パストラール

藤林靖晃



 明るい。明るすぎる。眩しい。これは何の光だろうか。うずくまる。熱い。午前四時。冬の中の夏だ。汗を振り払う。「君ハ何シテル」。ピカソが言う。ピカソは太陽の中に居る。太陽? 恒星の中ではなかったのか。「俺ハ生キテイルヨ。ハハハハハ。ツマリ君ハダネ、苦シンデイルンダロウ。ハハハハ」。眼の前に樹がある。「自然は重い」と呟く。確かに重すぎる。海へ行きたいって? 行き給え。何かがそこに在る。未知のものが。人はひとりも居ない。裸になる。苦痛が落ちた。砂の中の微粒子が俺だ。もう死も真近い。何だって? 短かいんだよ。生は。君は息をする資格が有るのか。有るらしい。では四肢を動かして見給え。ふふ。動く。では歩け。速く。ゆっくりと。走る。どこまで? 無限さ。かぎりなく遠くまで行き給え。そうすると何かが見える。何が? 自分の顔がだ。顔? そんなものは見たことがない。では手や足は? ふるえているね。ふるえている。何かあったのか。何もない。ただ鳥が飛ぶのを見つめていただけだ。眩しい光の中に鳥が溶けこんだ。まっ白な鳥だ。黒い鳥は俺の腹の中にある。そうだよ。俺の腹は白と黄と赤と黒に変色するのだ。さあ行こう。どこまで? 海王星まで。躰が浮く。地を離れる。見る見るうちに地球が遠くなった。ブラックホールは? いやホワイトホールへ行くんだよ。なぜ? 旅をしたくなったから。この椅子の上で。ふうむ。君は旅をしたいのか。そうだ。この密閉状態から飛び立つのだ。時間が無い。時間? そうだ。俺だけの時間さ。君はどのくらい生きている。八十年。ああそうか。ニューエイジまで息をしていたいのか。そうだよ。俺は解放されたんだ。何から? 全てのものから。それなら結構だ。どこまで行く? くどいね。行ける処まで行くのさ。独りで? そう独りで。グッドラック。


Booby Trap No. 1



パストラール-ゲルニカ-ミノトロマニキー-詩・88・1 CHIへのレクイエム-生命-ものろおぐ

ゲルニカ

藤林靖晃



 午前一時。焼けた砂の上。熱い土砂を噛む。かすかな、ほんのかすかな月の光。徐ろに歩く。一瞬の闇。ふいに三人目の俺が殺される。深い穴の中に俺は居る。一億回目の死? 耳をそばだてる。音が無い。音? 波の音は。風の音は。闇だけが続く。一万時間。闇。ただひたすら闇。空と地が付着した。世紀の終焉。
 午後七時。ギラツク陽。裸ノ躯ヲ焼ク。走ル。タダ走ル。走ル。走ル。飲ム。飲ム。食ベル。食ベル。叩笑ガヒビキワタル。コノ群衆ハ誰ナノカ。四人目ノ僕ガ今生レタ。君ハ何処ヘ行クノカ。ニューエイジヘ旅スルノサ。ソコデ何ヲスル? 激シイ怒リヲ笑イニ代エルノダ。君ニハワカルマイ。僕ハ楽シムノサ。エ? 楽シムンダヨ。何ヲ? 何ヲッテ。ツマリ。何カラ何マデモサ。何ガソンナニ楽シインダ? 一切合財ガダ。ソンナ莫迦ナ。有ルンダヨ。捜セバ、エ? フフフ。
 午後一時。私は五人目の私を求めて野原をかけめぐる。汗の塊に変化する。傷だらけの四肢は止まることがない。何ごとかしきりに到来する不可思議な声。声だろうか? 呟やき。その呟やきの中に人の形がうっすらと見える。いやそれは人ではないかもしれない。あるいはこれは夢なのかもしれない。夢の中の夢。いつ終わるとも果てしのない光景。追う。ひたすらに追い続ける。む。何かが見えはじめた。ただまっしぐらに追う。追う。むむむ。
 午後八時。都会ノ路上。カツテ同胞ダッタ人タチハミナ姿ヲ消シタ。コレガ君ノ宿業サ。エ? 苦シイカネ。フフフ。出ルモノハ笑イダ。未成ノ嗤イ。俺ニハコノ汚レタ路サエアレバイイ。ソウシテ俺ハココニ立ッテイル。立チツヅケルノダ。ヒトリデ? 何ノ為ニ。理由ハナイ。フフフ。理由ナンゾイラナインダヨ。俺ト言ウ君。君ノタメニ一杯ノ水デ祝杯ヲアゲヨウ。サア。早ク、早ク。俺ハ沸トウスル大気ノ中ニ立チツクス。


Booby Trap No. 2



パストラール-ゲルニカ-ミノトロマニキー-詩・88・1 CHIへのレクイエム-生命-ものろおぐ

ミノトロマキー

藤林靖晃



 夏。沸騰する汗の塊の中で我々は眠る。何を考えているのだね、君たち。声だけがひびいてくる。夢。すべては夢。現実より重い……。我々は夢を噛み殺す。声を追う。めくるめくような速さ。速度は次第に激しくなり、躯は瓦解する。強い陽が四肢を焼く。殺す? 何を? 三人目の自分をだ。待ってくれ、その前に。その前に、何? 君は君自身を何千回と殺しただろう。否。私は何もしなかった。そうだ。一体私は何をしたのだろう? 内臓のかすかな破裂音が聞こえる。私は既に私を飛び立った。む。
 秋。彼も死んだね。そうだ、彼もだ。彼も死んだのだろう。そうだ彼もだ。我々の中の同胞は一体何人? …数えきれない死。君、君は死なないでくれ。大丈夫だ。俺は死なない。それどころか、俺は歓びに満ち満ちている。なぜ? 俺には俺が居る。え? 六人目の俺に君と話すようにすすめよう。俺は又旅に出る。ぐ。
 冬。広がる雪の中で無数の人々が騒いでいる。此処は至上の地だ。さあ、何も考えずに冬眠に入りたまえ。夢をたっぷりと食べたまえ。
何処へも行かずとも良い。何をしなくてもいい。何でもしたまえ。ふふふ。しかし彼等が。彼等? 関係が。それがどうしたというのだ。関係が燃える。燃える。ふ。
 春。一切合財が蠢きだして、風景は生き生きと音を立て、風が、雨が、雲が、躯の中をめぐり始め、臓腑を揺すり、我々はまだ居るのだね、誰かが呟き、声のかたまりが鳴り始め、はじまりはひそかに、やがて高まり、地を揺すり、水と岩と山をくぐりぬけて、われわれは飛翔し、まわり、裸の躯に水を浴び、飲み、食べ、これでいいのだと、誰かが笑い、笑いの渦が鳴りひびく。ど。


Booby Trap No. 3



パストラール-ゲルニカ-ミノトロマニキー-詩・88・1 CHIへのレクイエム-生命-ものろおぐ

詩・88・1
CHIへのレクイエム

藤林靖晃



 サイコは点滴を受けながら終日寝ている。大丈夫、これくらいの熱は自分でも分かっているから、と言って口を堅く閉じている。何か食べなければと言うと、何も要らないと答える。「ほっといて」と強い口調で私を見ながら言う。枕許には小さなバッグが置いてあり、その中に数十種にも及ぶ薬が入れられてある。陽がカーテンの影をサイコの顔の上に投げかける。「眠りたくないの」「どうして」「眠るとね、悪い夢ばかり見るの。つらい夢。だから眠りたくない……」「悪いって、どんな」「たとえば身近で死なれた子供や男の夢。それが正夢みたいで……。子供が眼の前で車に轢かれるの。肺炎になった男が蒼白い顔でこちらを見るの。縊死した男の後姿が目蓋に焼きついて離れないの」虚ろな眼でサイコはぽつりぽつりと言う。「窓を閉めて下さる、風が嫌なの」私はサイコの額に手を当てる。「やはり医者に言って痛みどめをもらったほうがいい」「ちょっと待って。さっきスルピリンを多めに呑んだから、だいじょうぶ。熱は下がるの。熱はかならずさがるからだいじょうぶなの」「そうかな」「ひとりで生活してるとね。大方のことは自分で分かるの。あと二時間もしてスルピリンが効かなかったら抗生物質を持ってるから……」喋りながらサイコは目を閉じる。心なしか顔が上気しているようだ。私はタオルをしぼってサイコの額に乗せる。その同じ動作を何回も繰り返している。どうやら眠ったようだ。サイコは一種の放浪者である。多くの体験をしている筈なのだがそれが顔に表われていない。いわば白痴美のようなものがその表情にある。童顔なのだ。「海が見たいわ。そう、海よ、海」うわ言だろうか。「たつお、かならずゆくからまっててね」かたことまじりで口を開く。「いいのよ、いいの、もういいの、しんぱいしないで……」私はバッグから体温計をとりだしてそおっとサイコの腋の下にさしこむ。さようなら、サイコ。サイコ、永久にさようなら……。


Booby Trap No. 4



パストラール-ゲルニカ-ミノトロマニキー-詩・88・1 CHIへのレクイエム-生命-ものろおぐ

生命

藤林靖晃



樹が揺れて、眼が落ちた。 花が目覚め、山を生んだ。 呟きが炸裂し、肉体を脹らませた。 見よ。この屹立した四肢を。 燃える。 萌える、人々。 夏の海に雪が降る。 地球が割れた。 人々は大笑する。 私は笑い、そして、仮眠する。 夢の中の中の中。 私は太陽の上を走る。 夏。そうだ、夏。そうだろう、夏。 五角形の家が宙を飛んだ。 私は全裸で草原を走る。 涼しいざわめき。 雨の中で人々が叫んだ。 我々は生きたいのだ、と。 声。 誰の声か。 不可思議な音が…。 何? 創世の音だって? 到来した路上。 足が土の上で溶ける。 ? ! 君ハ生キテイルノカイ。 ピカソが蘇生した。 全くの静寂。 何という心地良さだ。 私はニトロを胸に秘めて歩く。 何時死ンデモイイ。 海の上で再生を待った。 塩水が、塩水が、喉を潤してくれる。 人々は永久に歌い続ける。 民衆のモノローグだ。 さあ、走ろう。 一瞬の旅へ向かって。

Booby Trap No. 5



パストラール-ゲルニカ-ミノトロマニキー-詩・88・1 CHIへのレクイエム-生命-ものろおぐ

ものろおぐ

藤林靖晃



あれは黄色い四肢と人の影 何者か何処へ何処から 真昼の二時十五分老婆か少年か女か群衆か ぎらぎら照りつける陽の真下で無数の人が行き交い 裸体の老人が泥土をくわえる 彼は一本の草を握りしめ 花々の亡骸を砂上に植え数千年を待つ 微風が静かすぎる! 君は一体何をしている? 秒針の音が響き私はいちまいの紙片を捜している 今何時だろう 此処は何処だろう 埋没した印度洋と欠け落ちたロンドンブリッジは我々の手中にある 私は干からびた男の皮膚を見つめる 路上を蠢くひとびと 貴方たちは? 靴音と話し声が高すぎて心音が聞こえないではないか 待って欲しい ひとつの石ころを求めているのは誰か とうの昔に住んでいた彼の老女を呼んでみるが 直射する光がわたしの瞳孔を奪ったとしても 口腔は失った記憶の中に消滅しても 見知らぬ老人は笑っている嗤う 笑ってはいけないんだね ふゝゝ 君は何も彼も誤解している 君には解らない はゝゝ 君には 君達には 歩き給え 歩け 海の彼方に明りが生まれた知っているか 声ヲ 私ハ 聞ク 術ガ 無イ 唯物的な内臓を見ることができるとしても 滴り落ちる汗に大きな欲望を託すのだが アスファルトの上はいいね草も木も無い どれが現実だってどれが夢だって 何にも在りはしないだろう明るすぎる部屋全てが見える 老人は息づいているのか 烈風が指の上で 非在などと呼んではならない 微風が耳の中で この踝の黒いあざを見給えみろ逃げては不可ない たるみすぎた皮は何を暗示している饒舌を終えろ 動けないではないか私は怒声を欲するか考えないで呉れ 道が毀れる路が焼けるニューヨークシティに雨が 今は何世紀かって? 君達は疑いを抱きすぎる 私は数百年と瞬時の眠りの中へ静かにひっそりと落ちてゆく


Booby Trap No. 20


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