iroha 16

いろは 16



---------------------------------------------------------------第十六弾 目次
CONTENTS 16
■巻頭言
■駒場寮1999
■寮食堂解体ドキュメント
■『明渡し裁判』の報告
■『6・28裁判』の報告
■OBインタビュー 杉本昌純さん(16期寮委員長)
■寄稿・大学教員の自治能力喪失診断としての大学審路線と駒場寮存続運動の意義
■4月4日花見のお知らせ
■会員募集、カンパ集中のお願い
■10,000円カンパで駒場寮に灯りを! 寮委員長からの要請全文

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駒場寮経験をつなぐ討論紙    99/3/14 投稿歓迎

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編集/発行:    駒場寮存続を支援する会
連絡先:        目黒区駒場3-8-1東京大学駒場寮北9S
電話:          ***-***-****
                **-****-****(呼)
代表:          成瀬 豊        (95,99期寮委員長)
WEB版           http://www.longtail.co.jp/iroha/
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巻頭言

南ホール工事強行に抗議する寮委員長(1/24撮影:足達)
 1月24日、(旧)寮食堂(南ホール)の解体準備工事が仕掛けられた日、動員に応じて現場に来ていた全共闘くずれのある教員と駒寮の存在意義をめぐって話す中で、彼からこんな問いかけを受けた−−「駒寮の教育的意義といっても、それはゼミ等で代替可能なことだとは思わないか」。彼が自負する「密度の濃いゼミ」における議論が学問と生のつながりの領域にまで踏み込み、深い人間的交流を生み出すことも確かになくはないだろう。しかし自由と規律の間で微妙なバランスを取りつつ、社会とその中での己れを見つめながら、合議の下、自分たちで形づくっていく自治寮の生活は、自治精神の涵養機能において他に代替がきかない。本誌前号の西村さん、本号の杉本さんの談話を拝読して改めて確認できることは、時代の激動に伴う駒寮の大きな様変わりの中にあっても、この基本線だけは一貫していた(している)ということだ。
 これを単なる麗しき遺風として博物館送りにすることはできない。人間のありようを〈私〉の平面に一元化し単なる享楽的消費者へと切り縮めていく社会の根本動向を背景に、それに堪えられない一部の人々がある種の新興宗教に代償的満足を見出してきたのが共同性をめぐるここ三十年ほどの基本構図だったとすれば、その歪んだ緊張が破局に向けて煮詰まりの度を深めているのが現在の時代情況である。「ネットワーキング術」と「おたく術」に磨きをかけて〈私〉平面に居直る知恵を身につけよと勧告する新手の吉本主義者や「大きな物語の終焉」を宣告するポストモダニストが時代の「まったりした」ニヒリズムを追認補強する一方で、〈私〉平面からの飛躍の衝迫を国家へとからめとろうとする文字通りの反動=揺り戻し現象がその隙を衝いて始まりつつあるかに見える。駒寮のような自治の場、批判的共同精神を培う場が、こうした絶望的二者択一(不幸な弁証法)以外の選択肢を切り拓くモデルとして今後ますますその存在価値を高めていくことは明らかであるように思われる。
 見ザル聞かザル言わザルを決め込んで久しい大方の教員たちをサルでなくすのは生やさしいことではあるまいが、ともかく強烈な揺さぶりをかけて彼ら彼女らに自分たちがいったい何を圧殺しようとしているのかを自覚させること−−西村さんも指摘しておられた通り、存続運動の活路はやはりそこにしかないのではないか(難波卓志)。



駒場寮1999

12・17新教養学部長に浅野攝郎・前評議員が選出される。
12・20寮委員長選挙。新寮委員長が信任される。
12・25電気供給を求める仮処分の申し立てが地裁により却下される。電気供給の合意事項や債権者である寮生の人格権を認めない内容の不当判決。
12・27学館前のごみ捨て場から不審火。
12・31越年コンパ。
1・4教養学部により南ホール取り壊しを予告する公示が出される。
1・14南ホールに関する共同アピール案を各自治団体(学生自治会、学友会、学館委員会)に提出。
1・15寮内定期刊行物『ぷあ』新年特大号発行。
1・19学部当局に南ホール存続を求める交渉要求書を提出。
1・20当局、交渉要求を拒否。
1・21対教授会行動。
1・24
ホールにしがみついて工事を阻止しようとする寮生たち(1/24撮影:足達)
学部当局が強行的に南ホール取り壊し工事に着手。寮生・学生・支援者が実力阻止行動。終日、混乱する(関連記事あり)。
1・27当局に対し、交渉要求書を提出。
1・29当局から交渉要求拒否の返答。
2・3南ホール工事再開。仮囲いを完了される。昼休みに抗議集会(関連記事あり)。後日、取り壊しが始まる。
2・106・28裁判で、三教員について国家賠償請求を申し立て(関連記事あり)。
2・16明渡し裁判の第六回口頭弁論。東京地裁で(関連記事あり)。
2・18対教授会行動。
2・25二次試験・前期日程。駒場・本郷両キャンパスで受験生に入寮案内パンフまき。26日も。夜、受験生お疲れさまコンパ。
3・13二次試験・後期日程。本郷キャンパスで受験生に入寮案内パンフまき。14日も。午後、受験生お疲れさまコンパ。



「傭兵」で向き合う東大教員の醜態

教養学部が寮食堂(南ホール)解体を強行


1月24日(日曜)

6時すぎ ガードマン到着を寮生が発見。続いて工事業者も入構。動員は、ガードマン約100人。今回も(株)新帝国警備保障の派遣(警備業法に違反する暴行を行ったとして6・28裁判で損害賠償の民事訴訟を起こされている会社)。教職員数十人。
8時 裏門近くのゲートから南ホールの裏にかけて、仮囲いの柵を建てる工事が始まる。
9時 寮生・学生が南ホール裏で工事を阻止しようとするが、ガードマンに排除される。
 ガードマン、一部の教員と寮生・学生が対峙する所へ、三鷹特別委・小林寛道がのこのこと登場。「工事を中止せよ。ガードマンを退去させろ」という寮生の追及に対し、「ガードマンの指揮系統を知らない」などと見えすいた言い逃れに終始。
 南ホール表のバリケードに重点を移して、工事を阻止。膠着状態の間にバリケードを増強。
正午 昼休みで工事が休憩。その間に、南ホール正面にもバリケード構築。
1時 工事再開。キャンパスプラザC棟の側から仮囲いを延長しようとしてきたので、ガードマンと攻防し、阻止。その後、この部分にもバリケードを構築。
 三鷹特別委・小林寛道を捕捉して、寮委員長らが工事中止と交渉を大衆的に追及する。小林寛道は苦しまぎれに工事の一時中止を約束したりするが、工事は全く中止されず、そのたびに寮生が抗議する。午後になって、抗議する学生・支援者の数が徐々に増える。
5時 工事終了。ガードマン、業者らが引き上げる。南ホールを裏から「コ」の字形に囲む形で仮囲いを立てられる。南ホール正面については阻止。
6時 学部当局と寮が交渉。当局は、明日の工事はやらないと発言するが、工事中止には応じず。

2月3日(水曜)

 8時ごろ、ガードマンが200人くらい来る。前回の倍の人数。
 北中寮の入り口、出口にガードマンが壁を作って立ち、人の出入りを遮断する。工事区域でもないのに寮前をロープで囲い、北中寮間の中庭へ誰も入れないようにガードマンが並ぶ。寮生が実力で抗議行動をしたが、多人数のガードマンに取り押さえられる。一昨年の6・28と同様の過剰警備が、今回も新帝国警備保障によって繰り返される。
 発見が遅れたのと向こうの人数が圧倒的に多かったので、10時には仮囲いを完了される。


<解説>
 またしても、学部当局によって寮施設の破壊が強行された。
 南ホールは、音楽系サークルや劇団などの練習場として、また寮生や寮内サークルの集会・イベントの場として頻繁に利用されてきた。現在でも学生のサークル活動の場として必要不可欠な施設であり、学生自治団体が取り壊しに反対する声明を行っているにもかかわらず、学部当局は、寮生・学生の意思を一切無視して工事を強行した。学生の自治に対する破壊行為である。
 また、南ホールは元は寮食堂であり、現在まで一貫して寮が管理・使用してきた施設である。よって、学部当局の独断による取り壊しは、法的には違法な自力救済行為に当たる。北中寮の明け渡しを本裁判で提訴しておきながら、他方でこのような違法な暴力行為を行うことは、法的にも倫理的にも公務員にあるまじき行為である。
 ガードマンを学外から導入し、工事強行を遂行するための私兵として使用する。こうした明らかに警備業法に違反する違法行為も、学部当局によって繰り返された。過剰警備を行ったのは、6・28裁判で暴力行為を損害賠償請求されて審理中の新帝国警備保障である。これらは、多数の負傷者を出した97年6月28日の工事強行の際の過ちを、学部当局や新帝国警備保障がなんら反省していないことを示すものである。
 動員されてくる教員たちも相変わらずだった。彼らは、事態の本質と自らの行為の意味をかえりみることなく、三鷹特別委の命令に漫然と従うのみであった。激しい衝突が起こっている工事現場でただ傍観する教員たちや、現場から遠く離れた所で集まってのんびり立ち話をする教員たち。こうした醜態も、また繰り返された。




明渡裁判の報告


国側:三鷹特別委など約10名。
寮側:加藤氏が復帰。尾林、藤田、中西弁護士。
傍聴者:寮生など20名弱。

裁判官:被告(寮)から準備書面(*1)が出ている。原告(国)は次回までに検討してくれ。原告からは証拠説明書(*2)が出ている。その中にある占有関係を、被告は次回、認否、反証してくれ。それから、本案前の抗弁(*3)は維持するんですね?
寮側代理人:はい。
裁判官:双方、(書面などの)出す物は3月中に出してくれ。

以上、5分程度で終了。
次回期日は、4月13日(火)15:30。東京地裁民事615号法廷。


<解説>


*1 寮側の準備書面の骨子
  1. 【本案前の抗弁】----*3を参照。
  2. 【学生の自治の法的根拠】----寮自治会が持つ自治権は、学問研究の自由(憲法第23条)、教育を受ける権利(憲法第26条)に法的根拠がある。また、69年「確認書」の中でも、「大学の自治=教授会の自治」という考え方が誤りであること、学生も固有の権利をもって大学の自治を形成していることが明言されている。これは、東大闘争で当局の大学自治の運用の在り方が問い直された結果、学生と大学当局の間で確認された事柄である。それゆえ、学生の意見にも耳を傾けるといった単なる「紳士協定」ではなく、その主眼は、大学の管理運営について学生にも権限を移譲すること、大学の意思決定過程に学生が参加する権利を認めることにある。
  3. 【寮自治会の管理権限】----寮の管理運営については、一高時代の慣例や確認書以降の文書による大学との合意により、寮自治会に広範な自治権=管理権限が認められてきた(入寮者の選考など)。この合意は、廃寮の一方的決定までは両者の間で再三確認されている(たとえば、水光熱費の負担に関する84年合意書、その実施細目についての改定、寮風呂の移設についての87年合意書、90年の寮フ後任人事の選考、94年の33時間停電問題などにおいて)。
  4. 【寮自治会の合意のない「廃寮」決定は違法・無効】----駒場寮の存続についての大学当局の決定権は、寮自治会への管理権限の移譲によって法的に制限されている。にもかかわらず、寮自治会との合意はおろか協議すら全く行わないまま、91年10月9日の教養学部臨時教授会において駒場寮の廃止を前提とした三鷹国際学生宿舎の建設を決定した。
  5. 【学生との使用契約は国有財産法に反しない】----国有財産法の規定は、行政財産の公共目的に反しない範囲で契約関係を生じさせることを全面的に禁止するものとは解されない。文部省の国有財産取扱規定にも、行政財産の「貸し付け」に関する規定がある。駒場寮は、学生の居住と使用という「公共目的」のための建物である。
  6. 【明渡請求は権利濫用】----駒場寮の廃寮の必要性が存在しないこと、学生固有の権利を蹂躙していること、学生に対しての背信的な決定過程、暴力的退去強制などから。
  7. 【廃寮によって寮生らの被る生活上の損害は甚大で回復不可能】----三鷹国際学生宿舎では月7万円以上の出費増が見込まれる(水光熱費の全額負担、駒場寮の8倍以上の寄宿料、食堂がなく自炊設備も劣悪、通学費の負担と通学時間のロスなどにより)。それを補填する学部の奨学金制度の不備、学生の自治が確立していないこと、留年者は入居資格を失うことも問題。

*2 証拠説明書
 これまで2回国が行った占有移転禁止仮処分の執行調書など。寮生による共同占有という従来の主張の裏づけをしようという意図だろう。こちらとしては、執行調書の誤りについて反論する予定。

*3 本案前の抗弁
 本件は裁判で争うべきではなく、大学の自治による解決に委ねられるべき事案だから、明渡し本案の審理に入る前に原告の訴えを却下せよという主張。前回の口頭弁論で裁判官から、その主張も本案といっしょに審理してはどうかという提案があったが、寮側は今回、準備書面においてこの主張を維持し、裁判官の提案を突っぱねた。



6・28裁判の報告


 97年6月28日、教養学部当局により強行された北寮裏口および寮風呂の取り壊し工事の際、学部が導入した警備員から暴行を受けた四名(支援者を含む)が、永野三郎・小林寛道・生井澤寛の三教員と新帝国警備保障に対して損害賠償を求めた民事訴訟=「6・28裁判」について報告する。

 永野三郎・小林寛道・生井澤寛の三教員については、本紙前号でもお伝えした通り、民事での訴えが却下されたため、2月10日に原告のうち二名が国家賠償請求を申し立てた。この国賠訴訟は、これまでの新帝国警備保障についての民事訴訟と併合して弁論が行われる(同じ法廷で同時に行われるということ)。
 また、国賠の訴訟救助の申し立ても行ったが、3月1日に裁判所によって却下されたため、訴訟費用は原告の負担となった。却下が口頭弁論期日の直前だったため、3月3日に予定されていた口頭弁論は延期になった。次回期日は未定であるが、5月中旬ごろになる見込みである。



OBインタビュー  第3回  杉本昌純さん(第16期寮委員長・弁護士)



<略歴>
54年 文科一類入学、駒場寮入寮。
55年 第16期寮委員長。
58年 法学部卒。
60年 法学部修士卒。
62年 弁護士登録。東大闘争裁判の弁護を担当。現在も弁護士として活動中。



聞き手:足達


--今日はお忙しいところ、どうもありがとうございます。

 (こちらが送った資料を出して)いろんな人のを読みましたよ。面白かった。
西村さんとはあなたは、それまでおつきあい、ありましたか?

--全くなかったんです。

 あの人らしいなあ。あなたと話をした後、手紙が来てるだろ(『いろは』15号を指して)。あの人とは、なんか長いおつきあいになっちゃってねえ。寮の問題でも彼から手紙をもらってましてねえ、おまえはどう思うというのを。

--寮生時代からのおつきあいですか?

 うん、西村さんは、僕が寮の委員長になる前から知ってるんですよ。私が1954年の入学で、彼はそのころもう厚生課長だったから、アルバイトの斡旋ということでね。襖張りのアルバイトっていうのがいいペイになったんですよ。寮委員長になってからは、彼は厚生課長で、こっちは委員長ということでね。したがいまして、54年からこの年に至るまで、絶やさず交際してきてるっていうことになるんじゃないかなあ。
特にこの東大闘争の時代があるでしょう(西村秀夫さんの著書、『教育をたずねて』筑摩書房を出して)。それでね、東大闘争裁判の時にまた、よく法廷傍聴なんかで会う機会がありましてね。ずーっと、西村先生にはもう何十年(笑)、ご厚誼を頂いてきたような関係だと思いますね。
 西村先生のインタビューに「50年代の寮生はその後のことをあまり知らない」とありますが、僕の場合はちょっと違ってさ。68年からの東大闘争裁判がありますから。69年の1・18、19の前に時計台占拠事件(68・6)、読売新聞記者事件(68・8)があって、毎日のように東大行ってるわけだよな。

--それは弁護活動でですか?

 そうだね。18は拒否されたけど、19は僕ら、攻撃が始まる前に東大構内にいましたから。押し問答して中に入ってねえ。
 それから寮のことについては西村さんの話にも出てるけど、三鷹寮の麻雀棋士どもをなんとかできないかって電話もらったりねえ(笑)。三鷹寮でバーを作ってどうのこうのっていう問題もあったなあ。そういう関係で僕に会えって言ったんじゃないかと思いますね。 あなた自身は駒場寮にいたんですか?

--はい。1年生と2年生の時に。

 ああそうですか。それからこれがまた面白かったねえ(97年の公開シンポジウム『自治と大学と社会』の講演記録を出して)。このシンポは大成功じゃないかなあ。

--この時はいらっしゃらなかったんですか?

 僕は行ってないねえ。去年はとうとう一度も寮に行かなかったのかなあ。一昨年は二回見に行ってる。もー、どうなってるかと思ってな。その前の年にも行ってる。もー、寮を見に行くんだ(笑)。

--そうですか。では、もうちょっと早くこちらからご連絡すればよかったですね。

 うん。とにかく忙しくて、なかなか時間が取れなくて。

--当時、一部屋何人くらいで生活されていましたか?

 はい。54年の4月から2年間ですねえ。わたしが委員長をやったのは16期(55年の6月から9月)なんです。部屋はやっぱりS、Bという区別がありまして、Sに6人、Bに6人。だから西村さんの時代と数は同じだね。向かい合わせ二部屋で12人でしょ。で、部屋替えが年に二回だったと思うなあ。

--何かサークル活動はおやりになっていましたか?

 今ね、こういう会をやっていて、駒場歴研会。(パンフを見せられる。)本郷でやってるんですけど、夕べも第94回目の例会を終えたところですよ(笑)。

--この会はどのくらいの世代のつながりがあるんですか?

 僕の学年の54年が中心で、私の上の53年から下の55年入学まで。マスコミ関係で働いている人は、こんな会はちょっと稀だと言っている。年に4回はやってましてね。テーマを決めて、レポーターを作ってやるわけですよ。100回記念は何やろうかとか言ってるけど。この資料見ると傾向がわかると思います、僕らの世代のね。

--(パンフを見て)かなりまじめなテーマですね。(「フランスの核実験をめぐって」「食品小売業の現状」など、政治・社会・文化にわたる幅広いテーマが並んでいる。)

 うん。僕の言葉で言うと、もうくそまじめで、偉くなるのを恥じてる人達の集まりだねえ(笑)。常時来る奴でゴルフやる奴は一人もいないし、車乗ってる奴もいないし、偉くなってる奴もあんまりいない。今常連は大学の先生が多いかなあ。それから高校の教師。裁判官は二人いるけど、彼らは日本の裁判官の自己規制みたいなのがあってさ、あんまり来ないねえ。弁護士は東京では私一人。それからあと官僚どもは少しはいるんですけれども、出席率は良くないね。そうするとやっぱり、教師が圧倒的に多いな。

--駒場寮問題がテーマになることはないんですか?

 今まではあんまりないな。東大の大学改革の問題は、東大の教授の連中がいたもんですから何度か取り上げましたね。

--その関連で寮のことが話題になることはありませんか?

 うん、みんなこのメンバーは大部分は駒場寮出た奴だから、いろいろ話はするけれどもさ。今度の問題についてはこの次ぐらいに僕が言うよ。
 それで寮生活の話に戻ると、西村さんの時代と違うのは、僕らの時は完全サークル部屋だけだから。54年当時、寮に入ってすぐ聞いたことですけれども、一方ではモスクワ通りという左翼が中心にいたフロアがあり、一方では反動通りがあって。一番大きい大部屋は僕のはいった歴史研究会で、これが八部屋。それから、社研が四部屋ぐらいかなあ。日本共産党の中心部隊がML(マルクス・レーニン主義)研究会か、あとはやっぱりまだソ研(ソ連邦研究会)があったんだよね。それとあとセツルメントと。ま、そのへんが左翼組かなあ。右組がやっぱり運動部だよね、うん。殴り合いなんかはなかったけどね。

--サークルの人間関係が中心になった生活ですか?

 うん、サークル部屋だから。歴研の場合はね、何十年前からここまで揃えてあるんだけど、当時の『歴研ニュース』とかあるんだよ(ぶ厚いファイルを見せられる)。歴研は通学生と寮生合わせたサークルで、その中にいくつかの部会を作ってね。それぞれが駒場祭に向けて研究会活動をして。今と違って、ファックスもなければワープロもない時代だから、ガリ版だろ? 今駒場では歴研の部屋は普通の教室になってますけれども、そこの隅っこにスッティング置いてな。たとえばこの『歴研ニュース』でも、一つ作れば徹夜だよ(笑)。よく揃ってるだろ、これ?

--そうですね。寮委員長になられたということは、寮内で人望がおありになったんじゃないですか。

 いやいやそれはね、今日も考えてたんだけど。僕らが入学した頃までさ、東大の学生運動、ひいては日本の学生運動、それに関連する駒場寮ね、やっぱり日本共産党が完全に指導権を握ってる時代だったと思うんだよ。それが55年に六全協があったでしょう。今この年になって思えば、六全協がものすごく当時の学生運動に影響を及ぼしたと思うんですねえ。当時僕らは東C(とんしい)細胞と言ってましたけど、それがちょうど力を失ってきた時期だと。で、僕は民青でもないし、共産党にももちろん加わったことがない人間ですけど、結局、東C細胞が委員長候補を出すことができなかったんだと思うんですねえ。

--それまではずっと、寮委員長は共産党系だったんですか?

 ええ。と思うね。僕の一期前も共産党でしたね。それから三期前の13期が、僕と同じ部屋で寝泊りしてた杉浦正健。こいつはとんでもねえ野郎でな(笑)。今自民党の代議士だよ。共産党支配は僕の前まで完全にそうだね。僕なんかも個人的には関係ないんだけど、54年からずっと歴研の書記長やってましたからね。ということで私にお鉢が回ってきたんだと思う。

--あ、やっぱりサークルという支持母体があったわけですね。

 そうだよーー。最大のサークルだからね。今は事務局長と呼ぶことが多いけど、当時の左翼系のサークルは、みんな書記長がいたわけね。だから運動部の連中から見れば、僕なんかはやっぱり左翼代表ということじゃないかなあ。

--それまでの選挙では、共産党候補に対立候補が出てたんですか?

 んー、対立候補はあったと思うけどなあ。僕の時は対立候補がありましてね、選挙やったんです。こいつは大蔵省に行きましたが、名前なんて言ったかなあ…。これも九州の男でね、弁論部かな。

--実際、寮委員長をされて仕事は大変でしたか?

 寮委員長? うーん、楽しかったよー(笑)。だって運動部もいっしょにいるんだしな。うん。
:第十六期寮委員会発行の小冊子(杉本さん所蔵)
 対立選挙をやったけど組閣もスムーズだしさ、運動部もみんな査察部(現在の管理部に当たる)になったし、副委員長もすんなり決まったよ。だから僕らのあと、60年安保のころは大変だったと思うなあ。党派の対立で。そういう意味での対立に基づく苦労は全然なかったな。まだ広い意味では一つの流れ、一党支配と言ってもいい状況だったんじゃない? 僕は共産党細胞から注文つけられるわけでも何にもなし。だから非常に自由にやれましたし。根が運動部的な体質もあったからかもしれないけど、運動部にもそんなに評判悪くなかったと思うし。そのあとの学生運動を、今生きてる弁護士では僕が一番見てきてると思うから、東大闘争含めてね。内ゲバのような苦労は全然なかったね。
--60年安保のころまでは、そんな感じだったわけですね。

 うん、そのついでに言うと、夕べも僕らの歴研会で話が出たんですが、山村工作隊というのがありましてねえ。それに出て行く人達を送る時も、なんか悲壮な雰囲気でなあ(笑)。それが六全協でもう打ちひしがれて寮に帰って来て、元気よかった人も寮でじーっとしてるしね。また一方では荒れてる人がいたりしてね。そのショックが尾を引いてましたね。そして、僕が本郷に行った56年から、左翼の運動の変化ですよね。まずA.G.(アー・ジェー)って聞いたことある? 反戦学生同盟のことなんだけど、A.G.の活動が始まったのが、56年の年初め頃からだと思うねえ。その前提として、東C細胞の崩壊があるわけ。対共産党との関係ではね。その辺は僕は内部にいないから、いろいろ物の本とか聞いた話で補う以外ないんだけど。大衆的には、56年の2月か3月に、僕から見たら非常にショッキングな『歌と踊りと愚民政策』というのを中村光男が書いたんです。彼は歴研のメンバーで、2期上かな。それがやっぱり、潮流の変わり目を作ったすごい論文だと思ったなあ。
 そういう流れの中で、歌と踊りと愚民政策では何にもできないという旗印で、A.G.が出てきて、それが革共同の成立に行きつくわけだよね。
 やっぱり僕らの寮生活の基調はさ、国民のための科学ということだったと思うねえ。歴史家の石母田正さんの影響は、歴研は強かったと思うなあ。そういう感じで新左翼の潮流が出てきたと、自分ではまとめてますね。

--寮委員長のころは、寮と大学・教授会との関係はどうでした?

 それは60年安保どころか、東大闘争までなかったと思うなあ。

--対立するようなことはなかったと?

 うん。僕らのころの寮委員会は、当時の第八委員会、早野学生部長、西村厚生課長とやり合いはありましたけれども、罵倒するとか、野次るとかいうのは全然なかったと思いますね。だから僕が寮委員長時代の、対大学との一番大きな問題は、全学連大会の参加者を駒場寮に泊めるか否かぐらいだったと思うよ。
 54年は、駒場祭の会期をめぐって大もめにもめてさ。僕なんかも東大入ってすぐに、「おまえ退学処分だ」とか言われてさ(笑)。そういう一幕はあったんですけどね。教授会とのちの東大闘争に見られるような対立はまずなかったと思うね。安保の時も、要するにもう「国会へ、国会へ」だろ。それだけに東大闘争というのは、私にとっては本当にショッキングなやつでねえ。

--寮生活の様子をお願いします。

 基本的には田中秀征(59年入寮)と5年違いですね。(97年のシンポ講演記録に「寮食堂の食費が朝15円」とあるのを見て)彼のこれは間違ってるな。食費は朝食は22円だよ、僕らの時で既に。飯が12円、味噌汁が3円、納豆が7円だったと思うね。僕ら九州人は納豆が食えないもんだからさあ、ほんとに困っちゃってねえ。
 アルバイトは週2回で月2千円から3千円。これは変わらないね。それから仕送りの平均、これはとんでもないよ(田中秀征氏によると、3千円)。僕らの時代、彼の5年前、入寮資格は2千円までだった。2千円超えた奴は入れない。これが違うね。それから仕送りなしが4人に1人というのは、田中秀征の時代ではオーバーだと思うな。僕の委員長の時、全寮生が950人で仕送りゼロは50人だったと思いますね。それから寮委員長が2千円ずつ報酬を受けてたと書いてあるな。そんなのは僕らのころは全然ありませんよ。みんなゼロだよ。

--寮生同士で議論したり、酒を飲んだりしたと言うのは?

 もうこれは、素晴らしかった(笑)。歴研の部屋では、議論のテーマは「革命と恋」だよ。猥談した覚えはいっぺんもない。2年間。酒はもうよく食らった。借金もいろいろした。金ないからなあ(笑)。試験の前には「出発(デッパツ)コンパだ」って飲んで、終わったら終わったで飲んで。もっぱら昔の東大前駅降りた所の店で。それから皮草履を履いて渋谷に飲みに行ってたな、百円持ってな。あなた方のころ、飲み代いくらだよ?

--えー、3千円くらいですかね。

 でしょう。僕らの時は百円だもんねえ。「全面講和」って店もよく行った。(渋谷の)恋文横丁にあってさ。でもう、どぶろく一杯30円。二杯飲んで60円。残りの40円が鯨のステーキかな。交通費ゼロだもんね。往復歩いて行くんだもん(笑)。

--寮からずっとみんなで渋谷まで?

 塀を乗り越えたりしてな。だから酒はよく飲みましたし、もう議論もとことんしたし。西村さんや隅谷さんのころの雰囲気と僕の頃は変わらないと思うなあ…。だから思想性は欠如なんかしてませんよ。講義はあんまり出なかったけどね(笑)。

--そういう経験は、職業の選択に影響していると思いますか?

 してると思います。それは私なりに自負を持っているのは、さっきお話しした駒場歴研会の百回近い例会ね。よく集まると思わない? 
 それからやっぱり生き方には反映してると思いますねえ。まあ、議論が何か影響与えたかということで言えば、まず、就職の時に官僚を希望した人は、当時の風潮もあるんですけど農林省をみんな選んだね。日本の農業政策に何か役立てるんじゃないかと。それから、商事会社に入って司法試験受け直した奴もいるし。会社に行った奴も、大企業、銀行に行った奴は一人もいないねえ、悪いことしてんな、今銀行なあ(笑)。
 今歴研に出てくる常連は、やっぱり一言にして言えば、くそまじめな集まりじゃない?(笑)。高校の教師になった人なんかも、まじめにやってるもんなあ。あの頃の生活というのは、僕はみんなそれぞれ影響があると思うけどなあ。それを計量化するのは難しいけど。僕なんかは百パーセント、そのせいだと思ってますけど。
 よく今の企業社会ではどこの学校出身だとか気にするじゃない? 俺は東大卒なんて言ったことないもんな。本郷はマスターに行ったから四年いたんだけども、駒場卒の人間だと思ってますよ、今でも。だから寮はなんとか残せないかと思いますけど。

--六人部屋の時代と密度は違うでしょうが、今でも、相部屋で共同生活する点で共通性はあると思うんですよ。

 あなたはそう思う?

--ええ。単なる個室のアパートのような建物に学生を入れるのではなくて、駒場寮のような共同生活をする場所は残す意義があると思います。特に今みたいな時代ではますます稀少価値があるんじゃないかと。

 稀少性は高いんじゃないでしょうかねえ。東大闘争が終わってからの、少なくとも20年前からの傾向は「やさしさ」だよね。僕らは、あれは人間的な本当のやさしさと無関係だと言っているんだよ。とにかく、人の心に踏み込まない。それが彼らの言ってるやさしさじゃないか。
 しかし、青春とは何ぞや? 人の人格に食い入り、自分の人格にもはいられて、それが切磋琢磨になる、これが青春ではないかというのが(笑)、俺たちの議論だよなあ。そりゃ、いっしょに暮らしてりゃさ、気に食わんことあるよー。だからどなり合ったり、喧嘩したりするわけでしょう。人の生活にも踏み込むわねえ。それがやっぱり一番大事だと思うねえ。
 今できてる三鷹宿舎もすごいんだってねえ。そういう生活をすれば、隣の部屋に住んでいる奴が何を読んでいるかもわからない。俺たちはもう進んで「俺は何読んでる、おまえは何を読んでる。ここはどうだ、ああだ」って言うでしょう。「それは間違ってる」「何を言っとんだ」とこうでしょう。そういう生活、今でも僕は憧れてるなあ。
 今の企業社会の職場もそうだよ。職場のコンパなんていうのは、若い連中が逃げるんだよ。踏み込まれたくないんだね。それが彼らのやさしさだとすればさ、そういうやさしさは間違ってるんじゃないかと(笑)言いたいわけね。で、かつ生活はものすごく保守でしょ。「自愛主義」という言葉が朝日の社説に載っていて、この言葉ははやらせようと思ったけど、あんまりはやらなかったね。どうも自分だけよければっていう傾向に結びつかない? それから、書いてあったなあ、今の駒場の教授が何者だってやつ。60年安保世代が(寮弾圧の)中心メンバーだっていうだろう。

--そうですね。

 僕は自分との関わりもあるから、主観性は避けられないと思うけど、60年安保組ってのはあんまり評価したくないんだよな。うーーん。もうとんでもない野郎がいっぱいいるじゃない。

--ああ、転向した人たちですね。

 そう。じゃあ、東大闘争組がいいかっていうと、必ずしもそうは言えないけどさ。山本義隆なんか、やっぱりもう敬愛する若き友人だね、俺の。不当処分撤回闘争の時の三吉なんて今もつきあってるけど。そもそも、東大闘争の一番最初のきっかけだから。東大全共闘の事務局長で、今精神科医やってる。そのへんは僕は信用したいけどねえ。

--紛争の前線に出てきて頑張っている先生はもうちょっと下の世代で、全共闘の前後で学生運動の経験も少しはあって、運動政治についてもある程度わかっていて、そういう学生時代の運動経験を、寮をつぶすために逆向きに使っているような感じがします。

 それは全共闘運動の戦闘的な活動家が、会社の労務担当になったようなもんだなあ。そういうのは俺いやなんだよ。

--政治の局面は力と力でぶつかるものだから、そういうものだという感じですね。

 うーーん。でしょう。政治について力学として割り切ってね、政治とはこういうもんだという諦め、それは非常に政治を客観化して見てるわけだよ。じゃ自分とのつながりは何だというところが消えてるような気がするんだよなあ。だから、「客観的な総括は必要ない」と言う人がいっぱいるよ。俺もそう思うけどね。自分との関わりを言え、そんな感じがしますね。
 今の事務所の同僚も60年入学で、彼なんか「杉さん、先見えてるよ」って言うんだな。先が見えててもやろうじゃねえかっていうところがやっぱり必要だと思うんだよなあ。

--寮の裁判で国や大学はこう言っています。寮に電気を通していたのは、寮があったから通していたという事実上の利益にすぎない、廃寮を大学が決定したから電気は止めるんだと。

 うん、恩恵だということですね。

--言い換えると、大学が廃寮を勝手に決めてよいということですから、これは現在の寮だけでなく、これまでの寮の歴史総体が大学によって否定されたことになるんじゃないでしょうか。一高世代の方は「一高自治寮」という呼び方をされていますが、他人が否定したらいつでもなくなってしまうようなものだったら、それは自治とは言い難いわけで。裁判の中での主張とはいえ、大学は国に追従して、寮との歴史的な合意事項を全て否定してしまっている。で、学内でも、教授会はそれについて何も問題にしない。そういう大学の態度について、古い世代のOBの方は、異議を感じないのだろうかと思うんですが。

 うーん。感じるんじゃないですか。今のご指摘には僕は賛成ですよ。
 西村さんが強調してるのは、管理権論争は敵の土俵に乗ることだということですね。僕もそこはほんとそう思うんですね。裁判所という所はまさしく法を実現する場所ですからね。だから法律論をどう構築するかという問題にどうしてもなってしまって、管理権の中味の問題にしかならないと思うんだよねえ。仮に管理権が大学当局にあるとしても、何段構えかの議論になっていくと思うんですけど、生きている人間が住んでいる所にガスや電気を止めるというのは管理権の濫用じゃないかという議論が最後に出てくると思うんだよね。権利濫用を訴える手段の一つして、これまでの69年の確認書以降のいろんな大学当局との合意事項があるんじゃないかと思うんですよ。 

--実態として管理運営を寮がやってきたのは明らかな事実なんですが、そういうことは裁判の場では通用しにくいものなんでしょうか。

 いや、どう構成するかっていうのが難しいよ。国有財産法があるんだから。管理権の権利濫用を言う内容としては、これまでの寮自治の実態をあなた方はどう考えるんだということじゃないかねえ。生身の人間がいるんだからなあ。廃止決定をしたから出て行けったってなあ(笑)。ほんとひどいと思うんだよ。それは、新宿の都庁のそばの路上生活者に対する排除なんかと同じじゃないかよ。あれも僕は青島けしからんと思うよ。

--電気はそんなに簡単に止めないだろうと思っていたんですが、やってきましたし。裁判に訴えることについてもそうですね。

 あなた自身、そう思ったことあるの? 俺はそれね、やっぱり甘いと思うな。だってさ、大河内さんはいい人だし、戦前の仕事を評価してる人は多い。『日本社会政策史』も学者としては画期的な業績なんだよね。大河内さんの誠実さに比べて、そのあとの加藤一郎、彼の路線に対する我々の総反撃はさ、「加藤近代化路線」じゃない? 駒場の今の中心の教授たちも、彼らの政治論理はそれなんだもん。だからそういう合理主義に立つ奴は、訴訟やるよ。要するに彼らの合理主義ってのは、「センチメンタリズムは切り離せ、温情も切り離せ」、論理と論理、つまり力と力ということ。それで僕は60年代世代はあんまり好きじゃないんだなあ。
 また、寮を見に行きますよ。立て看見るのが楽しみでさ(笑)。北寮と中寮だけでも残したいなあ。汚いとかくさいとか言ったって、西村さんも言ってたけど、金かけりゃあ、すむことじゃない、そんなのは。きれいになりゃ、きれいに使うよ。僕も同感だよ。三鷹国際学生宿舎、俺はこんなの全然反対。

--どうもありがとうございました。

2月某日 銀座にて。



後記:新制駒場寮には世代間をつなぐ同窓会組織がないこともあり、OBにこんな方がいらっしゃるとは全く知らなかった。氏のお話から推察するに、戦後の寮の世代的なつながりは、60年代後半の全共闘の辺りで途切れているように思われる。次号では、団塊の世代として昨今マスメディアでもよく再検証がされている全共闘時代のOBにお話をうかがい、当時の駒場寮の特徴を明らかにしたい。




寄稿・大学教員の自治能力喪失診断としての大学審路線と駒場寮存続闘争の意義


田熊 義徳



 石川忠雄を会長とし有馬、蓮實東大総長らを委員とした大学審議会(以下「大学審」)は、1998年10月26日、「21世紀の大学像と今後の改革方策について――競争的環境のなかで個性が輝く大学――」なる答申を公表した(以下「大学審路線」)。恥ずかしげもなく「産業界との連携」を語る大学審路線の大学像は、大学を真理探究の場から曲学阿世的なビジネススクールへと変質させる点でその根底的解体を狙うものだが、その組織論的根幹は、ビジネススクールには相応しくない大学の自治を解体し、経営者サイドの意思が貫徹する仕組みを構築することにある。
 大学審路線が、「学内の機能分担の明確化」と称していわゆる「学長専断体制」を法的に確定し、しかも「大学の社会的責任」という美名の下に「第三者評価」を導入して大学自治を完膚無きまでに粉砕しようとしていることは、きわめて見やすい道理であり、さほどの詳論も必要としない。おそらく「従来の」常識的な――したがって良識的な――大学人の感性があれば、このような体制が提示されると、ただちに嫌悪感を覚え、それを阻止したくなるに違いない。しかしながら、今日的な大学教員の情況評価としては、まったくそうではないのである。じつに、大学審は、このような情況を見極め、大学教員が大学自治を擁護するほどにまでまったく陶冶されていないと見透かし、それを見限るところから出発しているのである。
 大学審路線の「大学」組織論は、「責任ある意思決定と実行――組織運営体制の整備――」の節で詳細に展開されるが、ここで「新しい自主・自律体制の構築」を説く理由がふるっている。従来の学部自治は、それが「大学を外部の関与から守るための仕組み」であるがゆえに、また大学の閉鎖性をもたらしている元凶であるがゆえに、解体される必要があると決めつけられるわけだが、この点は、政府・財界の意図をあけすけに語るものであり、ある意味では陳腐な繰り言に過ぎないから、驚くには値しない。むしろ、刮目すべきなのは、大学審路線における教員大衆向けの決定的な新機軸である。すなわち、教員大衆にとっては、「大学における意思決定」に関与することが「過重な負担」となっており、ひいては「本務である教育研究への支障を来している」と同情する。これは、〈大学自治を放棄すれば、学内行政にまつわる教員の負担が軽減される!〉という「悪魔のささやき」である。
 こうした甘言が持ち出されるのは、大学の自治を教授会の自治としてすらとらえる感性を欠如した――したがって全構成員自治などには及びもつかない――大学教員が大多数を占め、組織の担い手として無能なこうした連中に依拠していては大学としての「機動的な意思決定」がなしえないという、実態に即した評価があるからである。もちろん、ことは機動性だけではない。「今後、複雑で困難な課題が増加すれば、意思決定自体の適切性にも問題は及ぶ」と断じられているように、〈教授会の自治は、もはや大学の意思決定などはできない〉と宣告されているのである。大学審路線は、いわば大学教員の自治能力喪失診断書なのだが、学部自治の重みをかみしめてこなかった教員大衆は、こうした診断がもつ終末宣告的な危機を決して感じないはずである。なぜなら、〈これで学内行政の煩わしさから解放されて、思う存分「好きな」研究ができるというものじゃないか!〉と受け止める教員大衆が過半であろうからである。
 しかし、大学審路線によって『象牙の塔』に閉じ籠もることができると早合点する教員大衆は、救いがたい錯覚を起こしている。大学自治を奪うのは、大学における資源配分を教員大衆に委ねないためである。「今後必要性が増すと予想される学内での資源の再配置等の問題を考えるとき、現行の意思決定の在り方には限界がある」。だから、『象牙の塔』の幻想を貪ることができるのは、ビジネススクール的要請と学長専断体制にすり寄ることのできる一部の利権集団でしかない。しかも、このような資源配分によって見るべき成果があったかどうかは、第三者機関によって評価されることになるから、『象牙の塔』に閉じ籠もろうとしても、すぐさまそこから引きずり出されてしまうことになるだろう。そして、それはそれで、ビジネススクールとしては正しい在り方のはずである。自治能力のない者による「教育研究」は、それだけで自律的に社会的責任を果たせるはずもないからである。
 かくして、すでに終末期にある教員大衆は、大学審路線になんら抵抗することもなく、「大学人」としての安らかな死を迎えることになる。もっとも、彼らの一部は教壇において性懲りもなく復活することになるだろう。しかしながら、それは、「産業界の要請」におもねり、虚偽を真実として売り込むソフィストの姿でしかない。
 われわれは、東大教養学部、同評議会の学部長―総長グループが、教員大衆の大学自治離れを利用して、恣意的に駒場寮廃寮方針を策定し、「社会的責任」の名の下に教員大衆にこれを追認させてきた事実を知っている。したがって、大学審路線は、すでにこの間の駒場寮廃寮化攻撃で東大が実践してきた大学解体路線を国の政策にまで引き上げようとする策動だとみることもできるだろう。いうなれば、駒場寮廃寮化は、大学審路線の先取り的形態だったのである。したがって、大学における全構成員自治の回復を目指してきた駒場寮存続闘争は、いまや国の政策として推進されるに至った大学解体路線に抗する精神的価値を持っており、またそのようなものとして改めて把握される必要があると思われる。
 東大確認書体制下においては、大学の自治はすなわち全構成員の自治であった。駒場寮廃寮化によって東大確認書体制は崩壊し、全構成員自治のもはや通用しない東大が出来上がったわけだが、注意しなければならないことは、「大学自治」―「全構成員自治」=「教授会自治」ではないことである。その差は、まったくもってゼロなのだ。
 教員大衆がこれまでの自治的無能を乗り越えて、教授会自治論的に大学審路線に抗していこうとしても、必ずやそれは社会的に無視され、敗北の淵に沈むことであろう。大学の自治を全構成員の自治としてとらえる必要があるのは、教員、職員、学生の固有の在り方に起源があるのみならず、現代において大学自治を擁護するにはもはや教員の勢力だけでは不足である、という現実的認識にも基づいているのである。なぜなら、国家財政によって縛りのかけられる現代の大学では、教授会は、それだけでは、国家財政に養われるものとして必ずしも自立性を確保することができないからである。したがって、もし、教員大衆が、真面目な決意で大学審路線に抗していこうとするなら、教授会自治論的幻想を捨て、全構成員自治を再構築する立場に立ち戻らなければならないはずである。全構成員自治を擁護する立場としては、教員大衆のこうした回心をおおいに促し、またそれを歓迎するところである。
 もっとも、教員大衆が全構成員自治を再構築すべく学生と連帯しようと思うなら、駒場寮廃寮化の過程で東大確認書体制を崩壊させたことに対する深刻な自己批判がなければならないのは、いうまでもない。そして、当然のこととして、一貫して全構成員自治を擁護し闘い続けている駒場寮は、そのセンターとして存続が認められなければならない。



廃期越え三周年 大花見会のお知らせ


日時:4月4日(日)午後1時から。
場所:北寮前広場。
当日連絡先:***-***-****


昨春の中寮前の桜(撮影:足達)

廃寮期限がすぎて、早いものでもう3年が立ちました。
駒場寮は、去年も新入寮生をたくさん迎えて、電気の乏しい生活環境の下でも粘り強く闘っています。今年もすでに寮オリエンテーション実行委員会が発足し、新入生に対して積極的に入寮募集活動を行っています。

さて、毎年恒例になっている廃寮反対花見会を今年も行います。花見酒を飲みながら、今後の展望などを語り合いましょう。
主催は駒場寮存続を支援する会、協力は駒場寮委員会です。

*酒、食べ物の持ち込みもよろしくお願い致します。



お知らせ


  『いろは』は紙版もあります。WEB版にはない「寮生インタビュー」記事が読めます。ぜひ購読してください。購読の申し込み方については、下の「会費・購読料・カンパ納入のお願い」をご参照ください。

  寮OB・歴代寮委員長の情報募集中
寮OB・歴代寮委員長の情報募集は継続中です。本紙を郵送したいと思いますので、ご存じの寮OB・寮委員長の氏名・住所を、表紙ページの連絡先までお知らせください。電子メールの連絡先は、**(足達 研太)まで。
また、『いろは』では駒場寮経験をつなぐという試みの一環として、OBの方々にインタビューをさせていただいています。在寮当時の様子をお話しいただける方、推薦していただける方からの連絡をお待ちしております。

  支援する会の会員募集中
支援する会の会員を、引き続き募集しています。駒場寮の存続を勝ち取るために、ぜひあなたの力を貸してください。まずは購読会員に、購読会員の方は正会員に、正会員の方は運営委員になって支援する会を支えてください。

  会費・購読料・カンパ納入のお願い
○会員登録更新のお願い
 97年11月に会員制度を新たに整備した関係で、それまでに会費相当額以上のカンパを寄せてくださっていた方々を自動的に会員に数えさせていただき、98年10月分まで会費納入済と見なす措置をとりました。該当する会員の皆様、更新の時期がすぎておりますので、できるだけ会員登録の更新をお願いいたします。
○会員・購読会員になってください
 いま会では『いろは』発行部数の拡大に鋭意取り組んでおりますが、それに伴う出費増に加え、6・28事件裁判費用の支出などで今後、財政の逼迫が見込まれます。まだ会員・購読会員でない皆様には、ぜひとも(購読)会員になっていただきますようお願い申し上げます。
 『いろは』購読のみご希望の方は99年度分の購読料1000円を、会員登録をしていただける方は、年会費12000円(月会費1000円)を郵便振替または銀行振込にてご納入ください(年会費は、事情による割引制度あり)。
○郵便振替ご利用の際のお願い
 郵便振替を利用して出資していただく場合、内訳を明記していただくようお願いいたします。例えば「会費○年分/○ヵ月分」「会費○年分+カンパ」「購読料○年分」など。銀行振込分については、事務局からの通知を『いろは』に同封するなどの手段で確認いたします。

   さくら銀行 中野新橋支店(普通口座)  
    口座番号 *******                    
    口座名称 駒場寮存続を支援する会          
       難波 卓志                         

 郵便振替
  口座番号 *****-*-******
  口座名称 駒場寮存続を支援する会


発電機カンパのお願い:10,000円カンパで駒場寮に灯りを!


真っ暗な北寮の廊下。非常灯だけが灯っている(昨年12月撮影:足達)

駒場寮への支援カンパのお願い  147期駒場寮委員長

 学部当局による96年の電気・ガス停止以来、駒場寮では南ホール(旧・駒場寮生食堂)から全寮に対し電気を供給してきました。ところが、昨年9月の南ホールでの放火とそれに乗じた当局の南ホール建物に対する電気停止により、全寮が停電してしまいました。これに対し、電気を止めて寮生をむりやり追い出すというのは許せないことであるし、そもそも「廃寮」自体が不当なものであるということから、付近の建物からそれを管理する学生団体の許可を得てわずかながら電気を供給することで、公共部分にのみ電気をつけ、寮生は部屋ではランタンの灯りで生活し石油ストーブで暖をとるなどして、あくまで電気復を求めてきました。こうして今年の3月まで、周りの学生や全国の学友そしてOBのみなさんの協力もあて、わたしたち駒場寮生は実に半年間にわたる停電に耐え続け当局に対し送電再開を求めて闘ってきました。電気復旧仮処分の不当却下後、入寮募集を成功させ新入寮生の定着を図るためにも、安定的な最低限度の電気が必要であろうという判断などから、大型発電機を購入し、充分とはいえないながら全寮への電気供給を開始しましたが、このような電気供給体制には二百数十万円という金額がかかっており、さしあたり寮自治会のこれまでの貯蓄を充ててきたため、財政を徐々に圧迫してきていますし、今後も燃料費がかかるものと思われます。そこで駒場寮では、駒場寮存続のための支援カンパを募っています。停電攻撃をくぐり抜け、新入寮生も例年通りたくさん迎え入れることができ、今後も送電再開と駒場寮存続を求めてたたかっていきますので、駒場寮OB・支援する会のみなさんには、是非とも駒場寮存続支援のカンパにご協力下さいますようよろしくお願いします。

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