抒情詩試論



どこから見ても抒情詩としか言えないものを書きながら、 自分では抒情詩ではないものを書いているつもりだった。 なぜだろう。 思いを書くつもりで始めたことでないのは確かだった。 プライベートな思いを人目にさらすことに何の意味があろうか、 と、そこまで思いつめていたわけではないにしろ、 何かしらパブリックな意味が必要だとは思っていたようだ。 パブリックなるものを保証してくれるのは個を越えた思い。 だから、無意識の世界から出てくるものに頼った。 普段の会話や散文で語る思いはほとんど書かなかった。 ただそれほどはっきりと考えていたわけではなかったので、 次第に行き詰っていった。 自分の無意識に個を越えるものが本当にあるのだろうか、 その辺があやしくなると、 あとはもう何年も書けなくなっていた。 それがまた書き始めたのは、 どうしても書きたいことができたからだった。 それは無意識の世界のことではなく、 肉眼で普通に見えることだった。 不思議なのは、 それでもまだ抒情詩を書いているつもりではなかったことだ。 プライベートな思いを人目にさらしているだけ、 ではないつもりだったらしい。 確かにすべての思いを書いているわけではなかった。 では何かしらパブリックな意味があることを選んでいたのか、 というととてもそのようには思えない。 なぜだろう。 結局それから十年以上も、 抒情詩を書いていることに気付かなかった。 それがつい最近になって気付いてしまったのだ。 今まで自分が書いてきたのは、 全部が全部ことごとく抒情詩だったんだなって。 ああ、 そんなこと気付かなければよかったのに!


(C) Copyright, 2007 NAGAO, Takahiro
|ホームページ||詩|
|目次||前頁(必ずまた)|
鈴木志郎康氏評
PDFPDF版 PDFPDF用紙節約版