包み隠さず



今年の夏のように こんなに暑いときは、 ちょっとものの考え方を 変えてみるチャンスかもしれません。 いや、考え方を変えるとか、 そんな大げさなことでもありませんが、 暑いのだから、 ちょっとズボンを脱いでみましょう。 足のまわりを覆っていた熱気が ぱっと飛び散って、 足がふわっと軽くなります。 なんだ、こんな簡単なことだったのか。 気がつくと窮屈なのは上半身です。 ちょっとシャツも脱いでみる。 もわっとたまっていた湿気が 一気に浮き上がって、 胴回りがふわっと軽くなる。 そうすると、残るはあそこだけです。 毛がびっしり生えているのに、 夏でも二枚以上の衣類で 厳重にしまってあるところ。 もっとも、すでに一枚取ってある。 あとはたぶんもう一枚。 詩なのに常識的なことを言っちゃいますが、 こういうことはどこででもやれるわけではありません。 他人から見えるところでやるのは、 やっぱり迷惑ですよね。 しかし、一人でいられる場所だったり、 家族が理解してくれる家の中だったりしたら、 素裸になることが そんなに悪いことであるはずがない。 ちょっとやり慣れないことだけど、 工夫次第で快適に暮らせる。 たとえば、小便をした後、 おざなりな終わり方をすれば、 廊下にポタポタ雫を垂らすことになるだろう。 それが嫌ならきちんと拭いて出てくればよい。 大の方も、 いくら紙できれいに拭き、水で流したとしても、 その後で尻の穴を指先で触れて鼻先に持っていけば ぷんとにおうものだ。 そのまま椅子に座ったりするのが嫌なら、 風呂場に直行して念入りに洗えばよい。 でも、裸になる前は、 そういったものは全部下着が吸収していたわけだ。 どっちがキレイだろうか。 裸の方がよいことはまだある。 トイレでズボンを上げ下げする必要はないし、 二本の足の間に引っかかるものもないので、 楽な姿勢で用を足せる。 衣類で腹を絞め上げなくなる分、 便秘もしにくくなる。 風呂に入るのも出るのも簡単。 全部同じモードでできる。 冷房の設定温度が高くても 全然暑いとは思わないし、 濡れた手でからだに触れば、 どんな空調よりも涼しい。 (気化熱というやつです) 何より裸になると気持ちがいい。 ちょっとした空気の動きに敏感になる。 頭のてっぺんからつま先まで、 自分が一つにつながっていることがわかる。 もちろん、よいことばかりではない。 悪いことの筆頭は、変人だと思われること。 変態と言われるかもしれない。 そう思われないようにするために、 人に言えない秘密を持つこと。 変態というのは、 広辞苑によれば「変態性欲の略」 なのだそうだけれども、 裸が気持ちいいというのは、 直接的には性欲ではない。 性欲を抑圧することでは決してないが、 性欲を異常に昂進することでもない。 だから変態ではないのですよ、 と説明しても、 詩だろうが、 詩でなかろうが、 なかなか納得してもらえないだろう。 まあ、そんなことでムキになるのはやめましょう。 裸が気持ちいいからと言われたので、 やってみたけど、 かえって落ち着かない、 何がいいのかわからない、 という感想を持つ人も、 世の中にはいるようです。 そんな人は、 口車に乗せられて、 ふだん裸にはならないところで、 裸になってしまったということを、 いつまでも恥ずかしく感じ続けるのでしょう。 お気の毒なことです。 そもそも、裸になったとき、 自分の身体にうっとりできる人はごくわずかで、 たいていは醜い身体に幻滅するものでしょう。 いや、幻滅するのはそれだけではないはずです。 あれやこれやのマボロシが滅びていく。 恥ずかしいという気持ちは、 マボロシを守ろうとする必死の抵抗だ。 でもね。 幻滅すればいいじゃないですか。 隠したつもりになっていても、 それが現実ですよ。 現実は認めてしまえばいい。 人それぞれですから、 何がいいのかわからない、 という感想を持たれるのは、 そう思う方の勝手ですが、 願わくば、 マボロシを守りたいからといって、 あなたが理解できないことをしている人たちを いじめないであげてください。


(C) Copyright, 2012 NAGAO, Takahiro
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