蛞蝓


蛞蝓のように地面を這って 歩く練習をしていたら 体が充血して熱くなってきた 丁度向うから女が 這ってきたので交接した 女は子供を産んだ 子供はごむ製だった 口から息を吹きこむと だんだん大きくなった もっともっと大きくしようと ふくらませたら パァーンと花火のように 破裂した 女と大笑いして別れた さらに這ってゆくと日が暮れて 怠惰になった 骨まで解体してぐったりと寝た やがて星よりもよく光る 白骨になった




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散歩


随喜の涙を流しながら 往来を歩いていると ふいに女の子が 股間めがけて突進してきたので ひょいと腰をそらしてよけると そのまま郵便ポストに頭をつっこんで ぺきんと音たてて 真っ二つに折れたので えらく驚いたが 日が照りつけると きれいに蒸発したので ほっとしてまた歩こうと思ったが 景色が一向動かないので よくよく見れば僕もなくなっていた




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白いもの


私の ゆらゆら揺れて 崩れて流れそうな風景の虚像は 噛めば噛む程 白く ぐにゃぐにゃと粘着してのび 顎骨を抱きこみ締めつけるが 噛むことは決してやめてはならない それは口からはみ出して まず両眼をつぶしにかかり 頬にも首にも乳首にもへばりつき 瞬く間に田虫のように全身にひろがって 大きく波うつ そして白いのっぺらぼうの団子になった 私はじっとしていることは許されず 穴だらけの地面を 頼りなげによろよろと転がり やがて鈍い音を残して なくなる




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風呂屋


スカートから白い足をにょきにょきと 二本出した娘が 僕の前を歩いていた 膝の内側に残った汗粒が キラキラ光って前後するのにつられて ついて行くと 場末の風呂屋の前だった この時突然 彼女はくるりとふりむき手招きして 僕を連れて中に入った そして僕を綺麗に洗って 外へ放り出した




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姉さんの卵


姉さんは服を脱いで 風呂屋へ行ってしまった 姉さんの残した下着に 小さな黄色い卵が一つ突っ立っている 卵は最初はおとなしく 黒い糸のような糞を出していたが 突然はじけて裏返り 小さな茶色い毛玉になり 驚いた勢いで 姉さんの服を平らげ 大きな毛達磨になった 姉さんはその晩とうとう帰ってこなかった




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木の目


ずいぶん、昔 森の木には 何でも覚えている 目があるから 森へ行ってはいけないと 村の人々が本気で信じていた頃 子供の私は そんなことは全然信じないで 森の中でも 一きわ大きい木の目を 白く濁ってくるまでなめまわして 逃げてきたのでしたが 今朝私の寝床の枕元に はえていたその木の目は まだ白い涎をたらしていました




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夜の林の腐った地面から ひょろひょろと手がはえてきて 笛を吹く 太鼓をたたく 弦をはじく 通りがかった旅人は それを聞くとうっとり眠り そのまま腐って土になり その土からまた ひょろひょろと手がはえてきて 笛を吹く 太鼓をたたく 弦をはじく




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てのひら


濡れた岩にてのひらが たくさん咲いている 山の中だから光は あまり届かないし 空気は切り刻まれて薄く もう秋だから ぺったり枯れ葉が 貼りついているのもあるが 小川のせせらぎが聞えなくなる程 ギシギシと音を立てて 元気に指を動かしている 握ってみると 涙のような汗がわき出てくる そこで一枚ていねいに ちぎってみると 切り口から赤い液が流れ出て みるみるうちにしぼんで 小さな青いかたまりに なってしまった ちぎったあとは 新しいてのひらがすぐはえて あいかわらず ギシギシと音をたてて 元気に指を動かしている




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どろだんご


ぼくはふえを ふいていました でもふえは げりをしていました ピーピーと ならそうとしても ごろごろとしか ならないのでした そこでぼくは ふえをふくのはやめて どろのだんごを つくることにしました ねとねとしたどろを にぎりかためて かわいたすなをつかって いっしょうけんめいみがくと つやがでて とてもきれいになって どろでつくったようなきが しませんでした それでちょっとたべてみたくなって ひとくちたべてみたら あまりおいしくなかったけど おなかがすいていたので ぜんぶたべちゃった いえにかえって おかあさんにはなしたら おかあさんはきゅうに おこりだして ぼくのりょうあしを おもいきりつかんで さかさにぶらさげました そうしたら どろのだんごはぜんぶ べとべとになって くちからとびだして しまいました せっかくたべたのに もったいないなあと ぼくはおもったけど もうおかあさんには そんなことはいわないで いいこにして おしっこといって おべんじょにいって あそびました




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地面


かたいと思っていた地面に 中味はなかった 中味がないとわかってみれば それは ぶよぶよのヒフにすぎなかった 目を閉じれば 頭は前にのめって 地面の中に すっぽりとはまりこんでしまう 一週間もたつと 地面の反対側から ポンとたたきだされるが それはぶよぶよのヒフにすぎない また頭から 地面の中にのめりこんでしまう 以来 私の頭はだんだんやわらかくなっている




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満月


ある日突然 抜け毛が気になり出し またある日突然 止まった 頭の頂上に 直径五センチの丸い禿ができた 周囲の毛で 一生懸命隠したが まるで薄野原の月見ね と女が笑った




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トイレの中で 芋を洗っていると 思わず 体と体が触れあって やや これはどうも いえいえ どういたしまして ぽろりと種がこぼれ落ちる 目出度さを 笑顔に包んで 便器の奥の方に きれいに洗い流して ほっと一息 どうもどうも ごくろうさまでした いえいえ こちらこそ 僕らのゆがんだ空は とても明るい




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食欲


体中にラードをべたべたと 楽しそうに塗りつけて ことさらに照明に向かい 濡れた肌を光らせる踊り子 乾ききった空気に 細かいおがくずが漂い 狭苦しい沼に沈んだ舟のように 生き埋めになったままの死体のように じっとすわらされたおれの ちゃちな脳細胞は一粒一粒 小さな音を立ててはじけ 小さなしらじらしさを残す あたり一面に安っぽい花粉を すえた体臭をまきちらし はねまわりころげまわり 横になって大きく股を開き ぺたんとすわった尻の穴から 酸っぱい煙草の煙にまじって かん高い笑い声が 矯声が罵声がこだまする おれのむずかゆい手はついに ひげの張った猫の顔になって 次々に蛤をこじあけては めざましい食欲で中身を食いまくる




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毛のはえた太陽


毛のはえた太陽からぼたりぼたりと 濁った血が垂れてきた時 私はレールの上に座っていた それは あぶら汗のわき出る春でもなく なまあくびの出る秋 のことでもない かかる時 我々は湿っぽく輝く 蜘蛛の糸をたぐり寄せる べきだろうか 答は石のように ころがってはいないが 動かない石 というものもある 我々は切れてしまった 糸をぼんやりとながめて いるのだろうか 二つめの太陽からぽたりぽたりと 濁った血が垂れてきた時 私はレールの上に座ってはいなかった




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親父の禿頭が べとべとになって笑い なまぬるい風は 幼児のにおいを運んできた 乳母車に荷物をのせて運ぶ人妻たち ベッドには ぬけ落ちた毛がひっかかっている 油でいためたソーセージがのっていた皿は よごれたまま 新聞紙は すぐ包み紙になる 暗い机には さめた紅茶 吸殻の山 窓の外では ジャンパーを脱いだ子供が 車のうしろにしゃがんで うっとりと排気ガスを吸っている もうすぐ この街にも夜が来て またにわとりが ときの声をあげる




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美しい本だ 表紙に浮かび出た銀文字 扉をあければ 頁のあちこちにばらまかれた活字が 輝いて見えた だが僕は その本に書かれた呪文が 読みとけなかったのだ くやしまぎれに その本を食べ 見事に吐き出してしまった そこで僕は旅に出た 戸外の空気はすがすがしく 今まで暴れまわっていた脳細胞たちは 鎮められて 静かに横になった だがこの風景は 現実のものなのだろうか 僕の現実である には違いないだろうが 僕一人だけの現実 なのではないだろうか その時 沛然たる雨が降ってきた




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断片


いつ忘れてしまったのか 頭の片隅でうごめく虫 胃液の海を渡ってゆく馬 夜の学校からの帰り道 僕たちは考えこんでしまう 今晩も殺されてゆく者たち 星の光に刺されて 記憶を綺麗に掃き消される 僕たちは時間を食べながら 確実に小さくなってゆくのだ




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小便臭い壁 静かに眠る酔っ払い 吐き気のする路地を曲がれば 暁の空 いつもの橋のたもとにいる 橋の向こうには何があるのだろう と思いながらも いつも渡らない 川に沿って 下流へ歩いてゆく 河口の方から 船の汽笛が聞こえてくる




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こぼれ落ちる 花びらがある 静かにたたえられた 水面がある 午後の日ざしは眠り 一枚の影が 階段を下りて 外へ出ていった 足音だけが いつまでも残った




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旋律


君のからだから 白い糸を少し 引き出しておこう 粘り気のある旋律 やわらかな水滴 流れ出た質量 軽やかな砂 君のからだを 少し燃やして 黒く輝く 炭を作ろう そして 倒れかかるように 別々の眠りに 落ちていく




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薄明


 若い女が死ぬところだった。日はまだのぼらず、薄い光が曖昧に漂い、沈んできた水蒸気は地上の死んでいるものにふれると一瞬のうちに氷結して付着し、苔のようにでたらめに光を反射した。女の頬の白い無数のうぶ毛は体液に濡れて光りながら風に波うち、白衣に包まれた女の胸はゆったりとした息で時に豊かになったが、女は確かに死ぬものと思われた。というのは、まっすぐのばされた手や足の先端から霜が付着して、赤紫色に腐敗してくずれ始めていたからである。霜が苔のように広がり、女の大きく黒い瞳までがついに完全に白くおおわれてしまった時、男は約束通り、女の体から子供を取り出した。母親と同じような真白い着物を着せてやると子供はにっこり笑って、おじちゃん嫌いよ、と言ったかと思うと、一人でまっすぐすたすたと歩いていってしまった。だんだん小さくなっていく子供の背をながめながら、これが自分を愛していた、確かに自分を愛していた筈の女の内部にいたものの言うことだろうか、と男はいぶかったが、とにかく子供の小さいながらもはっきりと黒く澄んだ瞳を見失いたいくなかったので、男はあたふたと子供のあとを追っていった。
 日はまだのぼらず、薄い光が曖昧に漂っていた。あるいはもしかすると日はのぼらないのかもしれないのだが。




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ねじれた壁に貼られたポスターが、一枚一枚はがれて飛んでゆく。青空に浮んだ白い点々。夢はそのようにして消え、今日も悪いめざめがやってくる。誰にも会わない一日。赤く充血した眼を冷水で洗うばかりの一日。

ぼくの声がきこえる。

いつから歩いてきたのだろう。一瞬のにおいに驚いてふと立ち止まる。口のまわりについたミルクのしずく。泣きじゃくる子供の胸についている名札。そして再び歩き出す。明るい闇が続いている。

ぼくの声がきこえる。

日ざしはやわらかく、木々は静かにゆれている。コップは輝やきながら落ちてゆく。娘たちは並んで階段を降りてゆく。しかしそれらは全く別の世界のことだ。ぼくにはそれがわかる。そして

ぼくの声がきこえる。




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声に


お前は誰 凍った手か 抜け落ちる一本の毛髪 電車が通ると ぐらぐら揺れるビール瓶 海龍王寺の庭のコスモス 裸にしてみたい だがどこにいるのか 窓の中の空 伸び縮みする細胞 枯枝のように 骨の散らばる墓場 底まで透き通った瞳 ぼくには見つからない 娘たちがかたまって 腹を抱えて笑っている ガラクタばかり 作っては捨ててきた でも 形なんかどうでもよいのだ あいまいだが 確かにいる お前は誰




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虫の絵


君が吊るされた樹の下で 指先から神経を垂らして 僕は虫を見ている てんとうむし かぶとむし たまむし かみきりむし こがねむし 僕に見られた虫は動かない 僕はそれらの虫を拾い上げる 神経で幾重にも縛り 一つずつ丁寧に地面に並べて 君の絵をかく 僕の額にふきだした汗は ぽたりぽたりと落ちて 地面にしみこみ 絵の中の君に陰影を与えるだろう そして虫の出す油によって 絵の中の君は光り輝く いずれ絵の中の君は あとかたもなくなる その頃には 吊るされた君の体に 無数の花が咲くだろう




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風景


私は薄明の中を歩いていた 金属のように固い地面の上には 丸い地平線の彼方まで 私の他に何も無い ただ 抜け落ちた鳥の羽毛だけが 薄く積っていて 私が歩くと乱れて飛びはねた 私はなぜ歩いているのだろう そのような問が 頭に浮かばぬわけがなかったのだが 考えれば考える程 神経の糸は互いにからみあった そしてこのがらんどうの風景に 私が今までに見てきたものたちが 重なった 塩辛い光を満身に浴びて 無防備に足を洗っていた娘 白い歯をむき出して ニヤニヤ笑っていた海 入道雲が厚くなっていくのに 木の間をせっせと飛びまわっていた女郎蜘蛛 鉛のように澱んだ空気を吐きながら 木の陰に隠れていた娘 しかしお前は本当に見たのか と問われたら 私は自信を持って答えられるだろうか 風景は再びがらんどうになり あまつさえだんだん暗くなってくる 私は地平線すらわからなくなりながら 金属のように固い地面の上を ただ歩いていた




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頭脳に針が一本突き刺さる そこから記憶が 糸のように垂れ下がってくる 一本の樹だった時は 体の中を果汁が流れて 四方に張りめぐらした枝が 果実で重くなっていくのが 気持ち良かった 小さな池だった時は 腹の中で藻や魚があばれて くすぐったかった 晴れると 軽くなっていく体が ひりひりした 火山の底の溶岩だった時は なるべく体を小さくちぎって 遠くへ飛んでいこうとした 煙草のけむりだった時は 肺の中に一度結集して 勢いよく外へひろがっていくのが 裸のように自由だった 地面に落ちたばかりの光だった時は… そこで記憶はプツリと切れる 私は歩き始める 空から星が次々に降ってくる




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溺死者


まっすぐに道を歩いていた人が 突然横を向き 川に身を投げ 溺死者となる 溺死者は ゆっくりと川を泳いで下り 海にはいると 夜を夢みてゆっくりと沈んでゆく 皮膚は自然にめくれ 肉は魚に啄まれ 骨は塩に侵されて 最後に残った二つのてのひらが 海星になって 深海に見えない光を発する




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鉛の人


顔が錆びついて 腐って 崩れてきた 崩れた部分には 鉛を埋めて 補修しなければならない 顔が重くなって 人々はうつむきかげんに歩いた 朝の地下鉄は 鉛のかたまりでいっぱいだ 地下鉄が揺れると あちこちで鈍い金属音が さらさらと響く 街は静かになった




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病死


僕は脳の病気になった。病状はみるみるうちに悪化し、ついに末期症状があらわれて、僕の体はへその穴からめくれて裏返しになった。今まで空気にさらされていた頭や手足やペニスが体の中に閉じこめられ、内臓や血管や神経が寒々とした姿でとび出して、柔らかいあまり大きくない塊になった。骨はその時にバラバラにはずれてしまった。おかげで心臓などはふぐりのように垂れ下がってあわてて収縮した。肺は勝手に空気を吸い込んで、空気枕のようにふくれあがった。肝臓は削りやすくなったので、時々誰かが一部を失敬して焼鶏といっしょに食べているらしかった。神経はもろに空気にふれて敏感になったが、いかんせん脳がいかれているので、結局は何も感じなかった。頭といっしょに口がめりこんだので胃腸は暇になり、かわりになぜか腎臓が忙しくなった。せっせと小便を製造しては膀胱に送りこみ、膀胱はさらにペニスに送りこんだ。ところがペニスは体の中にめりこんでいるので、小便は体の中でたまっていった。体の中に閉じこめられた手足は他にすることもないので、性器ばかりいじくっていたから、しょっ中射精し、ために僕はいつも疲れていた。のどがかわくと、体の中にたまった小便と精液のまざった液を飲み、それがめぐりめぐってまた小便や精液になって体の中にたまった。外からとるものも無く、出てゆくものも無く、言わば自給自足になっていた。その間も脳は確実に悪化し、ついに粥のような重湯のような液になって体外に流れ出てしまった。それでもまだ、生き続けておれるのだから不思議だった。しかし、裏返しになってからちょうどまる三日たった時、とうとう心臓がばてて止まってしまった。つまりは死んでしまった。僕は自分が死んだのをはっきりと自覚して死んだ。




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予感


落ちてきた予感が 濁った水たまりの前で止まる その時大きなあくびをしたやつ 交番の前で お父さん お母さんを 殺さないようにしましょう と叫んで 病院に入れられた 白い壁の中で 白いパンをかじりながら そいつは手紙を書く 私の夫は商社マン 妻は馬のおなかにしがみつき 息子は切りとられて 鳥かごに放りこまれた 窓から紙飛行機が 次々に墜落する その時ビルの壁で クーラーのファンが一斉に回り始めた 小さな肉片が一つ躍った




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素朴な感情


八百屋の前を通りかかって 芋や大根をあさっている エプロンかけたおばさんたちを 見ていたら むしょうに人を殺したくなったが 誰も殺さなかった 私も世間並なのだな と思って安心した 八百屋の隣の豆腐屋で ずらりと整列した豆腐の角を 見ていたら またむしょうに人を殺したくなったが 豆腐と納豆を買って つり銭を勘定していたら そんなことは忘れてしまった 私は自分の平和な性格に あきれてしまった 家に帰って 豆腐と納豆を小鉢の中で ぐちゃぐちゃにかきまぜていたら またもやむしょうに人を殺したくなったが まわりに殺す奴がいなかったので 蒲団を敷いて その日はさっさと寝た 夢の中で私は 意味もなく私の命をねらう男に ずっと追いかけまわされていた いよいよつかまって殺される直前に 目が覚めた 朝の満員電車に乗って 前にグラリ後ろにグラリと振りまわされて 私はまたしても むしょうに人を殺したくてしかたがなくなったが 身動きがとれなくて 誰も殺せなかった その時私は 何故自分がこんな所にいるのか わかったような気がした




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占領


盆なので田舎に帰っていた。きたない星が砂のように空にちらばっていた。土用波が崖にぶつかってしぶきをあげていた。西瓜のような顔をしたK子が歩いてきて、崖から身投げした。変な夢だなあと思ったら眼が覚めた。机から顔を上げると教室にはだれもいなくて黒板に「国文学実習は外で」と大きく書いてあった。校舎の外に出ると武者小路や太宰や三島や大江たちが二列に整列していたので私も列に入った。「これで全部だね。それでは出発。」と教官が言った。私たちはラ・マルセイエーズを歌いながら、足並そろえて行進しはじめた。そうか、日本はフランスに占領されたのだな。校舎の他はみんな空襲で焼けてしまってこげくさい。天丼屋の裕さんは急進的な攘夷論者だったけれど、満州で不自由していないだろうか。それよりも心配なのは同い年のなるちゃんだ。彼は美少年だったから毛むくじゃらのフランスの兵隊に犯されて痔になったりしていないだろうか。などととりとめもなく考えていると、突然教官が「止まれ」とどなった。目の前に大きな鉄の棒が立っていた。武者小路や太宰や三島や大江たちは噛んでいたガムをひものようにひきのばして、端を鉄棒にくっつけて、腕を組んだり、首をかしげたり、うなったりしながら、口から長々とのびたガムを見つめていたので、私もいそいでガムを噛み、彼らに従った。ガムには一列にひらがなが並んでいた。「うからずみなてらもぬこひひかしりきをかそたらやにまみさせるがらほむにつつらきさにはやよどはかるすもそのでにのぞつあゆりかけなる。」 私はすぐに意味がわかったのでガムを再び口に収めて教官に言った。「これは俊成の『恨みても恋しきかたやまさるらむつらさはよはるものにぞありける』という歌と『数ならぬひかりを空に見せ顔に月にやどかす袖のつゆかな』という歌のアマルガムでしょう。」 教官は口惜しそうに首をたてにふった。私は「ちょっとなるちゃんが心配なので見てきます。」と教官に言って校舎に戻った。便所に入るとはたしてなるちゃんの「うーん、うーん。」という声が聞こえてきた。私は「なるちゃん、だいじょうぶ?」と声をかけようとしたが、その時後ろから「だめよ、なるちゃんはお楽しみなんだから。」という声がした。ふり返るとK子だった。まだ日本に日本人の女が残っていたのかと思うと私は感激して、急にK子が好きになった。そこで私は、K子のなめくじが二匹並んだような唇にキスをした。




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ベッドの上に 僕の影が浮かんでいる ふわっとした熱を持ち ベッドがそこの所だけ 少しへこんでいる この裏切り者め 部屋を出る僕に向かって 僕の影は ニヤニヤ笑いながら 手を振っている 朝から僕は疲れて 疲れたまま日が暮れて 腹が立つ 酒を飲むので 腹が出る 部屋に戻ると 僕の影がベッドの上で 腹を出して寝ているので また腹が立つ また酒を飲んで 眠ろうとしても 僕の身体の下から なまあったかい影が いくつもふわりふわりと浮かんでくるので 眠れない




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平和


たまの休みの日曜日 日当たりの良いベランダに出て 関節に油をさしたり 皮膚にヤスリをかけたり する人々がいた 身体の手入れを怠ると バスで街中に運ばれて 排水溝に捨てられるのだ 彼らも好きでやっている 訳ではなかった しばし手を休めて 彼らは思い出した 地面に手を突っこんで 地面を真二つに 引き裂こうとした時のことを わずかにできた裂け目は 広がらず 逆に地面にしめつけられた手を ようやっとの思いで 引き抜いたのであった やがて夕立が降る 彼らは大喜びでベランダから飛び出し 雨の中 裸で踊る 背中から尻の穴にかけて 雨水がすごい勢いで 流れるのを感じながら たまの休みの日曜日 は暮れていった




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Fairy Tale


バスが丁字路を曲がって いつもの草っ原の前を通ると 草っ原のむこうに 昨日まで無かった超高層ビルの群れが 蜃気楼のように 建っていた バスの乗客たちは 呆気にとられて 口を開けながら 車窓を流れる景色を ながめていた 青空に指を突っ込んだような ビルの一つ一つの窓には 洗濯物のシャツやパンツやシーツが ハタハタと日の丸のように はためいていた このあたりの街 柏 松戸 我孫子といった街が 狭い面積の中に 一つにまとめられていたのだ そういう訳で バスに乗っていた私たちは 帰る場所を無くしてしまった バスの終点には 街の汚水を集めて プールのような池のようなもの ができていた 街からはじき出された私たちは 当然街の仕事からも解放された訳だから 気の早い奴は 気がつくともう服を脱いで 汚水のたまりで ゆったりと泳いでいた 汚水の独特の臭いも 慣れてしまえば気にならなくなり 濁った水が そこそこ透き通って見えるから 不思議なものだ 中には水底に落ち着いてしまって 胡座をかいて 煙草をスパスパ喫い始める者もいた 煙草の煙が水底から もやもやと立ちのぼり 水面から空中に拡がっていく様は 何やら妙に綺麗だった 泳げない私は 水面のあちこちで立ちのぼる 煙草の煙をながめながら 何を考えるでもなく 時が過ぎるのにも気付かずに ただぼんやりと佇んでいた




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知らないこと


どこか南の国で 戦争があって 多くの人が 死んだらしい ぼくがそれを 知らずにいたので その国から帰ってきた ぼくの友人があきれた この国でも昔は 戦争があったのだ 戦場になった村を 彼が訪れた時 死にかけた子供が おとうちゃん と彼に呼びかけたそうだ その子が 日本においてきた筈の 彼自身の息子に相違なかった と彼は主張していた その彼は 帰国後まもなく 東京の病院で死んだ 彼の息子は 父が南の国の戦争で 死んだものと 思っている




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大きな息を一つ吐いて きみは 胸を押えて苦しそうにしていたが よく見ると 腹を抱えて笑っているのだった 隣りの国の大統領が来るとかで 歓迎したり 歓迎しなかったり する人々は忙しそうにしていたが きみは 蚊を追いかけるのに夢中で それどころではなかった 蚊を追うきみの眼は血走って からだより 一歩先を歩いていたが 今年の蚊は いつもより逃げ足が速いようだった それでも つかまえてしまえば一瞬のこと 掌についた血をながめて きみは よだれをたらしそうなほど 笑っていたが よく見ると きみにはいつだって 表情なんか何もないのだった つぶしても つぶしても 蚊はまた刺しに来る




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九月


九月の夕べ 空は胡麻塩頭 私は鍵をぶらさげて 女に会いにゆく 空っぽの下宿で カセットテープがまわっている 去年の秋 西大寺の前のあぜ道で 女となめていたアイスキャンデーが ぽたりぽたりとたれて おろしたてのズボンがよごれた そのズボンも 今はのびててかてか光っている 魚屋から吹いてくる風 タバコを排水溝に投げ捨てて 風呂屋に入る 新聞紙で尻をふいたから 記事が湯の中に プカリプカリと浮き上がってくる




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長い夢


瞬きながら 私はそんな重荷にたえられない キラキラ光り あなたの茂みから あなたが溶岩のように 流れ出ている あなたのえもいわれぬ匂い 私はその匂いが好きだ あなたの赤い肌に うぶ毛がぴったりと はりついている あなたの崩れた笑顔が 私の前で動かない 私は殆ど吐き気を感じている 父親の上に胡坐をかいて 油を売っているあなた あなたには恥もなく 隠したくなる場所もない 私は危ない道でつんのめった あなたのたっぷりと余った身体を借りて 私は長い夢を見よう




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ゆで卵


きみをゆでたら きみは赤くなって 恥をしのんで 鍋の底にうずくまっている きみのしわはのびて つるつる きみのくぼみは ふんわり光を帯びて きみの目は 白目をむいている きみとぼくの関係は 浅くてからだぬき のものだったから ぼくはきみのことを 惜しいとは思わない でも ゆであがったきみのことを きれいだとは思う きみを火からおろして 腹を裂いたら ゆで卵がいくつも いくつもでてきた 明日から毎朝 一つずつそれを食べて ぼくは飢えをいやすだろう




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障子に魔羅を突き刺す ずらり十数本の魔羅 さあ元気に立ち上がれ 体の隅々まで洗い浄めよ 一斉に描かれる放物線 霜柱立つ寒い朝の庭 生温い湯気がたちこめる 一瞬小さな虹がかかる




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初出一覧



「腐蝕土」IV(1980/12/20)
蛞蝓 木の目
てのひら
無題(現「断片」)

「腐蝕土」V(1982/5/22)
占領

「腐蝕土」VI(1983/11/20)
九月 薄明

「走都」6(1981/2/10)
声に

「Booby Trap」4(1991/4/15)
蛞蝓(再掲) 長い夢
ゆで卵




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あとがき


 ここに集めたものは、すべて私が18歳のときから23歳のときにかけて書いたものであり、もっとも新しいものでも、書かれたのは83年である。今さらそのようなものを集めて世に出すことについて、少し言い訳めいたことをを書いておくと、その後10年ほど、私には書かない時期、次いで書けない時期が続いた。しかし、書けない、もう諦めようと思ってからしばらくたった頃に、どうしても書いてみたいことが突然湧いてきた。一ヶ月書き出せずに迷ったあげく、何とか書いてみた。それは、自分がそれまで詩だと思っていたものとは少し違うものだったが、書き上げてしまったときには、何やら急に視界が開けてきたような解放感があった。そのときからまた、書くということが生活の一部になった。Booby Trap誌の11号以降に発表させていただいているものは、そのとき以降に書いたものである。だから、ここに集めたものと、私が今書いているものは、違っていなければならない。そうでなければ私としては困るのである。
 しかし、これではまだ言い訳になっていない。この集のなかで、同人誌等に発表できたのは11篇だけである。残りは、最近、物置を漁ったときに偶然見つけたものだ。これらは当時何かしら気にいらないところがあって、捨てたはずのものである。なかには書いたことさえ忘れてしまっていたものもあった。そのようなものを10年ぶりに読むというのは、どうにも不思議なものである。幼さ、拙さは当然感じる。しかし、今の自分からは失われてしまったものがここにはあるような気もする。読んだときの印象も、当時思っていたこととは違うようだ。そして、困ったことだが、1年半前のあの経験で自分は変わったつもりだったのに、同じ人間がそう変われるものではないということもわかってしまった。
 私にとって、これは少しまずい事態である。自分でこういうことを言うのも呆れたものだが、私は10年以上前に書いたこれらの原稿が気にいってしまった。しかし、いつまでもこれらに気を取られているわけにはいかない。もう後戻りのきかない道を歩き出したはずなのだ。とすれば、このように本の形にして外に出してしまうしかない。くどい話で申し訳ないが、これが言い訳である。
 考えてみれば、これらを書いていたときには自分の詩集を出すのが夢だった。しかし、10年前には、DTP(デスクトップパブリッシング)などという便利なものはなかった。清水鱗造さんのように発行者になってくれる方もいなかった。おまけに、書いた本人はこれらの原稿の大半をどこかに放り投げていた。結局、これらの原稿は、10年間眠っている運命だったのである。しかし、10年間眠っていたにせよ、こうやって起き出すことができた分、彼らは幸運だった。彼らに代わって、ありがとうございましたと言っておきたい。

1995年6月


長尾高弘


(C) Copyright, 1995 NAGAO, Takahiro
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