)、連続して起きてたんだけど、こたつで崩折れていったんだよ(笑)。
柴田:原始的な方法だったからね。
村上:4月になって新入寮生が入ってきて、6月の寮委員長選挙で柴田が出たわけや。あんとき対立候補は?
八谷:O。
--意外に接戦になったんでしょ。
柴田:大変なね。
--ビラがふざけすぎだと言われて。
柴田:それは選対が悪いんだ。
八谷:僕とF島が選対だった。僕は選対名を考えてそれも叱られた。
村上:選対名は?
八谷:えー…、「おじいさんは山へ柴田、おばあさんは川へ選対」という(笑)。
村上:ほんとにそれにしたの?
柴田:サッカー同好会では大受けだったけど。
八谷:北寮2Sでも、一部大受けだったんですけど。
村上:やっぱり評判悪かった、世論は?
八谷:いやそうじゃなくて、選対名に乗って、桃太郎ネタですからビラをおじいさんとおばあさんの会話に。
村上:思い出した、思い出した(爆笑)。
八谷:渋谷に行って絵本買ってきて、(桃太郎ネタを) いっぱい散りばめて、けっこうまじめに書いたんだけど。だけど口調が「…じゃのう」とかさ(笑)。先輩のEさんが怒鳴りこんで来て、こんなことしてるんだったら応援しないと言われて。ちょっと悪乗りでしたね。
村上:俺の時は、S・Sさんに選対委員長やってもらって、「夢は夜開く選対」。宇多田ヒカルを15年前から予言してたわけや。

<負担区分>
--入寮した時、負担区分の批准投票があったと思うんですが。
村上:だいたい終わってたよ。
--学部との合意を批准する全寮投票があったでしょ。
柴田:5月にたしかにあった。
八谷:我々は選挙権なかった。
村上:総代だけじゃなかった?
--いや、全寮投票。
八谷:だったら、もっと激しく運動されるよなあ。
柴田:何の運動もなかったよ。すでに争点じゃなかった。決まってた。
村上:否決してもろくなことにならないということだったんじゃないの?
八谷:覚えてないな、全く。

<総代会>
八谷:でも、当時の総代会は長かったね。須Dさんがさっそうと質問に行く姿を覚えてる。
村上:新Dさんとか、S・Sさんとかね。
八谷:負担区分の余韻があったんだよね。寮委員長ががんがん総代会でつるし上げられるという状況を目のあたりにしてた。
柴田:それが不思議だったんだよ。高校の生徒会の感覚からすると。なんで長と名のつく人がこんなに批判されているんだろうと。対立というものが世の中に存在するんだと初めてわかった。
八谷:寮委員合宿で資料を力入れて作った。
村上:柴田が寮委員長の時。
八谷:祭り中心に動いてきた我々も、寮に入って学んだことを、次世代にちゃんと伝えないといけないという気が起こってきて。負担区分とか、新々寮とかの問題を。
柴田:民青の人も参加してた。
八谷:意見の違う人も参加してもらおうと。でもそもそも、みんな寮でいっしょに住んでいるのに、合宿に行くとはどういうこっちゃと(笑)。でも集中して議論できるからよかったよ。それが2年の秋。

<寮で生活したことの影響>
--寮に入らなければ、わたしの人生は変わっていたということはありますか?
村上:そんなに変わってないと思うけどなあ。
柴田:村上は変わらないだろうなあ。
八谷:柴田は変わったね。彼は官僚になる予定だったんだよ。
柴田:それは変わったと思う。
村上:俺は数学者になる予定やったんやけど。寮にいると、これ以上手を抜けば留年というのがわかるねん。日曜会は新入寮生4人に3人は留年してたから。
八谷:今の生活のパターンは、自分で選び取っているという気がするね。いろんな生活のパターンがあるわけで、別に昼起きなくてもいいわけだ。それでも生きていけるし。
柴田:寮の影響は大きいよ。予備校で小論文をやってると、講師の間でいろいろ言ってても、共同生活をしたことある人はそんなにはいないわけ。「共生」とかの言葉を並べてみても、実体験がないまま言ってるからなんか話が違う。他人といっしょに住むというのは、しんどい面もいっぱいあるし、奇麗ごとを言ってもしょうがない面もある。

<交渉>
八谷:交渉とか折衝はめちゃめちゃやったね。それはすごく勉強になったと言える。
柴田:大学側と。第八委員長の西部とかね。
八谷:寮内でも、BR研(ロックバンドのサークル)の音がうるさいとかいう問題があるわけ。
柴田:あれは難しかった。
八谷:BR研と寮生との間にどう我々が入って調停するかということで。みんなに集まってもらって、わけのわかんないこと話して時間が過ぎて、「じゃ、話し合ったということで」(笑)。
柴田:解決できないんだもん。どちらにも言い分があるんだから。
八谷:出て行ってほしい人の立ち退き問題とか、泥棒問題とか。警察に届けるという寮生に対して、それはやめてくれと言って「自分達がなんとかするから」。と言ってもどうにもならないんだけど(一同笑)。
柴田:教授と師弟関係以外で接することができるというのは、普通の大学生ではありえない。やっぱり闘わなくてはいけない相手だから。
八谷:無理してでもね。
柴田:でも実際闘ってみると大したことはない。学問では闘えないかもしれないけど、寮問題では闘える。
--事前に戦略を立てたりして。
八谷:もちろんする。
--1回目は机を叩いて帰ってこようとか。
八谷:だれか後ろから怒鳴れとか。「ハネて、ハネて」とか(笑)。
村上:稚拙な戦略ではあるんやけど。で、寮のシンパは何人かいたよね。
八谷:それは今と全く違うところで。あの交渉は、寮を続けるということでは暗黙の前提ができていたから。今の交渉の難しさとは比べ物にならないんだけど。今は前提が成り立たないわけでしょ。

<いまどきの学生>
八谷:勝手なことをやっている学生はいる。キャンパスで半裸になったり。
--学生の一番変わったとこですね。
八谷:そうだね。
--そういう逸脱したことは、昔は寮生しかやらなかったのに。
八谷:そう。それが今みんなに来てるんだよ。で、彼らに欠けているのは何かと言うと、「交渉」だと思う。さっき話した交渉、折衝は抜け落ちている。勝手なことをやるという点では、全てが駒寮生になっている。
柴田:内部で問題が起きないのかね。
八谷:起きないように生きてるんだもの。
柴田:葛藤がない。
八谷:そう。
--個々ばらばらになっているということ?
八谷:というか、個々ばらばらなふりして生きている。ほんとは葛藤があるはず。我々は総代会などで葛藤があることを学んだ。

7月某日、吉祥寺にて。

北寮50年祭のパンフ


お知らせ


『いろは』は紙版もあります。Web版にはない「寮生インタビュー」記事が読めます。

「駒場寮存続を支援する会」会員募集中
支援する会は、元寮生など駒場寮に一宿一飯の恩義を感じる駒場寮経験者を中心に96年の春に結成されました。東大当局の「廃寮宣言」をものともせず「駒場寮の存続をめざし運動を続ける寮生を支え」、ともに「駒場寮の存続を勝ち取ること」を目的に、駒場寮経験を交流させ、寮存続に向けたうねりを作り出していこうとしています。そのために必要となる、寮生への物質的・精神的支援、駒場にはそうそう足を運べないでいる会員のみなさんへの情報還流を主な活動としています。いま手にしていただいている討論誌「いろは」は、そのためのメディアです。支援する会では会員を引き続き募集しています。駒場寮の存続を勝ち取るために、ぜひあなたの力を貸してください。まずは購読会員に、購読会員の方は正会員に、正会員の方は運営委員になって支援する会を支えてください。

○会員登録更新のお願い
 97年11月に会員制度を新たに整備した関係で、それまでに会費相当額以上のカンパを寄せてくださっていた方々を自動的に会員に数えさせていただき、98年10月分まで会費納入済と見なす措置をとらせていただきました。該当する会員の皆様、更新の時期がまいりましたので、会員登録の更新をお願いいたします。

○会員・購読会員になってください
 いま会では『いろは』発行部数の拡大に鋭意取り組んでおりますが、それに伴う出費増に加え、「6.28事件」裁判費用の支出などで今後、財政の逼迫が見込まれます。まだ会員・購読会員でない皆様には、ぜひとも(購読)会員になっていただきますようお願い申し上げます。「いろは」購読のみご希望の方は99年度分購読料1000円を、会員登録をしていただける方は、年会費12000円(月会費1000円;「いろは」購読料含む)を郵便振替または銀行振込にてご納入下さい。
○郵便振替ご利用の際のお願い
 郵便振替を利用して出資していただく場合、内訳を明記していただくようお願いいたします。例えば「会費○年分/○ヵ月分」「会費○年分+カンパ」「購読料○年分」など。銀行振込分については、事務局からの通知を『いろは』に同封するなどの手段で確認いたします。

さくら銀行の支店の閉鎖統合により、6月14日からカンパ振込先口座が以下のものに変わりました。郵便振替については従来通りです。

さくら銀行 中野坂上支店(普)
口座番号 *******
口座名称 駒場寮存続を支援する会  難波 卓志

郵便振替
口座番号 *****-*-******
口座名称 駒場寮存続を支援する会


寮祭企画 シンポジウム 独立行政法人化と駒場寮(仮)

 パネリスト:浜林正夫氏(一橋大名誉教授。経済史専攻)、教養学部教官、寮生。
 日時:11月22日(月)午後 (開始時刻は未定)
 場所:北寮前ステージ
 主催:駒場寮存続を支援する会/駒場寮委員会
 先の国会で「独立行政法人通則法」が成立しました。それを受けて、国立大学を独立行政法人へ変更しようとする動きが急速に進行しています。この動きの背景に、国家公務員の定員削減問題を一挙に解決させようとする官僚の意図があることは、指摘されるとおりです。大学人の中からも、独立行政法人化は大学にとってマイナスだという批判が少なからず上がっています。
 そもそも国立大学の独立行政法人化とは、どういう制度であり、どういう問題点を持つのか。大学に対する国の統制が増え、教育・研究の自由が損なわれる危険性はないのか。学生が享受する教育・研究の質的な低下を招くことはないのか。そして、駒場寮のような学寮に対して与える影響は?
 このたび、寮祭企画として、国立大学の独立行政法人化に詳しい浜林正夫氏をお招きし、この制度を詳細に検討すると共に、教養学部教官、寮生もまじえてオープンな討論を行いたいと思います。ぜひご参加ください。申し訳ありませんが、開始時刻については、のちほど、「支援する会」までお問い合わせください。


冬が来ます。発電機カンパは引き続き募集しています


 駒場寮への支援カンパのお願い  147期駒場寮委員長


 学部当局による96年の電気・ガス停止以来、駒場寮では南ホール(旧・駒場寮食堂)から全寮に対し電気を供給してきました。ところが、昨年9月の南ホールでの放火とそれに乗じた当局の南ホール建物に対する電気停止により、全寮が停電してしまいました。これに対し、電気を止めて寮生をむりやり追い出すというのは許せないことであるし、そもそも「廃寮」自体が不当なものであるということから、付近の建物からそれを管理する学生団体の許可を得てわずかながら電気を供給することで、公共部分にのみ電気をつけ、寮生は部屋ではランタンの灯りで生活し石油ストーブで暖をとるなどして、あくまで電気復旧を求めてきました。こうして今年の3月まで、周りの学生や全国の学友そしてOBのみなさんの協力もあって、わたしたち駒場寮生は実に半年間にわたる停電に耐え続け当局に対し送電再開を求めて闘ってきました。電気復旧仮処分の不当却下後、入寮募集を成功させ新入寮生の定着を図るためにも、安定的な最低限度の電気が必要であろうという判断などから、大型発電機を購入し、充分とはいえないながら全寮への電気供給を開始しましたが、このような電気供給体制には二百数十万円という金額がかかっており、さしあたり寮自治会のこれまでの貯蓄を充ててきたため、財政を徐々に圧迫してきていますし、今後も燃料費がかかるものと思われます。そこで駒場寮では、駒場寮存続のための支援カンパを募っています。停電攻撃をくぐり抜け、新入寮生も例年通りたくさん迎え入れることができ、今後も送電再開と駒場寮存続を求めてたたかっていきますので、駒場寮OB・支援する会のみなさんには、是非とも駒場寮存続支援のカンパにご協力下さいますようよろしくお願いします。

 7月に第一期集計分を寮委員会に手渡しましたが、冬をひかえ、会ではカンパを引き続き募集しております。「発電機カンパ」と明記の上、一口5000円を目安に支援する会の口座まで振込をお願いいたします。


千年紀の最後を飾る

支援する会・第3回定例総会

正会員でない方もぜひご参加ください。

 今年も定例総会の季節になりました。この一年の活動を振り返り、それを基に今後の活動方針について討議したいと思います。総会は「支援する会」の最高議決機関であり、正会員の方は議決権を持っています。また、正会員でない方も討議に参加できます。当日参加できない場合は、書面での意思表示・他の会員への委任・議場委任も認められています。ご意見のある方は会員までご連絡ください。
 議題は、(1)活動報告・総括、(2)活動方針、(3)規約の改正、(4)役員の選出、(5)予算及び決算、(6)その他必要事項、です。
 明渡裁判弁護団からの裁判報告会もあります。
 今年は、会の活動の活性化・拡大を目標にして、なごやかに討議しようと考えています。
 日程は下記の通りです。お気軽にご参加ください。

  11月14日(日)13:00から
  駒場寮北寮9Sにて 


新制50周年記念:寮経験アンケート


 日頃『いろは』をご愛読いただきありがとうございます。駒場寮は本年で新制移行 50周年を迎えます。編集部ではこれを記念して次号でアンケート特集を予定しております。以下のアンケートにご協力ください。(返送方法)お手数ですが、郵送またはファックスまたは電子メールでお願いします。

1.駒寮入寮年度/駒寮と関わりあった年
2.駒寮に入った動機/駒寮と関わることになったなれそめ
3.駒寮の好きなところ/嫌いなところは何ですか。
4.寮生活で何が楽しかったですか/何が苦しかったですか。
5.印象に残っている友人・寮生あるいは事件について教えてください。
6.寮生活で得たものがあるとすれば何でしょうか。
7.駒寮を残す意義はあると思いますか。
8.あるとすればどういう意義でしょうか/ないとすればなぜでしょうか。
9.いま何に関心がありますか。
10.現在の寮生の言いたいことがあればお願いします。
11.『いろは』についてご意見があればお願いします。

 次号『いろは』にご回答を掲載するにあたってお名前を載せてよろしいでしょうか。
 [可/イニシャル希望] (いずれかを○で囲んでください。)
 郵送先  :153-0041 東京都目黒区駒場3-8-1 東京大学駒場寮北寮9S気付
                       駒場寮存続を支援する会
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