偽装



人は誰でもいつかは死ぬ と子供の頃に教わった。 それから何十年か生きてみると、 確かに私が知っている人間のうちの 何人かは死んでいった。 私も彼らのようにいつかは死ぬのだろう。 その確信が揺らいだのは、 死んだはずのKを街で見かけたときだ。 Kは私が見ていることに気付くと、 ばつの悪そうな顔をして、 逃げるように人ごみの中に姿を隠した。 他人の空似ということもあるが、 あの男は私に気付いて逃げたのだから、 Kに間違いない。 私はKが火葬場で灰になるところまで 見届けたはずだった。 しかし、棺をずっと見ていたわけではない。 私が見ていない隙に、 Kは棺の外に出て、 棺のなかには何かの燃え殻を ぱらぱらと入れておいたのだろう。 葬式に出席していたほかの連中も おそらくはグルだ。 Kの葬式は、 人は誰でもいつかは死ぬ と私に信じ込ませるために、 彼らが仕組んだ芝居だったのだ。 おそらく、 私はいずれ死すべき唯一の人間なのである。 数ある人間のなかで、 私だけが死ななければならない。 私のことを哀れに思った周囲の人々は、 死ぬのは私だけではないと私に思わせることによって、 私の死への恐怖を軽減させようと思ったのだろう。 単に、 人は誰でもいつかは死ぬ と教え込むばかりでなく、 演技の達者なKたちを使って、 人が死ぬということを実演して見せたのだ。 手の込んだ芝居だ。 人は誰でもいつかは死ぬ と信じたまま私が死んだら、 彼らは私の死への恐怖を軽減化できたことを喜び、 微笑みあうのだろう。 だとすれば、 私の方も騙されたふりをしよう。 それがいずれ死すべき者として、 不死の人々から受けた愛に応えるための 唯一の方法なのだから。


(C) Copyright, 2000 NAGAO, Takahiro
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