人の川

田中勲



雪は 光。 ひとひらの、 虫の 知らせ。 志村喬がブランコをゆすっていた。さかまく去年(こぞ)の光に。命みじか し。灰色の画面に光の爪を立てながら。恋せよおとめ。とひっかい ていくのだったか。 無私にテレビが凍りつく夜もある ここも、 無疵の川ではありえない、と云う 水面(人と人の)をわけ入る これからはふぶきの声に目覚めながら。愛犬ジローの尻尾にも劣る 雪に埋もれたアンテナの首が。首先が唯一の命の綱である、と云う。 ひとひらの、そして何億何千万ひら、と云う。 虫の 知らせ。 に、 君は耳を光らせている。アンゴラのセーターを更に重ねて。 払っても 払いのけても 歳月の氷室(ヒムロ)にすっぽりはまりこむ。管がつまれば、ぜんりつ腺も、 ぜんりんくどう車も、一進一退のわだちにおちこみ。まだらの川に 義歯を浮かして 朝の挨拶がすれ違う 払っても 払いのけても 首を噛み切る塩のしぶき 腕を突き刺す骨片のしぶき そんな、 行きがかり上の衰弱同士も。おびにみじかし。春までは、たすきに ながし。赤いしぶきを浴びせあうのだ。どこで。どこかで。志村喬 がブランコをゆすっているから。しぶきにならない残留感が漂う。 きさらぎの まぶしい狂暴性が 川を曝す 北陸線の小さな駅のプラットホームはふぶきの川だ。うつむきなが らたたずんでいたひとの黒いコート。そのうしろ姿が浮びあがる。 月も星も、ないわけではない。遠い森の生態をあぶりだす、火まつ りの合図か、花火が詐裂して。自我のしぶきに打たれていたのだっ たか。なんて明るい寒さ。地平の涯を照り返すいちめんの屋根の光 に、この夜の川を泳ぐ人と人の 喉を殺した、さざめきに 君は耳からとびこむのだったが。

Booby Trap No. 1



人の川-光が丘-追悼、のように

光が丘

田中勲



雲の 裂け目から、にわかに 光の棒がつきだすから 昼の月は うすっぺらな石の肌を空にさらすのだろう 股を開き、見下せば 箱庭の グランドを釘づけにして ヘリコプターが 黒い虫の大群に的をしぼり 戦闘開始だ ちょっと待って ぼくを呼ぶ声がして、丘に立つ きみは急に大人びる ヘリコプターの爆音に ありったけ並べた言葉が 箱庭の 雲に脚をとられている サクラの下では 空中戦は見えない ただ 人間と人間の 泥沼から腰をうかせ 求愛の雲を泳ぐ 身の引き締まった さくらのうぐいにぐさりと箸を突きさす旬の残酷さにも 新旧、 ゴザが競り合うのだ そんなに急くことはない それでもゴザの端から 小さな悲鳴が順序よく滑っていく川の中へ 実際、 人の器から 上手に漏れていく 老年は年齢ではないから 器の鍵は 昼の月がにぎっている、川を滑る人の たとえば尻の割れ目から そっとのぞいてごらん 飛行機雲の 池のほとりでは 弟妹の カスミ草も咲いているだろう まだ雲から降りることができない みどりに昏れる うみ、やまを脇にしたがい 空は育ち、とばかりに ウサギ色の やわらかな器にはまっているのだ

Booby Trap No. 3



人の川-光が丘-追悼、のように

追悼、のように

田中勲



彼は詩人ではないが、詩を書く 彼は予言者ではないから、予言する あまりにも 自然な成り行きだけど 殴り合いの追悼式だったか、…… 海底に沈む島がある たぶん、もうひとつの宇宙がみつかるまでの 約束された未来には 男が女になる病気以上に関心が薄く おのれの死でさえも 彼には偶然の未来 深刻に思いめぐらすことがなかったようだが 化かし合いの追悼会だったな、…… ずいぶんな低空である 風をきる羽音が 部屋の空気を一瞬引き裂いて 肩に文鳥がとまったときの ひゃっとする さむい夢に堕ちる うたたねを覚めれば、いつもきまって 外は雪だった だまし討ちの追悼会もあるさ、…… このところ 目覚めに聞く鳥の鳴き声が なにかおかしい この土地で二十年の間ずっと聞いてきて この一年は日課のように 嗄れた鳴き声を気にしている わめき合いの追悼会だったぜ、 こうして 彼の手紙を読み返している 古い宇宙を 逃れるわけにはいかない

Booby Trap No. 4


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