あとがき


 ここに集めたものは、すべて私が18歳のときから23歳のときにかけて書いたものであり、もっとも新しいものでも、書かれたのは83年である。今さらそのようなものを集めて世に出すことについて、少し言い訳めいたことをを書いておくと、その後10年ほど、私には書かない時期、次いで書けない時期が続いた。しかし、書けない、もう諦めようと思ってからしばらくたった頃に、どうしても書いてみたいことが突然湧いてきた。一ヶ月書き出せずに迷ったあげく、何とか書いてみた。それは、自分がそれまで詩だと思っていたものとは少し違うものだったが、書き上げてしまったときには、何やら急に視界が開けてきたような解放感があった。そのときからまた、書くということが生活の一部になった。Booby Trap誌の11号以降に発表させていただいているものは、そのとき以降に書いたものである。だから、ここに集めたものと、私が今書いているものは、違っていなければならない。そうでなければ私としては困るのである。
 しかし、これではまだ言い訳になっていない。この集のなかで、同人誌等に発表できたのは11篇だけである。残りは、最近、物置を漁ったときに偶然見つけたものだ。これらは当時何かしら気にいらないところがあって、捨てたはずのものである。なかには書いたことさえ忘れてしまっていたものもあった。そのようなものを10年ぶりに読むというのは、どうにも不思議なものである。幼さ、拙さは当然感じる。しかし、今の自分からは失われてしまったものがここにはあるような気もする。読んだときの印象も、当時思っていたこととは違うようだ。そして、困ったことだが、1年半前のあの経験で自分は変わったつもりだったのに、同じ人間がそう変われるものではないということもわかってしまった。
 私にとって、これは少しまずい事態である。自分でこういうことを言うのも呆れたものだが、私は10年以上前に書いたこれらの原稿が気にいってしまった。しかし、いつまでもこれらに気を取られているわけにはいかない。もう後戻りのきかない道を歩き出したはずなのだ。とすれば、このように本の形にして外に出してしまうしかない。くどい話で申し訳ないが、これが言い訳である。
 考えてみれば、これらを書いていたときには自分の詩集を出すのが夢だった。しかし、10年前には、DTP(デスクトップパブリッシング)などという便利なものはなかった。清水鱗造さんのように発行者になってくれる方もいなかった。おまけに、書いた本人はこれらの原稿の大半をどこかに放り投げていた。結局、これらの原稿は、10年間眠っている運命だったのである。しかし、10年間眠っていたにせよ、こうやって起き出すことができた分、彼らは幸運だった。彼らに代わって、ありがとうございましたと言っておきたい。

1995年6月


長尾高弘


(C) Copyright, 1995 NAGAO, Takahiro
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