iroha 18

いろは 18



---------------------------------------------------------------第十八弾 目次
CONTENTS 18
■巻頭言	山口素明
■駒場寮1999
■駒場寮裁判報告
■OBインタビュー 第5回	朝倉幹晴さん(81年入寮)
■胴上げ1--駒場寮経験者の今	小柳次郎(85年入学)
■座談・我が手の歴史を! 第1回	86-87駒場寮--a
■発電機カンパを寮自治会に手渡しました
■10,000円カンパで駒場寮に灯りを!	寮委員長からの要請全文
■会員募集・振込先のお知らせ

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駒場寮経験をつなぐ討論紙     99/8/1  投稿歓迎

    い
            は
        ろ                         【18】

    編集/発行   駒場寮存続を支援する会
    連絡先  東京都目黒区駒場3-8-1東大駒場寮北9S
    電話    ***-***-****
            **-****-****(呼)
    代表    成瀬 豊(95,99期寮委員長)
    WEB版   http://www.longtail.co.jp/iroha/
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巻頭言

寮祭個人企画「肉棒々 Niku barber」
寮生によるゲリラ的な床屋(撮影:寮生)
 連日溶けるような暑さが続いておりますが、読者のみなさまはいかがお過ごしでしょうか。ちょうど暑中見舞いのような形で今号がお手元にわたることになると思います。
 廃寮に反対し、駒場寮の存続を求める運動は、現寮委員会メンバーがまだ小学生のころから世代交代を繰り返して続けられています。このような運動は他になかなか見あたるものではありません。
 前々号からお願いしておりました発電機カンパを一時集約し、寮自治会に手渡すことができました。まだまだ目標額には足りませんので、引き続きカンパのご協力をお願いいたします。寮生に負けず、夏を乗り切っていきましょう。
それでは。(山口)



■駒場寮1999

5・26教養学部当局が「学生の皆さんへ 99」ビラを配布。新入生に向けて、CCCL計画の必要性と廃寮決定の正当性を訴える内容。これまでと同じ趣旨の主張を繰り返しているだけ。
5・27教養学部代議員大会。現在数=62+1、委任数=474。駒場寮委員会・学生自治会正副委員長・学友会学生理事会による3つの共同提案は、いずれも賛成多数で可決(下記の文章は要約)。

  1.  学部当局に対して、学生無視の態度を改めさせ、「廃寮」計画を撤回し駒場寮を存続させること、駒場寮の「明け渡し」裁判を取り下げ駒場寮問題を話し合いによって解決すること、駒場寮の電気・ガスを復旧すること、寮食堂の取り壊しについて自己批判しガードマンによる実力排除や警察力などを用いた暴力的「取り壊し」工事を二度と行わないこと、を求めていこう。
    賛成56 反対3
  2.  現在故障している寮内の非常灯・火災報知器・放送設備を修復すること、駒場寮を三方から囲んでいるフェンスを撤去することを学部当局に対して求める。
    賛成58 反対0 
  3.  昨年から駒場寮生への教室貸出を認めない教養学部当局に対して、不当な姿勢を改めさせ、以前のように全学生に対して教室貸出などの権利を保障するよう求めていく。
    賛成62 反対0
6・16.28裁判の口頭弁論。東京地裁(関連記事を参照)。
6・5寮内広報紙『ぷあ』発行。
6・104月以来の「説得隊」が来る。三鷹特別委を先頭にした教職員が、北・中寮それぞれ30名ほどの大量動員。寮内に侵入し、「寮は立ち入り禁止、退去せよ」なるビラをまく。追い出そうとする寮生と押し問答になる。1年生をつかまえて「君らの居住は不法である、警察に突き出すこともできるんだぞ」などと恫喝。居室に侵入し、引き出しを無断で開けたり写真を撮るなど、破廉恥かつ不法な調査も行っていた。小一時間で帰る。
6・17教養学部定例教授会。6・10の教員の居室不法侵入を糾弾。また、浅野攝郎学部長らに「駒場寮の安全確保のための要求」書を提出。非常灯・火災報知器・放送設備の修復、フェンスの撤去を要求。
6・22明渡裁判の口頭弁論。第八回。東京地裁(関連記事を参照)。
6・23〜26夏の寮祭。1年生中心。屋台、バー、カフェ、カラオケ、ビデオ上映会など。現役寮生が新寮歌を制作。寮問題全般の展示、入寮募集停止攻撃を受けている山形大学学寮についての報告も行われた。北寮前で寮風呂が復活。
6・29学友会クラス/運動会代表者総会。学部当局に対して、寮生への教室貸出拒否の姿勢を改めさせようという提案が可決。
6・30学友会文化部代表者総会。上と同じ提案が可決。
7・7定例学部交渉。6・17提出の要求書に対し、学部は「寮生の名簿を提出すれば修理する」と不当な拒否回答。
7・10寮委員長選挙。新寮委員長が信任される。
7・136.28裁判の口頭弁論は延期。(関連記事を参照)。
7・15対教授会抗議行動。
7・22寮内広報紙『ぷあ』発行。夏の寮祭の総括記事が中心。
7・26非常灯・火災報知器・放送設備の修復、フェンスの撤去を求める要求書を学部当局に再度提出。明渡裁判の不当性を訴え、進行協議への注目を呼びかけるビラまき。28日も。
7・28明渡裁判の進行協議(関連記事を参照)。東京地裁。協議前に地裁前で「慎重審理を要望する」ビラまき。夜、寮で弁護団を交えて団結コンパ。
7・30寮内大掃除。夜、試験お疲れさまコンパ。
コマバー(撮影:寮生)


駒場寮裁判報告

○駒場寮明渡裁判

次回:9月3日(金)11:00 東京地裁民事第25部(12階)。非公開


6月22日 第八回 明渡裁判口頭弁論
□結果
 今回で結審になることは免れた。寮側が証人申請を行ったため、次回以降の裁判の進行の仕方について、7月28日に協議することになった。裁判官・原告・被告の三者同席で、1時間位かけて話し合いがされる予定。これによって、9月以降にもう一回口頭弁論が入ることは確実になった。

□出席者
寮側:加藤、中西、尾林、藤田、萩尾健太(新加入)の5氏弁護士。
国側:小林寛道、永野ほか9名。
傍聴者:寮生中心に約70名。傍聴席は満員で、人が外にあふれた。

□弁論
萩尾氏が準備書面(五)の趣旨を約20分にわたり陳述。
寮側:原告の(明渡請求の)権利行使は違法・無効である。理由1. 大学の行った廃寮決定は、政府・文部省の大学自治及び学寮敵視の政策に迎合した、合理性のないものである。2. 廃寮の決定過程における瑕疵と、跡地利用計画のずさんさ。3. 今日の社会経済情勢・教育の機会均等の観点から見て、廃寮によって失われる利益は重大である。以下に要旨を述べる。
<理由1>戦前の軍国思想教育下で、大学・寮が政府からたびたび介入を受けたことを反省し、戦後、憲法で学問の自由が保障され、大学の自治・寮自治が確立した。これに対し文部省は、いわゆる「逆コース」以後、通達などによって学校当局を介して寮自治にさまざまな介入を行ってきた。
  本件の原告国側の明渡請求の根拠である廃寮決定は、そうした文部省の学寮政策に反対する学生運動の中心となってきた学生寮、とりわけ駒場寮を憎んだ政府・文部省の、「廃寮と引き替えでなければ、三鷹国際学生宿舎建設を認めない」という恫喝と利益誘導に屈して教養学部当局がなしたものであり、何ら合理的根拠がない。
<理由2>91年10月の教養学部教授会で三鷹国際学生宿舎構想が承認され、三鷹学生宿舎特別委員会(委員長永野三郎教授)が設置されるまで、同構想は学生には全く秘密裏に進められた。構想が持ち上がった経緯について学部当局は、92年2月の駒場寮との団体交渉の席上で「廃寮決定は予算獲得の道具」と発言している。跡地利用計画であるCCCL計画は、97年に突如発表された実現性の低いものであったため、明渡仮処分でも北中寮部分は取り下げざるを得なかった。現在では、明寮、寮風呂、寮食堂は(旧南寮=第一研究室も)すでに取り壊されているため、駒場寮の敷地がキャンパスに占める割合はほんのわずかである。
<理由3>学部の廃寮決定は、1. 学生自治、寮自治への侵害。2. 教育の機会均等・教育を受ける権利の侵害。近年の学費の高騰、長期不況による国民生活の困難、東京の家賃の高さ、留学生の増加を考えると、寮はまだ足りない。が、三鷹宿舎の入寮倍率は高く、選考を落ちた人が駒場寮に入っている。
  以上から、学部による廃寮決定は、大学の自治・学問の自由(憲法二三条)、大学当局との間の合意に基づき形成されてきた寮自治権、教育の機会均等の原則・教育を受ける権利(憲法二六条、教育基本法三条)といった重大な権利を侵害するものであり、違憲・違法である。よって廃寮決定は、たとえ国有財産法上の権限があっても、学部の管理運営権の濫用であり無効である。
裁判官:今日の口頭弁論の前に、被告から証人申請など意見の申し出が2回あったが、(今後の裁判の進行を決めるのは)双方同席の方が公正だ。協議期日を設定して、以降の進行はそのときに決めよう。

□終了後、弁護士会館で弁護士、寮生その他の傍聴者を交えて報告会。活発な意見交換がなされた。

解説
 次回が公開の口頭弁論ではなく、非公開の進行協議になったことで、裁判はいったん変則的な形態にはいった。これまでの弁論で、双方の主張のやり取りはかなりの程度行われてきているため、進行協議で証人申請が認められるか否かが、今後の展開の分岐点になる。証人申請が認められれば、証人を法廷に呼んで寮の管理・運営の実態について事実調べが行われることになり、裁判は立証という新たな段階に移ることになる。が、これまでの裁判の経過から見てその可能性は不透明であり、口頭弁論が結審してしまう危険性は次回にも残ったと言える。民事裁判が主張と立証から成ること、重要な争点については慎重かつ十分に審議する必要があることからも、証人を呼んでの事実調べは不可欠である。

□準備書面
寮側:4通。
1.準備書面(五)…上の弁論の項を参照。
2.証拠申出書…証人として寮OB・寮生・教授・職員20人に尋問したい。寮自治会に自治権が付与された経緯、寮の管理権限に関する大学当局との合意内容(確認書。84合意書)、廃寮決定に至る経過(91年の教授会決定)、駒場寮の現状と学生にとっての必要性、跡地利用計画の破綻、火災漏電事故発生の危険や妨害行為がないことなどを立証するため。
3.報告書…5・27代議員大会の報告=経済的観点、学生の自治の観点などから寮の必要性を訴える寮生の発言を集めた。「経済状況に関する駒場寮生アンケート」の結果報告=99年6月実施。寮生は、東大の自宅外生に比べて生活費・衣料費・食費・教養娯楽費・アルバイト収入は少なく、勉学費は多い。家庭からの仕送りは、寮生の3割以上がなしで、平均額も自宅外生よりはるかに低額である。
4.陳述書(小川晴久先生)…寮問題の不幸な点は以下である。1. 三鷹国際学生宿舎建設は廃寮を前提としている。2. その計画は教授会だけで一方的に決定された。3. 跡地計画は自然環境を大きく破壊する。4. 学内で話し合い解決されるべき問題が裁判に委ねられた。5. 外人部隊(ガードマン)の力で暴力的に事態を収拾する慣行。6. 学長権限の強化案は教授会の自治を形骸化させる(柏キャンパスの学術経営委員会や大学のエージェンシー化)*。書面の交換のみでなく、口頭による弁論で双方の意見を戦わすべきである。駒場寮は、自然・社会・制度の面で社会的共通資本である。
     *先の5月に可決した新「大学管理法」(学校教育法等の一部「改正」)は、文部大臣の諮問機関である大学審議会の答申を具体化したもの。国立大学の評議会・教授会を「審議機関」に格下げし、学長、学部長などのトップダウンを押しつける危険性を持つ。勧告権を持つ運営諮問会議の設置を定めているため、教育研究に対する外部からの介入も危惧される(準備書面(五)より抜粋)。
国側:1通。
 前回寮側が主張した、事実たる慣習に基づく管理権限(民法92条)に対する反論。
 …民法92条によると、事実たる慣習が法的拘束力を有するためには、その慣習が「法令中の公の秩序に関しないこと」=「強行規定に反するものでないこと」が必要。国有財産法18条は、「行政財産には私権を設定することができない」「その規定に違反する行為は無効」と規定しているので、強行規定と解される。寮建物の管理権限についての慣習は、同法18条に反するので、強行規定に反することになり、法的拘束力を取得することはあり得ない。

7月28日 明渡裁判進行協議
□結果
寮側の要請にもかかわらず、裁判官に証人採用は認められなかった。寮側が証人申請の理由を論点を絞って説明する機会を持つため、9月3日にもう一度、進行協議を行うことになった。

□出席者
寮側:代理人のほか、寮生が13人。室外にも、寮生中心に40人。
国側:小林寛道、浅島評議員、訟務検事など5人。

□内容
裁判官:事件の経過はいろいろあるのだろうが、国有財産法に基づいて審理しないといけない。
寮側:駒場寮は国有財産だが、寮の管理・運営は大学の中の話だ。その歴史・実態の証拠調べが必要だ。
裁判官:この事件の経過を無視しているわけではない。(書証を読んで)自分なりに勉強した。たくさん書証が出ているから、それを見ればわかるので、認証(証拠調べ)の必要はない。
寮側:証拠調べの必要がないということは、裁判所が予断をもって裁判に望んでいるとしか思えない。

解説・今後の見通し
裁判官は、現時点では、証人を調べる事件だとは思っていないようだ。証拠調べの要求に対して、裁判官の態度はかたくなだった。
証人採用を勝ち取り、慎重な審理を行っていくという目標に対し、厳しい局面を迎えている。9月3日の進行協議後、少なくとも1回は正式な口頭弁論が行われるので、次回(9月3日)で結審になることはない。が、証拠調べがないまま結審すると、寮側には不利な判決が出る可能性が高い。

読者の皆様にお願い
 支援する会では、証人採用を拒む裁判所の態度を変えさせるため、駒場寮と共に、裁判官に対して慎重審理を求める要望書(署名)を提出します。用紙を同封いたしましたので、ぜひご協力をお願いいたします。次回の進行協議時に裁判所に提出しますので、必要事項をご記入の上、9月2日までに下記の宛先までご郵送ください。用紙は1人1枚の形式になっておりますので、もし身近に署名に協力してくださる方がいらっしゃれば、お手数ですが用紙をコピーしてお渡しいただければ幸いです。
 153-0041 東京都目黒区駒場3-8-1 東京大学駒場寮 北9S
 駒場寮存続を支援する会

○6.28裁判

次回:9月7日(火)13:15 東京地裁606号法廷


 1997年6月28日、教養学部が教職員200名、警備員150名を動員して北寮の一部と寮風呂の破壊工事を強行した際、警備員の暴行により怪我人が続出、4名が救急車で運ばれるにいたった事件=6.28事件の責任を問う裁判の経過について報告します。

【6月1日の口頭弁論】
○新帝国警備(株)を相手とする訴訟について、裁判官が交代したため弁論更新手続きを行ない、進行状況を確認した上で、裁判所は、原告が新たに起こした国家賠償訴訟の弁論を旧来の訴訟の弁論に併合する旨決定した。次いで国賠訴訟の訴状・答弁書の陳述が行なわれた。
○警備会社は、従来から自社に問われている責任は国賠法により国が負うべきであると主張していたが、今回も「その旨認められれば、証拠調べの必要はなくなるため、裁判所としての判断を出してほしい」と要請した。
 これに対し、裁判所はこう回答した。以前の構成の裁判所が、教授個人については判決を出し、警備会社の主張を認めた判決を出さなかったのは、少なくとも証拠調べの必要があると判断したからであろうと思われる。新しい構成の裁判所がこの判断に拘束されるわけではないが、すぐに判断を出すことは考えていない。  [以上約10分]

○国側が原告側に書面で質問(求釈明)をしてきた。その内容は、
(1)被告・生井澤(三鷹特別委)が原告に行なった暴行を具体的に明らかにせよ、 (2)永野(当時評議員)・小林(三鷹特別委員長)・生井澤の暴行傷害指揮の「時刻・場所・内容」を各人ごとに明らかにせよ、というもの。

【7月13日の口頭弁論】
 被告=国側の求釈明に対し原告側が準備書面(二)を提出したが、求釈明のうち(1 )に答えるための原告側の調査が未了であるため、もうしばらく時間をとることとなった。[審理延期]

●これまでのところ国は訴訟告知に対して動いていない。つまり「警備会社が公務員性を楯に国に責任の尻拭いを求めているけれど、それでいいんですか」と原告側が国に問うたのに対し応答してきていない。
 国は自分の方に責任追及が及ぶことはないと読んでいるのではないか(弁護士さん談)。
 警備員の違法行為について国が責任を負わず、警備会社が責任を負うという判決が出れば、この間の警備会社の責任を社会的に追及していく上で大きな意味があるだろう。


OBインタビュー 第5回 朝倉幹晴さん(81年入寮)


--なぜ寮に入ったんですか?

姉の結婚相手に勧められたのが一番大きい動機で、他に、近いということ、それから集団生活がしたい、先輩・同僚から刺激を受けることができる、下宿を探す面倒がない。初めて寮に行った時も偶然、寮委員長に会ったし。

--お金が安いというのは?

それは親の事情としては大きかったみたいですね。

--学生運動に関わったそうですが、そのきっかけは?

高校時代は、普通の勉強中心の生徒で、社会問題にも関心なかったんです。ところが、卒業直前に先生から「自衛隊についてどう思うか」と聞かれた時に何も答えられなくて、優等生の自分にはショックだったことと、受験勉強で鬱積してたから暴れたかった。それから、姉の結婚相手が東大闘争の周辺にいた人で、学生運動にちょっとした憧れもあったんですね。姉の結婚した人から、自立社の『東大闘争裁判資料』という本を借りた。難しくてチンプンカンプンだったけど、その中の「日本共産党は東大を支配しようとしている」という文句が印象に残って。地元の愛知県豊橋市では、共産党は議会でも弱いのに、最高学府と言われる東大を支配できる力があるのかなと疑問に思った。

--高校時代は生徒会はやられなかったんですか?

目立ちたくて会計を一回やったぐらいです。むしろ政治に関わることを理系的に斜めに見ていて、数学の世界の方が美しい、政治はドロドロしているからいやだという認識でした。

--入学後、すぐに運動に関わったとか?

入学直後は、誘われれば応じるという感じでサークルに15ぐらい登録しました。政治の話も聞きたいなと思ってたところ、文学部学友会(新左翼系)の人が銀杏並木でアジってた。その人は学生運動そのものの雰囲気だったから、カッコヨクて(笑)、ずっと聞いてたんですけど、話しかけてくれなかったんですね。こちらから話しかける勇気もなかったから、そのまま立ち去ってしまった。あのとき、文学部学友会の人が誘ってくれていれば、新左翼系になったでしょうね(笑)。
入学手続きが終わったら、民青同盟(共産党系の青年組織)の人が近づいてきた。学習サークルみたいなものだということで、入れば何か政治のことが学べそうだと思って入ったんですね。まあ、しばらくはやろうかなと思って。

--サークルに入るような感覚だったんですね。

うん。それで会議に出て、初級同盟講座とかがあって。社会党と民社党の違いもわからないくらいだったから初歩から政治について教えてもらって。

--共産党にはすぐにのめりこんだのですか?

入った部屋が中寮15B(ESS)だったんですけど、そこのロッカーを開けたら、「赤旗」が敷いてある。それを見て、東大では共産党の新聞がこんなに身近にあるくらいだから、学生運動とか共産主義を勉強しなきゃいけないなあ(笑)、基礎素養として必要なんだと思った。
それで民青に入って、もともとやり始めたら熱中するタイプだから、学生運動や社会主義についていろいろ勉強した。新日本出版の『科学的社会主義』っていうぶ厚い本を読んで、科学的社会主義は人類の全ての知識を集大成したすばらしい理論体系なんだと思ったんですね。全く免疫がなかったから、まず感動した。その他に、樺美智子の『人知れず微笑まん』と高橋和己の『憂鬱なる党派』を読んで、メンタリティとしては学生運動や革命家に憧れた。『憂鬱なる党派』には、学生運動仲間が卒業と共に裏切っていく中で一人だけ理念に忠実に生き、原爆の資料を集めるために広島に移り住む人が出てくる。たとえ人に裏切られてもこの人みたいに生きたいと思って、学生運動を本格的にやろうと思った。
それで八月に共産党に入ったんです。新左翼系の本を読んでると、一回入党して体験しないとだめみたいだ、樺美智子さんも入ってると考えて(笑)。彼女の本を読んでたからこそ入れたという感じですね。卒業後はゆえあって離党しましたけど、学生時代は共産党員として活動してよかったと思っています。

--応援部もやってらっしゃいましたね。

そうそう。それは体力を鍛えたいというのがあって。最初陸上部に入ったんですけど、自主性に任されるから怠けてしまう。もっと練習が厳しい方がいいと思ったのと、独特の世界だから。ちょうど入学したころ、東大野球部が早稲田・慶応に連勝するという赤門旋風というのがあって、応援部が禁止されたはずの寮内ストームをかけた。ミニスカートのチアリーダーが寮の廊下を躍りながら通って刺激的だった(笑)。そのストームに参加したら先輩に勧誘されて。僕、結構バンカラ気風も好きで、学生運動と応援部両方やっていくことにしました。その分、勉強はしなくなりましたね。

--共産党内での寮の位置付けは?

そのころ、81年の共産党は学内でだんだん層が薄くなっていたために、僕も自治会の常任委員に抜擢された。ところが自治会では花開かなかった(苦笑)。理系のクラスでは浮いてるし、かと言って共産党の中では理論的に優れた方ではなかったし、あまり自分でも面白くなかったんですけど、正義感でやっていた。
当時の共産党の認識としては、自治会が活躍の舞台で、寮は活動家が寝る場所。学生運動としてはマイナーな道だったんで僕もあまり寮では運動してなかった。と、Nが82年の春に京大新聞を持ってきたんですね。そこに吉田寮が団体交渉をしてすごい盛り上がっている記事があった。その当時からNだけは寮の重要性を再三主張していて、共産党の中で寮をもっと位置付けてほしいと言って、自らも寮委員長を81年にやっていた。
大きかったのは、文理研系(新左翼系。大雑把な捉え方で、正確には語弊もあるかもしれませんが話をわかりやすくするために以降、共産党系・文理研系に分類します:朝倉氏註)のI君が82年の11月に寮委員長になったこと。これは15年ぶりくらいに共産党系が寮委員長選挙で負けた。全寮連、都寮連役員も選挙の応援をやったんだけど、圧敗したことでショックだった。



--なぜ、Iさんは勝てたんでしょうか?

最初、共産党側も彼をオルグしてたんですよ、元気がいいから。理論的にも近いと思ったし。一方で文理研も彼をオルグしていた。彼は夏に吉田寮に行ったんですね。そこで寮闘争の重要性をしっかり認識したんでしょう。その理論武装と彼の持つ大衆性というかキャラクターで、共産党側が対応できないうちに勝ってしまった。で、彼の寮委員会に40人寮委員希望者が集まって、それが驚異的だった。共産党系寮委員長の時の寮委員会は精一杯集めて15人くらいだったから。その時に分科会を作って、『ぷあ』も作った。活発さに驚いて、これは敵に学ぶべきなんじゃないかと思い始めた。
次の99期は、締切5分前に共産党側からNが二度目の立候補をして、実質2日間の選挙運動で逆転勝利したんです。それも驚異的だった。これはやっぱりNが地道に頑張ってたというのが大きい。最後に顔ビラをまいたんだけど、彼の顔を知らない寮生がいなかったんですよ。つまり、寮というのは直接人間的に結びついて信任がされる。自治会では理論の空中戦をやっていて、代議員大会の場では活発な議論をしているけど、クラスにはそんなに根づいていない。それに比べて寮は直接民主主義に近い。この98、99期で寮は面白いと思った。

--そのあと、水光熱費負担区分問題が起こるわけですね。

100期のT君の時にね。101期の選挙は当初劣勢だったんだけど、二度目の立候補をしたI君側(文理研系)が負担区分反対路線を先鋭化させた。すると、ついていけない寮生が出てきて、それを共産党系(S側)が組織して勝ったんですね。この選挙に関わって、寮はやりがいがあると思って101期の広報部長になった。で、これは初めて言うんですが、その時点で次は僕にお鉢が回ってくるんじゃないかと予測していた。そう思って広報部長の職権を利用して、『ぷあ』を配りながら寮生に顔を売っていったんですよ。寮委員になった時点では30人ぐらいしか顔見知りがいなかったのが、4次案*の署名を集める過程で180人と直接顔見知りになった。それで102期はやはり僕が立候補して、いい勝負になった。

*負担区分問題で寮委員会が作った案で、1次案から3次案が当局から拒否された結果、これなら当局と合意を結べそうだと当局側にすり寄った案。

--手元にある愛コマによると対立候補がAさんで、113対113の同数で(笑)、再選挙になったんですね。

そう。

--再選挙の結果は?

115対113。

--何という選挙(笑)。

うん、すごい選挙だよね。I君は101期で負ける時にすでに先を見越していて、理論を先鋭化させることで、先進層を育てたんですよ。「寮共闘」(文理研系の寮闘争組織)になる活動家グループを20人くらい。一方、当初、共産党は、僕とNとS君、中心メンバー3人で大車輪のように動く体制で足元が弱かった。最終的には共産党の自治会役員のメンバーも寮に投入して、劣勢と思われていたのが同点になった。実はいろいろ秘話があって、幽霊寮生を僕が動員したんだね。とにかく投票日にフル回転したんですよ。朝は寮食堂、昼は北寮前、そのあとは生協食堂に行ったりして、知り合いをつかまえて投票を呼びかけた。普段つかまらない人を7人くらい動員したんですよ。

--でも投票日は運動やってはだめなんじゃないですか?

「投票に行ってください」っていうのはいいのですよ。

--本当にいいんですか?

まあ、いいのだということにしときましょう(笑)。夜はまた寮食堂に張り付いて、そのおかげで同点になったんですよ。その時寮共闘側は、楽観的に見ていた。トリプルスコアで勝つと言ってた人もいたみたいで。活動家集団の数を見ればそれもおかしくないんだけど、開けてびっくり同点だと(笑)。再選挙では向こうも気を引き締めたみたいで、お互い113は動員しきって。で、最後は偶然なんだけど、柔道部の部屋の前で待ってたら、酒に酔った部員が11時50分くらいに帰って来た。その二人を動員して二票差で勝ったという…。まあ、執念ですね(笑)。

--負担区分について、双方の主張はどう違ったんですか?

A君(寮共闘系)は、I君の時みたいにはっきりした絶対反対路線ではなかった。朝倉の4次案は妥協路線だと批判していたけど、そのあとどうするのかについては何か曖昧だったね。でも、おおまかに言えば、合意か負担増絶対反対かという対立だった。総代会決定がまだ負担増絶対反対だったので、2月の総代会で合意を結ぶという方向に変えた。その時は試験中にもかかわらず、一人一人説得して総代を5、60人集めた。運が強いのかもしれないけど、四月までの総代会も一票差で連戦連勝だったんです。痛快だったけどね(笑)。でも消極的支持者がほとんどで、活動家の数だと8対25ぐらいだった。

--寮内では意見が割れていたみたいですけど、対学生・対教官の訴えはどうでしたか。

対外的には、双方とも、「負担区分とセットで出された廃寮攻撃は不当だ」という内容のビラを学生や教授会向けに撒きました。自治会の代議員大会に出ているような学生には寮内対立は明らかでしたが、一般の寮外生には、寮内対立の中身・論点まではわからなかったでしょうから、全体的に「寮が盛り上がっている」と見えたでしょう。その意味ではお互い競争的に学内世論を盛り上げた気がします。
対外的行動で一番印象に残っているのが、2月2日の教授会要請行動です。自治委員会が同時刻に開かれていたのですが、寮共闘のI君が「会議を休会にし、教授会抗議行動を行おう」という動議を出し、それが可決され、自治委員が寮外生も含めて、教授会開催の102号館前にかけつけ100名ぐらいの集会になる。寮共闘がその行動を盛り上げようとしていたのを、当初、共産党内には「教授会との暴力的衝突を狙った挑発方針」と警戒する意見もありました。しかし、その場の盛り上がりをNが機敏に察知して、寮共闘も含む参加学生のパワーを結集しながら、全員一致して、教授会にぶつけるべきだと共産党内の方針を修正しまして、急遽、寮委員長・総代会議長が教授会内で訴える機会を作らせることを勝ち取りました。
Nは、場合によっては、対立派の寮共闘の力をもうまく利用して、共産党の方針を左に修正していくプロ(笑)で、寮共闘内でも評価が高かったみたいです。

--それで学部と合意が結ばれて、4月に入って寮内の批准投票ですね。

大勢はもう決まってたから、5月11日に批准投票で180対30ぐらいで勝ったのね。 4月の総代会の時に印象的だったのはN君の発言で、「批准投票は敗北だと思うけど、これしかないということで提案総代になった。提案総代は他に30人いたけど、ここに来ていない人もいる。提案だけしておいて来ないのは無責任なんじゃないか」と。総代会に連れて来てくださいよと詰められたんですね。その通りだった。で、勝った勝ったと喜んでたんだけど、事態はもう次の方向に進展していて、寮オリエンテーション委員会を寮共闘系が主導して、北幇・中幇(ぺいぱん・ちゅうぱん)のような影響力のある部屋をどんどん新歓オリで作っていったんですよ。オリで、積極的な新入生が負担区分問題に触発されて、30人ぐらい多数が寮共闘側に行って、共産党側には来ないという事態になった。次の圧敗がもう用意されていて、103期寮委員長選で寮共闘系のY君が勝利し、その後、「風の旅団」事件での1989年の政権交替まで共産党系が5年間負け続ける(107期のO君除く)ということになった。

--では、その後の展開を見ると、負担区分問題の時の共産党側の路線はまずかったということになるんですか?

うーん…。まあ、非妥協路線の方がかっこいいから学生がつきやすいとは思うんだけど、それを差し引いても、やっぱり組織の根本のところで負けていたという感じですね。活動家集団を育てられなかった。8対25が象徴している。少数の活動家の奮闘で一時的に勝利したけど、足腰ができてなかったら負けるということ。両方それなりに説得力のある主張だから、合意書路線で運動する主体を育てていれば103期以降の連戦連敗はなかったはず。路線そのものに問題があったのではないという気がする。

--合意について今から振り返ってどう思われますか?

あの選択しかなかったんじゃないかな。その当時は「勝利だ」と言い張ってたけど、「力関係上はこれしかないし、これがベターだ」というのが正確だと思う。あれ以上突っぱねるのは逆にマイナスだと。それにあの合意書の「確認事項3」(当局が寮に関わる方針を出す時には事前に寮に相談し、寮生の意見を反映させるよう努力する)が91年以降現在にいたる廃寮反対運動のキーポイント、廃寮を進めたい当局にとっては桎梏となっている点を見ると結果はオーライではないかな。

--寮委員長を降りた後、卒寮まで1年ありましたね。

103期に負けて「野党」になりまして、共産党活動家数人のみが大車輪で動く体制の足腰の弱さを反省しまして「駒場寮を発展させる会」(北寮16Bが連絡先)という組織を作ったのです。寮生の参加枠を広げてコンパをしたり、学習会をしたり、結構楽しくやりました。中でも、水道料の値下げにつながる「小口化運動」を理論分析し、その問題に消極的だった寮委員会に働きかけてしだいにやらせるように運動したのは成果だったと思います。

--寮の文化的生活の思い出は?

最初に入った部屋はノンポリ学生の部屋だったんだけど、地方から出てきたばかりで何でも珍しいし、全ての人が大人に見えた(笑)。いろんな人と夜まで話すのは非常に楽しかった。インポ合戦もよくやってた。酒はまあ一定飲んだけどね。夜中4時ぐらいまで語り合って、昼前に起きて飯食って4時ぐらいから活動始め12時ぐらいまでやってそれから4時まで語ると(笑)、いうことで授業には全く出なかった。その意味では、運動に力点が置かれすぎて、文化的な寮の楽しさの方はいまいちだったような気がするね。
あとは加藤登紀子さんと会ったことかな。『青春プレイバック』というテレビの取材で寮に来た時に寮委員長として対応した。だけど、部屋にビラが散乱してたり印刷で手が黒かったり、対談と言ってたのにただ「はあはあ」とうなずいてるだけだったんで、期待して見た親戚には不評だった(笑)。
また、当時好きだった共産党の仲間の女性とデートしたのはよいのですが、酔い過ぎて北寮前で2人とも吐いて倒れて、「政敵」の寮共闘に介抱してもらったとか(笑)。そういえば、演劇をやっている女性がなまめかしい格好をして寮委員長室に時々遊びにきたのも印象に残っていますね。女性の思い出ばかりですが、それだけ女性との接触が少なかった証拠でしょう。

--ところで、この春の統一地方選で船橋市の市会議員に当選なさったそうですね。

議員になろうと思ったのは1年ぐらい前です。卒業したあと予備校講師をしながら地道に市民運動をしてたんです。95年の薬害エイズの問題に関わって、「厚生省を囲む人間の鎖」とか川田龍平君たち原告の訴えを厚生省にとどける運動をやった。そうすると、駒寮で学んできた運動のセンスが役立ったんですよ。僕の年代では運動の経験者は少ないし、たいていは政党の専従になってたりして、フリーの活動家で動ける立場の人はさらに少ない。もちろん被害者の運動が前提としてあっての話だけど、私の過去の経験を運動に役立てることができた。たとえば、ビラを早く書く能力(笑)。寮をめぐる運動では、寮共闘などが出したビラに2、3時間で反論のビラを作らなければならないことが何回もありましたからね。
薬害エイズでも運動が退潮期になると国レベルの政策を動かすのはなかなか難しいことがわかった。それに仕事の合間だとあまり力が割けない。今中心にやっている交通事故を防ごうという問題だと、事故の5割が自宅から500メートル以内で起きているから、地方の道路を変えないといけない。子供ができて東京にもそう出て行けない。それらを総合すると、地方にいて職業として運動ができる道ということで地方議員を考えた。船橋に来て4年、選挙の準備を始めたのが4カ月前で、それからあらゆる運動をして当選ができた。それは駒寮や薬害エイズの運動経験なしには考えられなかった。

--選挙での主張は?

中心は、車優先社会に対する批判から、「安歩権」「安全に歩ける街作り」ということで**、ほとんどそれ一本に絞って。船橋は歩行者にとって道がひどいから。

  「安歩権」とは歩行者が車に脅かされず安全に歩ける権利のこと。理想は、小学校区の歩行者天国化。幹線道路は車が通ってもいいが、生活空間は歩行者優先にする。生活空間に車が侵入することが高齢者や子供に被害と圧迫を与えているのだから、車の便利さを一部放棄すれば、被害は減るはずという主張。短期的には歩道の確保・段差解消・通学路車両制限などの運動をしている。

--駒場寮の今後の展望を開くためにアドバイスを。

やっぱりクラスの学生に根づくしかないんじゃないかと思う。そうすれば当局も強行手段を簡単に取るのは難しいと思う。それが最低の条件で、その上で教官内に、ある方向で妥協しようじゃないかという動きが出てきて学内解決になるんじゃないかな。

--教官に向けてはどう言ったらいいと思われますか?

学問は現場と切り離されて存在するわけではないから、駒場の現実と切り離して自分の学問だけをやっていて本当の学問なのかということを突きつけるしかない。たとえば環境問題を研究している人には、寮の木を強引に切っていいのかとか、政治学をやっている人には、7000人の学生と教授の合意も形成できなくて政治学を教えられるのかということを、各学問分野で。全共闘が一定、研究者層に影響力があったのは、自分の学問と東大闘争との関係を各研究者に突き詰めたからだと思う。駒寮の運動でも「知のモラル」批判で少しやったけど、それをもっと活発にやる必要があるかなと。

--最後に寮へのメッセージを。

やっぱり、すごいと思いますね、寮に来るたびに。当局の不許可の状態で電気・ガスも止められて、現代の学生が3年半も住み続けている。それを見て、僕も頑張ろうと いう気になる。学生が無気力化したと嘆いている暇があったら、寮生の心意気、すごさを教官も見直すべき。こういう人が住んでいる駒寮は貴重だという認識を多くの人に持ってもらいたい。
政治の世界は旧態依然が続くことが多いけど、さっきの話にもあったように駒寮は、たびたび政権交代している。民主主義の学校。民意が反映している。日本の今の政治状況の中で、こんな場所は貴重。
今の日本、「確約された未来」(将来設計)を求め、行動している人が多いけど、今の寮生には「確約された未来」がないことに取り組む勇気がある。勝てるかどうかわからないのに3年半闘っているわけだから。でも物事はやはりやってみなきゃわからない。僕がやっている市民運動も同じ。確約された未来がない点では、駒寮と一致している。でも、正義は勝つに違いないという確信がある。「安歩権」「車優先でない歩行者優先の道・街づくり」が認知されることと、廃寮を撤回させる学内合意を勝ち取ることも、「難しいけど可能性はある」点では同じだと思いますよ。

--どうもありがとうございました。

7月某日、駒場寮にて。

当会の討論誌『いろは』は,会員のご好意を得て一部をWEB上で公開させていただいております。1号からのバックナンバーと,97年の公開シンポジウム『自治と大学と社会』の講演記録もここから参照していただくことができます。
まだご購読いただいていない方に,当紙をご紹介いただく際には,ぜひこちらをあわせてお知らせ下さい。
URLは,
http://www.longtail.co.jp/iroha/

寮OB・歴代寮委員長について教えて下さい

寮OB・歴代寮委員長の情報募集は継続中です。本紙を郵送したいと思いますので、ご存じの寮OB・寮委員長の氏名・住所を、表紙ページの連絡先までお知らせください。
また、『いろは』では駒場寮経験をつなぐという試みの一環として、OBの方々にインタビューをさせていただいています。在寮当時の様子をお話しいただける方、推薦していただける方からの連絡をお待ちしております。
電子メールの連絡先は、**(足達 研太)まで。


胴上げ1--駒場寮経験者の今


ポスト・モラトリアムを語り合おう。駒場寮に集った「私のかけら」は今、力強くはばたいているはずだ。恥じらいない自己肯定が必要なのだ。
この社会の一角に結局居場所をどのように占めているのか、
私達は語り合おう。昔の記憶をたどるよりも。私のかけらは、私の駒場寮は、今君のいるところに点在しているのだ!胴上げだ!

小柳 次郎さん(85年入学 株式会社詩林堂/代表取締役)

聞き手:小塚昌隆


小柳:なんで駒場寮のOB誌にですね、私が取り上げられるのか最初は解らなかったんですよね。85年入学でして学生会館の211という部屋の駒場祭委員会に2年間いた。「酒も飲まさぬKFC、餅も撞かさぬKFC」と駒場寮から言われ、第六委員会からは「百点満点の管理」と言われました(笑)。「それに対して寮祭は3点くらいだ」(爆笑)と。
小塚:僕は87年入寮ですが、小柳さん、寮の炬燵でよく寝てましたよね(笑)。入学当初はどうでした?
小柳:最初に文三に入学した時の語学クラスの3分の1くらいの人達は滅茶苦茶勉強していて。3分の1が女の子で凄く良く出来るのよ。最初っから、コンプレックス丸抱えになっちゃって。
小塚:駒場寮に足繁く通い始めたのはいつ頃ですか?
小柳:本郷に行ってからなんですよ。そのため学問がおろそかになってしまったんですね(笑)。私にとっては、寮は最も慰安を感じた場所だった。寮生であったことはないのですが、入り浸たらせてくれて感謝しています。
  卒業後、CSKに就職しました。その後何度かの転機があって今の会社の取締役になったのですが、その転機の全てに、駒場の…「正規」じゃない領域の人間関係が絡んでいるんですよね。つまり、学部での学問とかゼミとか研究室とかでの人間関係ではない関係がね。
小塚:哲学科卒業でいらっしゃいますよね。何故コンピューター会社に行かれたのですか?
小柳:当時CSK社内で「もうひとつの日本」「ソフト化・サービス化」というかけ声があって、日本地図が双つ並んだスライドを新入社員に見せていたんです。バブル経済の崩壊でソフト部門は空洞化するのですが。当時文系が大量に採用されたのは先見の明がありすぎたと言うべきか、当時、これからのコンピューターの目的は単なる情報処理じゃなくて、知的な情報処理をすることだって言われていたんですよ。ま、人工知能ってことなんですが、そっちの方に興味があったんです。コンピュータってのは、命令されたことを処理するだけでしょ。人工知能には判断をさせるわけ。つまり、ある目的を達するために、やるべきかやらざるべきかということを教えてくれる。典型的なのは患者の症状を入力すると病気の原因を考えてくれるソフト。
  あと、もう一つは、曖昧な判断ができなきゃいけない。曖昧な判断ができて知的な判断ができる。そういったことが今後のコンピュータの行く方向だと思われていたわけですよ。人間の脳の代わりになるものだと。
  AIの理論でコンピュータに知的な情報を与える枠組を考えると文系的な発想が必要だったんですよ。
小塚:論理的な思考ってことですか?
小柳:旧来の理系じゃよく解らないものなんですよ。それこそAIをやるには国文学者を連れてきてやんなきゃいけないって話もあった(笑)。
小塚:今の会社には「れんこんネット」とかいうパソコン通信が大きな契機になったらしいですね?
小柳:その頃のパソコン通信には今のインターネットのようなインパクトがありまして。同じ様な考えを持っている人ばっかりいると、議論の幅が狭いじゃないですか。ところが、草の根通信とかだと、色々な人達が来て書き込みをするわけですよ。で、そういう人達と上手くいくと色々お話しができる。むしろ、そういう人達と話をしてるのが私は面白いですね。文書情報だけを通じて相手を説得したり、議論を深めたりとかのきっかけになる。
  これはインターネットでも全く同じことなんだけれども、掲示板とかは文字のやり取りですよね。しかしそれが上手くいってないんですね。困難なことに頼っている側面がありますよね。「コトバだけでコミュニケーションがとれる」ということが出来ないんですよ、皆さん。それは高めていかないとね。
小塚:どうですか、社長さんになってからは?
小柳:行動の自由度は著しく上がりましたね。それは社長をやって辞められない一つの理由ですね。私は社員はできないけど社長はできる。社員の方が逃げたい時に逃げられて気楽な面もあるかもしれませんが。
  よく人にアンビバレントって言われますけど。自己矛盾。自己否定と自己肯定が一体になってると(笑)。資本制社会への嘲笑というか、「おふざけという真面目さ」で社長やってます。
小塚:カッコいいっすね。でもそういうところしかないんじゃないですか?よく「主体」とか言われてましたが、そんな言葉、今通ると思います?
小柳:自分のホームページで「社長日記」とか書いてるんですけど、だんだん「社長」って文字が浮いてきちゃうんですよ(笑)。「こいつ何時経営してる?」みたいな。
  でもね、金にならない儲けというか、金にならない蓄積もためなきゃならないんですよ。今興味があるのはインターネットを使った商取引を支援するソフト開発ですね。E-コマース方面は日本は浅いので掘り起こし甲斐があるんですよ。
小塚:大企業のホームページって、雑誌広告よりつまらないですよね。
小柳:インターネットっていうのは現実の経済規模に効果が比例しないんだよね。インターネットのいいところは、実際の会社の規模で一対千くらいの差があっても、インターネットで一対十くらいに出来るし、逆転することも可能なんですよね。注目度でいうと。
  大企業にとってインターネットというのは相対的に不利な基盤なんですよ。現実のヒエラルキーをインターネットはぶち壊す可能性がある。
小塚:大企業は何故もっと上手く活用できないんですか?
小柳:大企業的なところにインターネットの仕組は適合しないというのかな。適当に予算を振り分けて「やれっ」て言ったって動くわけないでしょう。ちゃんと興味を持って最新の動向に注意を払っている人を専属で付けなきゃいけないんだけど、そういうとこにちゃんと人員を配置できる企業って、あまりないんじゃないですか。
小塚:大企業にも居たことのある小柳さんだからこそ言えることですね。こりゃ皆、小柳さんの会社に発注した方がいいでしょうね。いいものができる。
  さて、「駒場寮を残す価値があるのか」という問いかけに対して、よく「ここでは非常に物事が深く話し合われている」場所だから残したいという答えがあるじゃないですか?じゃあ、何が「深い」のだと思われます?
小柳:駒場寮ってのは、一緒に生活してたり、終電を気にすることもなく、お酒好きな人はお酒を一緒に飲みながらだべりつつ、相手のプライバシーの領域にまで踏み込みながら、何でも腹臓なくおしゃべりができるところが特性じゃないですか。
小塚:寮の場合、そこらへんは5パーセントくらいでしたね。あとの95パーセントはただ一緒にいるだけ。
小柳:すごいベタな話なんだけど、僕はそこがすごく良かったんですよ。その雰囲気が。そこに慰安を感じたってところじゃないかな。今度カンパしておくよ。
小塚:違う考えを持った人間が一緒に住まわされて。ある意味奇蹟に近いですよね。その中の関係がdeepだったのかなあ?だって、あの時はモラトリアムで、「今後どうして生きていくか」とか全く話し合わず、そこは捨象して、「時間の進行表の中から切り取られたモラトリアムの満喫が宙吊りにされていた」ような、あそこでの2〜3年間。
小柳:仮に私の場合、学生会館や寮がなかったとすると、普通な学生生活を送らざるを得なかったでしょうね。今後の学生さんはそうなるでしょうね。決定的なモメントだったと思う。人格的影響力という点では寮の影響力はデカかった。東大生としてはドロップアウトみたいな人たちと付き合ったりするというのは非常にお互いにとって決定的な影響力を及ぼすということを思いましたよ。
  いまだに私は、結局、そうなんですよ。
小塚:「ドロップアウト」というタームから駒場寮をなるべく美しく語りたいですね。
小柳:ドロップアウトした人っていうのは、世の中の主流の論理から外れた意見にも耳を傾けられるようになる。エスタブリッシュメントを投げ棄てる精神っていうのが、今出て来るとすれば、寮みたいなところが基盤になるしかないじゃないですか。学校の言う通りまともに授業に出て単位を取って、といったところに出てくる要素は全くないでしょ。
  大学に求めるとしたら、そういうとこなのかなあ。東大に求めるとしたら、やっぱ駒場寮、しかないよ、場所が。

99年6月26日 at 八王子、詩林堂



座談・我が手の歴史を! 第1回 86-87駒場寮--a

「現在が過去を操る。」それが言及の必然だとしても、嚥下不能な異物を標すこともまた不可能ではない。

足達:今日は、80年代後半に期間を限定して、その当時の寮について語って頂きたいと思います。つまり皆さんが寮生だった時代のことですね。もちろん、寮の通時的な特徴と共通する所があればそれも語って頂いていいんですが、考察対象として期間ははっきり絞るということです
  まず、僕の印象なんですけれども、外から見て80年代後半の寮はかなり盛り上がっていたような印象をずっと持っていたんですね。そのへん実際どうだったのかを明らかにしたいというのが一つ
  それと、80年代半ばから89年にかけては、一つの時代として括れるような際だった特徴があったんじゃないか、と僕は思っているんです。その特徴に関して、できるだけ肯定的な側面を思い出して語って頂きたい。つまり「いいところ」ですね。
  で、一番最初はOBインタビューでもいつも聞いているんですが、「なんで寮に入ったのか」ということですね。
山口:僕は86年4月入寮なんですけれど、単純に通学に電車を使うのが嫌だったからなんですね。
  あと一つは、大学に入って東京に出てきて、何か新しくなりたい、生まれ変わりたい、自分を変えたいとかね、とりあえず普通の人の暮らしじゃなくて“特殊な地位”にいたいということかもしれないです。
小山:僕は87年入寮で、大学に入ってすぐ寮に入りました。まず東大に入る理由っていうのが、それこそ家が貧乏で下宿はキツいだろう、と。で、家からぎりぎり通える範囲で大学を選んだと。それで、寮に入れるなら入っちゃえ、ていうのが正直な所ですね。親から離れられるなら離れようという気が強かったような気がします。一回自分で全部、生活をつくることをしたかったなあ、と。あとはこういう(寮内の)雰囲気が好きで(笑)。もともと家が貧乏で、その頃借家で、汚い古い民家、住宅だったから、寮に入っても違和感なかったんですよね。落書きはすごかったけれども。それ以外に普通に言われている「汚い」とかそういうイメージは、仮宿部屋に合格発表の時とか何回か泊まっているんですけど、全然無かったんですよ。 あとは高校時代とか受験勉強しかしていなかったという印象があって、生活レベルで、家族以外とつきあう経験って乏しいんですよ。そういう意味で、違う人との付き合いっていうか共同性みたいなものが欲しいって、漠然と思っていたと思うんだよね。
小塚:京大と東大受かったんですけど、マルセル・デュシャンが大好きで「大ガラス」がある大学が魅力で東大を選んだ(笑)。「友達が欲しいなー」っていうか、デュシャンとか映画のこととか哲学のこととかを語り合える友達が出来たらいいなーって感じで、結局入寮ですね。親の方も「何でも利用する」というような貧乏人でしたので。

※ ※ ※

足達:経済的な面で「安い」というのは皆共通していて、寮生活で小山さんが言ったような「他人とつきあう生活」とか「友達が出来そうだ」とか、そのへんもあるわけですね。
  皆さん自身がなじめなかったという気分はなかったんですか?
小塚:「(寮を)出ていこうかな」とも思っていたんですが、ただ居ましたね。どっかの部屋に行けば酒が飲めるとか、なんだかんだでそれでしょうね。
  あと、大学の中にいたっていうことを、今、痛切に感じるんですけども、市民社会で生活を送っていて、酔っぱらって街で暴れたいと思ってもできないじゃないですか。それが大学内ならできた!っていうのが、(笑)デカイっていうか…。ブルーな夜にラジカセをガンガン鳴り響かせて、(大学)構内を練り歩くみたいな蛮行が、街でやると捕まってしまう。
  つまり解消ですよね。ヒーリングに近いようなところが(寮に)居つかせたというような感じでした。結局、うさばらしって言うのかなー。再生産っていうのか…、その後の自分のテーマにもなっていくし、その頃の寮を結びつけたものとしても大きなファクターになると思うんですけれども。
  やっぱり、それを許す場所って他にないですよ、世の中。作ったりもできるんですが。
小山:僕の場合、寮から離れたいと思うより先に、「大学への幻滅」ってのがあった。五月病に近いのかもしれないけど、普通の(学生)生活から離れていって、その代わりに寮の中で新しいモノを経験していくって感じだったと思う。
山口:僕は違うんですよね。僕はクラス活動家だった。寮との関わり方で言うと、彼ら二人は寮委員長だけど、僕は違うんですよ。どちらかというと僕はクラスの方で、自治委員でクラスタイムをちゃんとやって自治委員会に提案を出してとか、そういう話をやっていたんですけど。ただ経済的理由で寮には住んでた、面白かったとは思うけども、寮委員になったのも86年の終わりの方だしね。だから「寮!」という意識はほとんどなかったです。ここにかなり小塚君や小山君との温度差があると思います。寮に対しては「外から」という立場でした。

※ ※ ※

〈87秋の寮祭〉
小塚:たぶん山口さんが「外から」と言うのは、僕ら87年入寮の立場から言うと、「秋の寮祭」というのがデカイんですね。寮委員会の結束というのが始まったのがこの辺りからなんですよ。
  これが87年秋の寮祭の基調(討論)の辺りからなのですけれども、A委員長の下、毎週学習会をやって、今まで(学生運動体に)なかった「基調をつくろう」という運動だったんですよ。
  そのテーマというのが「共同体としての質、クオリティーを高めていこう」というものでして、毎週毎週学習会やって、一人一人がレポーターになって、学内の政治問題から、原理から、ファシズム論から、Xデーに対しても勉強する、という。たぶんA委員長の意図としては、共同体を構成する委員がある程度の理論武装を皆している、各々論理をもって集まっている空間を作ろうという運動でして、非常に面白かったんです。個人的にすごく楽しくて、いろんな本読んでまとめて発表して討論する空間が異様に楽しかった。あの寮祭実行委員会はすごく魅力的でした。
  それから、暴力的にまとめるならば、山口さんの言う「不動の寮委員会」が始まるんですよ(笑)。学内問題には接さない。寮内で学習会中心の……。
小山:でもその前にストライキがやっぱあったからっていう、寮とかの運動にポジティヴにかかわったってのはストライキがあったからなんだよね、きっと。なんかお祭り騒ぎだったんですよね、僕にとってもね。
山口:87年の学院のストライキなんかは、3月くらいから準備されていて、君らが入ってきた。結局アレが行動主義的には盛り上がったけども、非常に皆さん空虚な気分で総括された。僕は実際、対応不能に陥ったし、そのときAは理論だ、と。理論的な蓄積のないところに運動体は体力を持たないんだという解釈だったと思う。
  結果的に寮委員会は「理論的蓄積」というのをやったけど、じゃ、その後寮祭実がどういう運動を自分たちで組んでったのかってことは、見てましたけど、なかったし。まあ寮祭をやりましたよ。寮祭はやったけども、そして基調を発表したね。その基調が運動にどういうふうに果たされていくのか、基調が運動の中でどうキタエられていくのか、とかね、そこが全くなかった。
  理論的検討がなかったとスト実が言われるのはわかるけど、その一方で「寮祭実は運動がない」と僕は単純にまとめている。
足達:僕が思ってた印象としては、大雑把ですが、87-88-89の辺りは、寮のOBが集まる寮祭や花見の時に来る人数が多いし、それに学外の運動---山谷や障害者や天皇関係などに携わっていた人もたくさんいたりとか、あるいは『愛コマ』なんかも88、89と分厚くなっていく。それは寮自治、寮委員会の活動ってのが、わりと力を持っていたとか、盛り上がっていたっていうことは言えないんですか?
小塚:たぶんそうだと思います。
小山:うん。
山口:盛り上がりは何を基軸に評価するかでしょ? 寮祭実の外部的な規定力はゼロだったと思う。で、中でそういう話をしてるからって、いろんな話を持ちかけたって反応は何もない! 一切ない。
小山:活動量は大きかったかもしれないね。何も問われなければね。
小塚:寮外から見れば本当に煙たい。人だけいるんだけども動かない。実に会議だけ長くやってる集団に映ったんじゃないかと思いますね。
山口:単にゼロだったんじゃないか?
小塚:ゼロ!? 何がゼロ?
山口:あるって言えばあるけど、やっぱり無いんだよ。だから別に煙たいとも思わなかった。「何もしないだろうな」って思ってたから、何か自分にかかわってくることがあるとも思わなかったし。もったいないなとは思ったけど。
小山:僕は学院ストから入っているから、一方で何も知らないでお祭り騒ぎで入っちゃっていて、そこにあとで理屈をつけるってのに関心があったと、寮委員会は、思うのね。「なにか動かなきゃいけない」けど、動いた経験ない人間だから、どこで動いていいのかわからなかった。
小塚:だからなんで集まってたかなんですけど、学生運動やりたいとか、集会に行くとかって関心はゼロに近かったですね。そこはゼロなんです。そこはゼロなんですが、「なにで結びついてたか」なんですよ。学習会をやった仲とか、音楽とか映画の趣味が合ったとか、一緒に集会には行かないんだけども、前衛映画の上映会には一緒に行くみたいなのの延長だったんですよ。
  高校とかの文芸サークルに近かったのかなあと、それを楽しくやってたんだなと。だから文化祭向けのミニコミ編集ノリで、分厚く編集したパンフレットを作ろうってのもあったし。ある意味、活動家ってよりも趣味人の集いで、87は特にそうでした。
山口:僕らの時も、僕らの動く枠組み=図式ってのはあったんですね。一旦それをご破算にして87の人たちはもう一度それを組み直そうという努力ですね。それは組み直しは非常に楽しいと思うし、そのつながりじゃないですか。だから「自分たちで作った」って実感は87の人たちが一番デカイ。
小塚:そうですね、寮運動ってものを作ったと思います。思ったのは、「集会に行こう」って人を誘うことよりも、読んでいる本とかの---本棚とかCD棚とかをチェックして、そっちで話を進めた方が人は集まるってことなんですよ。麻雀共同体ですとか、文芸派とか、学館と自分のクラスの共同体とか、そういう趣味で気の合う各々を総和した。そしてそこでの議論を寮委員会に持って行ってもう少し広い議論にしてみようみたいな流れでしたね。
山口:まあ、いろんな人たちの共同性の存在というのがあって、いろんな形で付き合いして固まったつながりがあった。それが寮に持ち込まれて、そこにあるものを寮に持ってきた。
  ただ、そのことと、そこに被せられたイデオロギーは全く別の話になってる。要するに、作っていくってのは中味は何でもいいんだな。
小山:共同性から言ったらそうかもしれないね。
山口:それでは基調が活かされないのは当然であって、その後どういった戦略をとっていくかは一切ないから。「身の丈に合わない」ってことだけど、つまり、本当にそういうことを考えている訳ではなくて、まあなんとなく頭でわかってるってレベルだよね。------いいかげんなものだった。
小山:僕ら活動家としての自覚ってのはなかったんだよね。たぶん僕なんかもクラスと切れる過程が運動やっていくことだったから、そこに再オルグとして入るってのは、もう何年もかかっているんだよね。
山口:だから「あちら側/こちら側」なんだな。結局もっと原理的な話なんだけど、何か政治的な主張をするとか、何か人に要請する、人に正しいことだと思って主張することを「男根主義」だとかさあ、そういう形で批判した気になるってのかね、それは完全に「逃げ」っていうか、どうしようもない思考停止だと思うんだけど。
  そんなこと言ったって話にならない。それが状況に対するどんな批判になるのか僕は分からなかった。僕個人に対する批判だったら「あなたの話し方が悪い」「あなたは押しつけがましい」と言ってくれた方がまだわかりやすいんだけどさ。
  「何で俺が正しいと思ったことをみんな正しいと思わないのか?」っていう。今から考えれば、それが一致することの方が奇跡なんだけれども、当時は自分が「正しい」と思うから「こうすべきだ」「こういうことをやろう」と思っていて、それをちゃんと説明しさえすれば、相手もそう思うはずと感じてた。まさにファロクラシックな思考でオカシイんだけどそういう感覚があった。
  で、「なんでそう思わないんだ」「オマエ何なんだ」と(苦笑)。
小山:こわいなあ。
小塚:まあそんなのが日夜繰り広げられてましたね。
  そういうことをやってる先輩たちがいて、「嫌だよ」とか泣いちゃうヤツもいて、そういうヤツの肩を持って「まあまあまあ。いいじゃないの。やんないよりかはやった方がマシ」っていうような共同体だったと思うんですよ。
山口:そういう思考サイクルは間違いだと言われれば今ではそう思いますけどね。
小塚:それと違うプールを作りたかったんですけど、RCは。



※ ※ ※

足達:山口さんは寮生に期待したわけですよね。
山口:だって期待するじゃない、あんな基調出すんだから。米帝の没落から、日本資本主義の動揺から、そこがよくわからないんだけど世の中はファシズムに流れ込んでいく傾向があって、その中でRFJCは闘うって。「そしたらやっぱやってくんなきゃ」って。なのに話に行くと腰重いし。「なんなんだ?!」と思いますよね。
小塚:それは難しい。あの基調を採択した人間をもういっぺんよんで。(一同爆笑)
山口:「あのときの基調は今の私たちにどう生きているのか」って。
小塚:みんな採択したわけだぜ、あれを。俺たちより責められるヤツはいくらでもいる(笑)。だって俺たち一応あの基調引きずって生きてるぜ。
小山:あれをRCから離れたあとにどう引きずっていけるかというのはみんなどうだったんだろうね。僕は引きずっているつもりだけど。
小塚:俺もひきずってるよー。場も広げてるさあ。いろんなとこで共同体の質も獲得してますよ。人と人との話でも、人の心の中にどういう切り口で入っていくのが一番いいのかっていうことは、あそこではとても学べた。東大の運動では他にはないんですよ、これが。けっこうあの組織ってのは猥雑だったと思う。
足達:動かない、運動に関わらない、腰が重いという点について、86年入寮の人たちのRCはどうだったんですか?
山口:86年のRCは「駒場の運動を牽引する」立場だから。他の自治団体はそんなに活発じゃなかったし。全学のオリエンテーションを形も内容も寮が作った。
  87年の初頭に国家秘密法の上程に反対するハンストがあったけど、ハンストしたのも寮生だね。秘密法は現実に動いていた問題で、朝日のキャンペーンに乗ったとはいえ、東大のハンストはそれを止めるひとつの力になった。そっからみると87の寮祭実はかなり特異なんだよね。86はどちらかというと行動主義だからね。まあ「まず動け!」「考えるのは後でいい」みたいな。それを米ちゃんが自己批判して理論構築に行くって言う転換が大きいだろうね。
小山:Yさん87のRC合宿に来てたよね。印象強かったな。ほとんどYさんが話してたもんな。
足達:そのころYさんの思想が変わってRCの方向性を大きく変えたと言うことですか?
小塚:だから結局、個人の志向で動きますよね。「勉強したくなった」とか「外にでたくなった」とか(笑)で。
  またその呼びかけにRCは断れないんですよ。世の中とは違う世界だから「正しい」ことならやんなきゃいけない。世の中ではそんなの「異常」だし、普通だったら正しいこと言ったって通らないのが当たり前なわけです(笑)。それが通ってしまうという。
  「東大生の立場捉え直してんでしょ」→「否定してんでしょ」→「だったら大学の壁解体しなけりゃならないでしょ」→「だったら外の人と連帯しなきゃなんないでしょ」という論法が通るわけですよ。
小山:通ってたね。
小塚:「ハイそうです」ってみんな言うわけです。「そのとおりだ」と。
山口:反論できない。
小塚:なんの余地もない。
山口:反論できないことイコール負けだからね。
小塚:もうやるしかない。そんなヘンテコな民主主義がまかり通ってた。なぜ?
山口:普通なら「そんな過激なこと…」という反応が出てくるんだけど、それは禁句だから(爆笑)。

続く…

新しく始まった企画「我が手の歴史を!」では、駒場寮に関わった経験に触れながら、その経験を複数の視点から意味づけていく座談会を継続して開催して行く予定です。いま言っておかなければ、放置すればいいように言いかえられてしまうという<私たち>の経験をお持ちの方。この場で自ら言い止めておきませんか? 混乱や我田引水・放談でも結構です。もちろんその結果として生じるリアクションも歓迎します。どのようなことについて誰に語らせたいかというリクエストでも結構です。ぜひとも協力してください。

編集部



発電機カンパを寮自治会に手渡しました


 前号までの発電機カンパ要請に対し、これまで21人の方からご協力をいただき、総額22万円のカンパが集まりました。心より御礼申し上げます。これまでの集計分を過日、寮委員会に手渡しました。
 寮生の電気確保努力のかいあって、駒場寮は4月以降も着々と新入寮生を迎え入れています。新入寮生の数が多いこと、クラスルームの利用が活発なこと、部屋や廊下に明々と電気が灯っていることなどから、最近の寮は、電気が消える前のような活気を取り戻しつつあります。
 が、寮委員長からの要請文にもありますように、燃料費は少なからず寮財政を圧迫しているようですし、燃料の購入・電気の継続的な供給にも、並々でない労力がかかっているようです。さらに大勢の寮生を迎え、寮運動を盛り上げていくためにも、電気の安定供給は欠かせません。
 カンパの現在集計は、目標額の100万円にはまだまだ足りない状況です。目標額に到達するまで引き続きカンパを受け付けておりますので、是非ご支援のほどよろしくお願いいたします。


----カンパ者一覧(敬称略・五十音順)----
岡田徹太郎/奥津融/柏木信泰/佐久間健/佐藤実千秋/信貴辰喜/杉本昌純/成瀬豊/難波卓志/西尾洋祐/松本博文/山口素明
ほか10名様




10,000円カンパで駒場寮に灯りを!

寮委員長からの要請全文

駒場寮への支援カンパのお願い 147期駒場寮委員長

 学部当局による96年の電気・ガス停止以来、駒場寮では南ホール(旧・駒場寮生食堂)から全寮に対し電気を供給してきました。ところが、昨年9月の南ホールでの放火とそれに乗じた当局の南ホール建物に対する電気停止により、全寮が停電してしまいました。これに対し、電気を止めて寮生をむりやり追い出すというのは許せないことであるし、そもそも「廃寮」自体が不当なものであるということから、付近の建物からそれを管理する学生団体の許可を得てわずかながら電気を供給することで、公共部分にのみ電気をつけ、寮生は部屋ではランタンの灯りで生活し石油ストーブで暖をとるなどして、あくまで電気復を求めてきました。こうして今年の3月まで、周りの学生や全国の学友そしてOBのみなさんの協力もあて、わたしたち駒場寮生は実に半年間にわたる停電に耐え続け当局に対し送電再開を求めて闘ってきました。電気復旧仮処分の不当却下後、入寮募集を成功させ新入寮生の定着を図るためにも、安定的な最低限度の電気が必要であろうという判断などから、大型発電機を購入し、充分とはいえないながら全寮への電気供給を開始しましたが、このような電気供給体制には二百数十万円という金額がかかっており、さしあたり寮自治会のこれまでの貯蓄を充ててきたため、財政を徐々に圧迫してきていますし、今後も燃料費がかかるものと思われます。そこで駒場寮では、駒場寮存続のための支援カンパを募っています。停電攻撃をくぐり抜け、新入寮生も例年通りたくさん迎え入れることができ、今後も送電再開と駒場寮存続を求めてたたかっていきますので、駒場寮OB・支援する会のみなさんには、是非とも駒場寮存続支援のカンパにご協力下さいますようよろしくお願いします。


「駒場寮存続を支援する会」会員募集中


 支援する会は、元寮生など駒場寮に一宿一飯の恩義を感じる駒場寮経験者を中心に96年の春に結成されました。東大当局の「廃寮宣言」をものともせず「駒場寮の存続をめざし運動を続ける寮生を支え」、ともに「駒場寮の存続を勝ち取ること」を目的に、駒場寮経験を交流させ、寮存続に向けたうねりを作り出していこうとしています。そのために必要となる、寮生への物質的・精神的支援、駒場にはそうそう足を運べないでいる会員のみなさんへの情報還流を主な活動としています。いま手にしていただいている討論誌「いろは」は、そのためのメディアです。支援する会では会員を引き続き募集しています。駒場寮の存続を勝ち取るために、ぜひあなたの力を貸してください。まずは購読会員に、購読会員の方は正会員に、正会員の方は運営委員になって支援する会を支えてください。

○会員登録更新のお願い
 97年11月に会員制度を新たに整備した関係で、それまでに会費相当額以上のカンパを寄せてくださっていた方々を自動的に会員に数えさせていただき、98年10月分まで会費納入済と見なす措置をとらせていただきました。該当する会員の皆様、更新の時期がまいりましたので、会員登録の更新をお願いいたします。
○会員・購読会員になってください
 いま会では『いろは』発行部数の拡大に鋭意取り組んでおりますが、それに伴う出費増に加え、「6.28事件」裁判費用の支出などで今後、財政の逼迫が見込まれます。まだ会員・購読会員でない皆様には、ぜひとも(購読)会員になっていただきますようお願い申し上げます。「いろは」購読のみご希望の方は99年度分購読料1000円を、会員登録をしていただける方は、年会費12000円(月会費1000円;「いろは」購読料含む)を郵便振替または銀行振込にてご納入下さい。
○郵便振替ご利用の際のお願い
 郵便振替を利用して出資していただく場合、内訳を明記していただくようお願いいたします。例えば「会費○年分/○ヵ月分」「会費○年分+カンパ」「購読料○年分」など。銀行振込分については、事務局からの通知を『いろは』に同封するなどの手段で確認いたします。

さくら銀行の支店の閉鎖統合により、6月14日からカンパ振込先口座が以下のものに変わりました。郵便振替については従来通りです。

さくら銀行 中野坂上支店(普)
口座番号 *******
口座名称 駒場寮存続を支援する会  難波 卓志
郵便振替
口座番号 *****-*-******
口座名称 駒場寮存続を支援する会

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