可能性



生きている、 ということは、 殺される可能性がある、 ということでもある。 殺されるとしたら、 どのように殺されるかは、 少々気にかかるところである。 標本調査としては甚だ不完全ながら、 飲み屋で三人に具体的なイメージを尋ねたところ、 一人は首を絞められると答え、 他の二人は刀で切り殺されると答えた。 首を絞められるという場合、 絞めている相手のイメージも、 具体的に浮かんでいるのではないだろうか。 それに対し、 刀で切りつけてくる相手は不特定であり、 政治的な背景かなんかを持っていそうである。 この三人の場合、 首絞めをイメージしたのが著名な詩人であり、 切りつけをイメージしたのが無名な一般人である、 というところに若干問題があるように思われる。 逆になるのが本当ではないだろうか。 もっとも、いずれにしても、 自分が自分であるから殺される、 というイメージであることに変わりはない。 不特定多数として、 誰という個性のないものとして、 物を壊すように殺される、 というイメージにはならなかったのだろうか。 可能性としては、 その方が高いかもしれないのに。


(C) Copyright, 2005 NAGAO, Takahiro
|ホームページ||詩|
|目次||前頁(見えない思い)||次頁(卒業)|
PDFPDF版 PDFPDF用紙節約版