---------------------------------------------------------------第十九弾 目次
CONTENTS 19
■巻頭言 宮川淳
■駒場寮1999
■明渡裁判報告
■6・28裁判報告
■OBインタビュー 第6回 奥津融さん(56年入寮)
■文學に描かれたる駒場寮
■座談・我が手の歴史を! 第2回 84-85駒場寮
■会員募集・振込先のお知らせ
■寮祭企画シンポジウム 独立行政法人化と駒寮 のお知らせ
■発電機カンパ募集中 寮委員長からの要請全文
■総会のお知らせ
■アンケート
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駒場寮経験をつなぐ討論紙 99/10/24 投稿歓迎
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は
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編集/発行 駒場寮存続を支援する会
連絡先 東京都目黒区駒場3-8-1東大駒場寮北9S
電話 ***-***-****,***-***-****
**-****-****(呼)
代表 成瀬 豊(95,99期寮委員長)
WEB版 http://www.longtail.co.jp/iroha/
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九一年十月、なんの前ぶれもなく廃寮計画が発表されてから早くも丸八年がすぎようとしています。駒場は二年、本郷をふくめても四年で卒業する学生が大半をしめるわけですから、流れ去った月日の長さがしのばれます。この廃寮計画は「21世紀の」と冠されていましたが、その二十一世紀も今や目前にせまっています。| 8・4 | 一研跡地埋蔵文化財試掘調査に対する抗議行動と集会。101号館へデモ。学部当局は要求書を受け取らず、後日、学部長に抗議文を渡す。 *一研跡地には図書館移転が決まっており、予算の概算要求がされている。図書館移転は、廃寮を前提としているマスタープラン(駒場キャンパス再開発計画)の一環。一期工事で図書館を、二期工事でメディア・センターを建設する予定。メディア・センターは敷地を無理やり中寮にかけて計画している。 |
| 8・10 | 課長補佐から口頭で、安全確保のための要望書に対する回答を受ける。7・7の学部交渉時と同じ、「寮生の名簿を提出すれば考える」という不当な内容。 |
| 8・27 | 地裁前で慎重審理を求めるビラまき。8・30以降、9・3まで毎日行う。地裁職員・関係者に情宣がかなり浸透。 |
| 9・1 | 前期テスト開始。8日から、10・11まで秋休みに入る。 |
| 9・3 | 東京地裁で明渡裁判の進行協議と報告集会(関連記事を参照)。 |
| 9・7 | 東京地裁で6.28裁判の口頭弁論(関連記事を参照)。 |
| 9・8 | 『pua(ぷあ)』発行。 |
| 9・9 | 秋の運動に向けて◯◯をやろう全寮コンパ。 |
| 9・16 | 教授会抗議行動。 |
| 10・1 | 東京地裁で明渡裁判の進行協議(関連記事を参照)。裁判所に慎重審理を求める署名は累計3387筆に。 |
| 10・15 | 冬学期開始に当たり、学部当局が学生に向けて「駒場寮を利用するな」という旨の掲示を出す。学部当局が明渡裁判の準備書面で「浮浪者風の者を含め学外者が多く」寮を不法占拠していると述べていることに対し、抗議文を提出。 |
| 10・21 | 教授会抗議行動。 *この間、学内でのビラまき、署名活動、教官に対する話し込み活動も頻繁に行われている。 |
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| 9・3進行協議後の裁判報告集会 |
次回:11月26日(金)10:30から、東京地裁民事615号法廷。
次回:10月26日(火)13:15から、東京地裁606号法廷。
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| 奥津農牧場の牛 |
中平 豊
「私は昔父が住んだ旧制第一高等学校の本郷の寮を知らない。私が三年間住んだのは、学校が駒場に移って一年後、戦後に東京大学の教養学部が使ってきた建物である。建物はコンクリート造りで、その頃はまだ新しかった。土地柄も本郷を知っていた学生や教師たちにとっては、新しかったにちがいない。駒場には、本郷の古本屋もなく、通い慣れたおでん屋も、酒を飲んで騒いだ牛肉屋もなかったはずだろう。またその隣に東京帝国大学がなく、そもそも渋谷まで行かなければ商店のならんだ町というものがなかった。それにも拘わらず−いや、おそらくそれ故に、一高(中略)の学生たちは、ながい間に本郷で先輩がつくりあげた慣習を、新しい土地と建物のなかにもちこもうとしていた。」
「旧制一高では、紀念祭が行われる毎に在校生から寮歌を募集し、入選歌を新しく発表する習わしであった。(中略)
その昭和(ママ)十七年六月の紀念祭で一席(一位)となった寮歌が、のちに“非戦の寮歌”として、戦争末期に一高の生徒たちに愛唱されることになった「運(めぐ)るもの星とは呼びて」である。」
「善とはなにか。人間はいかに正しく行動すべきか。正義とはなにか。ここに決断すべき転機が突然のように到来する。48年2月の一高紀年祭へのGHQの干渉である。共産党細胞はさすがに反米の抗議の意思表示デモをよびかけ、党員の橋本を先頭に正面校舎にデモを行った。だがこれを契機にした私の入党、と細胞活動の公然化、47年の授業料不払い運動以来の、一高内の学生運動は活発化し党活動がさかんになり、古典の読書から政治、政党活動が哲学研究会のメンバーの支配的な生活になってくる。上田耕一郎、平岡茂樹らの社研から哲研が活動の中心になる。寮委員長選挙に高沢寅男(文乙)を押し立てて選挙運動を全寮でおこなう。」
「入り口に管理のオバサンがいて、手紙類を渡してくれたが、すぐさま顔なじみになった。なにしろ私の場合、毎日同じ相手から手紙がくる。多い日には午前便と午後便の両方、それに速達がまじった。(中略)
このオバサンについては、入学前から知っていた。強度の近視で、ときどき文字を読み違えるというのだ。私の先輩に鶴という名の人がいたが、帰省した際、
「同じ建物に、鴨という名の人がいてねえ、鶴と鴨を間違えられて迷惑している」
とこぼしていたからだが、」
「駒場寮食堂は木立のなかにぽつんと建っていて、三本の通路で外部とつながっている。大会開催から一時間後、色とりどりのヘルメット姿の全共闘七〇〇人ほどが三本の通路に別れて大会会場に殴り込みをかけてきた。(中略)
リーダーの「突っ込め!」の号令一下、全共闘の一団は寮の前で会場防衛のために坐り込んでいた学生や職員に殴りかかった。坐り込み学生が逃げまどい、折り重なって倒れる。」
1930年代の駒寮、駒場キャンパスを舞台にした推理小説。夜の一号館時計台の屋上から寮生が失踪、その謎を追って物語が展開する。一高生の友情、自治の精神をしみじみと謳った名作。風紀委員・自習室など当時の寮生活の様子も事細かに描かれている。実在の人物、三谷隆正教授も作中に登場。著者は京大出身。これを読んで以来、夜に時計台の下を通ると胸騒ぎがするようになった。駒寮ファン必読書。
「その年の四月なかばのある日のこと、私たちは物理の授業を終わって、銀杏の並木のつづく大通りを三々五々、寮へ帰ってきた。
あの女は、北寮の入り口で、西式を待っていたのである。
年に一度の記念祭に、寮の内外を開放する以外は、一高は女人禁制である。(中略)
濃い紺のスーツをきりりと身につけた、あかぬけのした女だった。支那事変が始まってからというもの、非国民の代名詞、象徴にされたぐらいのパーマをかけてすっきりとした姿で、バッグをかかえて立っていた。(中略)
私たちはこの女に、ちらちらと注意の眼をむけ、寮の入り口に近づいていった。」
「食堂の中では、先輩も後輩も入り乱れて横に細長い食卓に席を占めた。しかし先を争うほどの御馳走が嘗て一度も出たためしはない。朝はきまって若布の味噌汁、昼は油揚とひじきの煮附、晩はたいてい煮肴で、たまにブリの刺身が出ても、ぶった切りの切身の横に食えもしない海藻が山ほど盛ってあった。僕等はてんでに悪口を言い、持参の缶詰をそこここで明けて、喋った分だけ余計にお櫃を空にした。」
「委員長就任から五日目の五月十三日の昼休み、元利は福田亮太(元電通副理事)とともに佐藤得二生徒主事に呼び出された。
「じつは、夏休みに、うちの寮を貸してほしいという依頼が、外務省から来ている」
佐藤生徒主事によれば、外務省は、日本に属する満州、朝鮮などの外地領事館に派遣する三百人の巡査の教育研修をするために、一高の寮を借りたい、ということであった。
山下と福田が不審に思ったのは、すでに一高の代表が、外務省に了承しているのではないかということであった。
もし、そうなら、学生の自治を真っ向から破壊するものだ。」
「友達からその話をきいて丁度二週間目の土曜日、私は堪え切れずに、駒場寮の歴研の部屋を訪ねました。
それは残暑の厳しい日でした。私が上草履にはきかえ、中寮の暗い狭い階段を昇ろうとした時です。ふと、上をみると、思いがけなく野瀬さんがそこに現われました。野瀬さんは階段を二、三段降りかけて私に気がつき、はっと息を呑むように立ち止まりました。」
「夏休みになった。ぼくは、秋の試験の準備という口実を設けて、F市へは帰らず、暑さと埃の東京で、孤独な生活を送っていた。寮の八人一部屋の同室者は、ぼくを除くほか、皆帰郷していた。汚れ、殺風景なコンクリートの部屋に、夏の空虚が漂った。無恰好な木のベッドに坐っていると、そこにはめ込まれた古畳に、額から汗が流れ落ち、面白いように汚点を作った」
「廊下の両側の学生寝室の凡てのドアは閉ざされ燈も灯っていなかった。私たちは足音をしのばせゆっくり歩いて行った。廊下は寒かった。T大寮の三つの鉄筋コンクリートの建物のうちで、この一棟だけ廊下に暖房の装置がないのだ。私は木田にしっかり腕を掴まれた贋学生をやりすごし、西階段の降口で立ちどまって、冷たい硝子窓に額を押しつけた。深ぶかした夜の展がりの向う、暗い生物学教室の向うに柔かい雪明りが見えた。」
「期待していた“万年床に寮雨”という超俗的な日常を容れるにふさわしい傾いたアバラ屋ではなく、当時としてはモダンなスタイルの鉄筋コンクリート造である。いささか拍子抜けの感があった。」
参加者:八谷正太郎さん(84年入寮。お茶の会。104期寮委員長。大学教員) 村上智之さん(84年入寮。日曜会。105期寮委員長。商社勤務) 柴田隆行さん(84年入寮。北幇。106期寮委員長。予備校講師) 司会:足達(84年入寮)--みなさん全員84年入寮ですので、84年当時のことを振り返っていただきたいと思います。どういう寮生活だったのか、どういう時代だったのか。
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| 北寮50年祭のパンフ |
パネリスト:浜林正夫氏(一橋大名誉教授。経済史専攻)、教養学部教官、寮生。 日時:11月22日(月)午後 (開始時刻は未定) 場所:北寮前ステージ 主催:駒場寮存続を支援する会/駒場寮委員会先の国会で「独立行政法人通則法」が成立しました。それを受けて、国立大学を独立行政法人へ変更しようとする動きが急速に進行しています。この動きの背景に、国家公務員の定員削減問題を一挙に解決させようとする官僚の意図があることは、指摘されるとおりです。大学人の中からも、独立行政法人化は大学にとってマイナスだという批判が少なからず上がっています。
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