あこがれ

関富士子



よーい。 はれやかに少女は叫ぶ ピストルを空に向けて まっすぐな腕 片手の指は耳の穴に            今まで気づかなかったが            あれはわたしがほんとうに            したかったこと            できるとも思わなかったが ぱーん。 前列がいっせいに走る 火薬の匂い 砂ぼこりを浴びて 少女はほほえむ            いつもうつむいて走っていた            何も見たくなかった            わきばらの痛み            となりの子のひじがあたる            コーナーですべる            のどに砂がはりつく 少女の足元で 少年が火薬を詰める 片ひざを立て 沈着にすばやく 少女に手渡す            かばんの中に            おもちゃのピストルを隠していた            死ねるとは思わなかったが            いつか男の前で            自分の胸に当てるつもりでいた よーい。 くりかえし少女は叫ぶ 耳たぶをばら色にして つまさきをそろえ 少し背伸びして

Booby Trap No. 11



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透文様雪景色

関富士子



 美術館はガラス工芸品ばかりを収めていた。エミール・ガレの、*一夜茸をかたどった巨大な赤いランプは館のメインらしい。ほかはほとんど花器の類で、百年近く前のフランスの作家のものだ。ガラスを盛り上げて彩色された桔梗や撫子は生々しく、蜉蝣や蜻蛉はグロテスクだ。息子は売店でカードを見ていた。何枚かを選んだ後、ある一枚を手に取り、しげしげと眺めた。一目で気に入ったらしいことがわかったが、彼はどうしたわけか思い切ったようにそれを棚に戻して、隣のガラス製品に移っていく。
 私は息子が戻したカードを見た。ガラスの花器の写真である。実物は美術館にはなかった。それは明らかに、真っ白なコルセットに包まれた女の尻をかたどっている。胴にあたる縁はぎざぎざに刻まれ、腰にかけてゆるやかにカーブしている。細かな雪片に似たレース模様が、ふくらみの頂点で二つに割れ、腿に届くところで寸断され、器の底となって閉じていた。よく見ると、レースは冬枯れの雑木を編み込んで、その枝のあちこちに烏が幾羽も描かれているのだ。ドーム作「雪景文花器」とあった。私はそれを買い求めることにした。息子が気づいてためらいがちにささやいた。ママ、それ、やめたほうがいいよ、ちょっと変だ、だってそれ女の人のパンツみたいだよ、烏の模様なんかついてるし。私は彼を横目で見やり、きっぱり言った。それがどうしたの、ママはこれが好きなのよ。
 しばらくのちのこと、私はふと思いついて、そのカードをある詩人への手紙に同封した。彼こそが、この奇妙な花器の味わいを、ともに楽しむことができる人物である。彼の詩は豊かな輝きがあったが、同封される手紙は、老いを迎えようとする人の、かすかな寂しさのこもることがあった。私は、詩人を力づけるのに、そのカードがふさわしいような気がしたのだ。数日して、詩人から返事が届いた。それにはこう書かれていた。すなわち、この器は何とも妙なものである。女性のお尻のふくよかさ、ところが、雪華を咲かせた裸木に烏がとまっている。いや、花器を女性のお尻と受け取った私がおかしいのであろうか……。私は手紙を読みながら、美術館でカードを見ていた息子を思い出した。詩人は彼とそっくりの表情をしていたにちがいなかった。

*一夜茸ランプは諏訪北澤美術館蔵



Booby Trap No. 12



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あなたのすぐ前を泳いでゆく、かれい

関富士子



ぼくは戻ってきた。扉をたたき正面に立ってのぞき穴を、 見つめた。鍵をあけて中に入るとカーテンは、 いっぱいに開いて日光が部屋の隅々を照らしていた。庭の、 ひいらぎの葉のとがった影だけが白い壁に揺れていた。ぼくは、 机の上に自分あての手紙を見つけた。あいつの筆跡で、 封がされ切手も貼られていた。 お帰りなさいあなた、あなたが帰ったときこの部屋に、 ひいらぎの影だけが揺れているのを見るでしょう。 あなたは手紙を読んでから荒れた庭のこでまりの茂みに、 新しい芽がたくさんついているのを眺めます。裏へ回り、 北側のトウヒの下の土がくろぐろとしていつまでも、 乾かないのに気づくでしょう。いぶかしんで地面を撫で、 そこが掘り返されたのではないかと調べます。 あなたは悔しさに震えながら家を飛び出して行くでしょう。 そこはぼくが夜じゅうかかって掘ったところだ。あいつは、 土を引っ掻いて手伝った。底から縁にスコップが、 届かなくなったので掘るのをやめあいつの肩に足をかけて、 外に出て丁寧に穴を埋めたのだ。しっかり踏み固め、 はい上がれないようにした、二度とぼくを待たないように。 それから鍵をかけて出て行った、二度と戻らないつもりで。 それなのにあいつの手紙が机の上にある。こんなことが、 もう百ぺんも繰り返された。なぜ知らないままに、 しておいてはくれないのか。 お帰りなさいあなた、あなたはこの手紙を読み終え目を上げて、 ピラカンサスの実から鳥が飛び立つのを見るでしょう。でも、 あなたはすぐに出て行ってしまう、激しい怒りにかられて。 町をさまよいながら誰彼となく哀願するでしょう、 ぼくと一緒にいてくれと。何人かはその奇妙な、 恐怖の表情にひかれてあなたの手を取るかもしれません。 その一人は手の指全部にリングをつけてあなたを、 守るために武装した女です。たてがみのような髪を揺すって、 身をかがめ筋張った手であなたの涙をぬぐい、 口に食べ物を押し込んでくれるでしょう。あるいは、 丸い頬の少年が憐れみぶかく添い寝をしてくれます。 彼はとても小さくつつましやかであなたを脅かしません。 ぼくはあいつの企みを尋ねた。いかにも同情するそぶりだが、 やつらが回し者であることは確かだ。たとえ新しい家族という、 信仰を説く者たちであっても。あいつと、 関わりがあるかぎりぼくはやつらを愛することはできない。 お帰りなさいあなた、あなたは疲れきって、 ぎしぎしとソファに横になります。輝きと闇を繰り返す、 苦しい夢の最後にくっきりとしたある情景を見るでしょう。 この庭から始まってどこまでも続くゆるやかな海岸。 波打ち際で晒された枝を拾いながら、私たちは歩いて行きます。 この幸福を永遠のものと信じて。 海に流れこむ小さな川にかれいが泳いでいてひらひらと、 上下にからだを揺らします。編み目のような光が伸び縮む中を、 すぐ前を泳いでゆく、あなたはそれを追いかけます。 浅い水の中をいっそう平たくなって泳ぐかれい。 あなたのよろこびの声があたりに満ちて。 ぼくはその夢を幾度も見た。声も光も水の温かさも、 よく知っている。ではあれは本当にあったことなのか。 ぼくとあいつはほんとうにあのよろこびを、 二人で味わったのか。今ぼくたちは、 ただ一つのことしかしない。手紙を書くこととそれを読むこと。 すべては仕組まれてこの手紙の中にあるのだ。 お帰りなさいあなた、あなたはまたもや、 帰ってくるでしょう、この手紙を読むために。 すべてを解き明かすなにごとかが書かれていやしないかと。 でもあなたはこの部屋の静けさに耐えきれずに、 出て行ってしまう。街のあらゆる電話ボックスの、 受話器を取ってでたらめの番号を回す。一度も鳴らないうちに、 切ってしまうでしょう。すると切るより先に、 受話器を取る者がいます。男ならあなたの、 父、兄、弟のいずれかでしょう。だれにしても、 彼はあなたに多少なりとも似ているはずです。疑い深いくせにすぐ人を  信じてしまう。左足からしか踏み出せない。ふらふらと道の真ん中を  歩く。店のテーブルに座ってもだれも注文を取りに来ない。 もしもしお父さん、あなたのことを何も思い出せない。 あいつの言うことが本当なら、あなたはぼくより年下のはずだ。 ぼくの弟だ、その前に兄や父だったことのある人だ。 そして今はぼくがあなたの兄だ。あなたは電話でうまく話せない。匂い  をかいでから食べ物を口に入れる。よくいろんな物を拾う。小さな手  製のぬいぐるみや、自転車の鍵や、縁のめくれ上がった連絡ノートや、  真新しい名刺の束や。 お帰りなさいあなた。あなたは手紙の中に一枚の写真が、 同封されているのに気づくでしょう。一人の男が立っている。 若いようにもひどく年を取っているようにも見えます。彼は、 呆然としてこちらを見ている。その額に、 ひいらぎの葉のぎざぎざの影が映っています。そして、 目の中にカメラを構えた私が映っている、よく見て。 私はファインダーから彼を見ています。そのとき、 その背後にたくさんの彼が続いて立っていたのですが、 写真ではいちばん手前の彼しか見えません。あなたは、 背後の彼を見ようとして思わず写真を裏返す。 そのとき写真の真っ白な裏側に回ったあなたは、 彼の列のいちばん最後につくことになるでしょう。 そこからはすべてが見わたせます。死後に現世を見るように、 生まれる前に未来の夢を見るように。 ぼくは自分の列のいちばん最後につこう。そこからは、 すべてが見わたせるかもしれない。 あいつのでたらめのお陰で、起こったはずのことが疑わしく、 まだ起こらないことが懐かしい。ぼくは写真の男の背後を、 覗くように首をひねり、写真を裏返した。しかしそこからは、 何も見えなかった。ただカメラのレンズがこちらに、 向けられていた。その背後のガラス越しに、 ひいらぎのとがった葉が揺れていただけだ。

Booby Trap No. 13



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アゲハノカンサツ

関富士子



          幼虫が六匹育った。越冬蛹から羽化した春型が           プランターの三本のグレープフルーツの木に、           五月半ばに産みつけたものたちだ。一週間前に           鳥の糞の姿から脱皮した。旺盛に葉を食べる。           頭を反らせて葉の上のほうへ伸び上がり下へ縮           んでいく。一ミリもない小さな歯形が並ぶ。繰           り返し一瞬も休むことなく、上から下へ食べ続           ける。一枚の葉は五分でなくなる。たくさんの           糞が辺りに散らばっている。柑橘のよい香りが           する。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ サンサイノアラカワキョーコチャンガア マイゴニナッテオリマスウウウ シロノブラースニピンクノスカートオオ セーラームーンノクツオハイテイマスウウウ オココロアタリノカタワアアア シキュウアゲハケイサツショマデエ ゴレンラククダサイイイイ           一匹がどうしても見つからない。いくら数えて           も五匹しかいない。上の枝は食べつくして鋭い           とげしか残っていない。背伸びして人さし指み           たいに空中を探っていたが、ほかは下枝に下り           たというのに、いつまでもありもしない葉を求           めていたのか。モスグリーンの体色や黄の縁取           りの擬眼は、葉の間ならまだしも空中では鳥に           合図を送るようなものだ。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キョーゴゴイチジゴロオ アゲハリッキョーフキンデエ ヒキニゲガアリマシタアアア クルマワグレーノジョーヨーシャデエ ソノママアゲハヤマホーメンエエ ハシリサッタモヨオオオ モクゲキサレタカタワア シキュウアゲハケイサツショエエ           せわしなく枝をはい回っているものがいる。下           枝にはまだ葉が茂っているのだが見向きもしな           い。てっぺんから根元まで行ったり来たりした           あげく、地面に降りてしまった。食草を離れる           とは大胆だ。プランターの細い縁をせっせと歩           く。腹の筋肉が波打つ。逆さまになって尾脚だ           け縁にかけ、頭で辺りを探る。小さな胸脚がさ           わさわ動く。バルコニーの手すりをはい始める。           グレープフルーツの木からできるだけ遠くに行           きたいらしい。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キュージッサイグライノオジーサンガア ホゴサレテイマスウウ ランニングシャツニチャイロノズボン ゴムゾーリオハイテイマスウウ オココロアタリノカタワア           手すりをはい回っていた一匹が、ぽたりと下の           コンクリートに落ちた。何ということだ、死ん           だか。縮かんで動かない。しかしすぐに頭を伸           ばす。辺りを探って垂直の壁に触れると登り始           める。なんともないらしいが、壁からプランタ           ーまでは一・五メートルもある。無事にたどり           着けるだろうか。そっと指先でつまんで枝に戻           そうとすると、赤く輝く二本の臭角を突き出し           た。猫のペニスのようだ。甘いオレンジジュー           スの香りが漂う。これで鳥や虫が逃げ出すとは           思えない。足はしっかり壁に張り付けて抵抗す           る。腹はひんやりと柔らかく乾いている。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キョーゴゴヨジゴロオ アゲハハシュツジョニイ フタリグミノゴウトウガオシイリイイイ ケイカンヒトリヲシャサツシイイ ヒトリニジューショーオオワセテエエエ ケンジュウオウバッテエ トーソーチューデスウウ タマワサンパツノコッテイルモヨウウウ アゲハケイサツショデワア ケイカイオヨビカケテイマスウ           今朝二匹がサナギになった。昨日から枝に取り           ついたまま動かなかった連中だ。擬眼も八本の           腹脚も消えて滑らかな薄緑に変わった。腹から           頭部にかけて、柔らかい葉を巻いたような縦の           筋があり、二つの突起がある。背中の横じまは           セミの胴体に似ている。一匹は上体に細い糸を           二本かけ、尻先を枝につけて立っているが、一           匹は帯糸が切れたのか尻だけで逆さまにぶら下           がっている。触れてみると、鞘の中でぴくぴく           悶えるものがいる。くすぐったいのだろうか。 コチラワアゲハシコーホーシャデスウウウ キョウゴゼンシチジニジューニフンゴロオ マグニチュードハチノジシンガアリマシタアアア アゲハシイッタイデエエ カオクノトーカイトダイキボナカサイガハッセイ ジューミンハタダチニヒナンシテクダサイイイ タダチニヒナンシテクダサイ

Booby Trap No. 14



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はい、キタダです

関富士子



父は出かけています 母はただいま留守です どちらさまですか? 姉はずっと入浴中です 兄はずっと睡眠中です ご伝言は? 祖母は昨年亡くなりました 祖父はおととし他界しました どちらへおかけですか? 弟は足を骨折しています 妹は肺炎です 叔父はペキンに赴任しました 叔母はペナンに赴任しました どなたですか? 大伯母は耳が聞こえません 大伯父は口が利けません ご用件を…… 姪はもらわれていきました 甥はまだ生まれません 犬はいません 猫はいません もしもし?

Booby Trap No. 15



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カナブンが雨の中を

関富士子



風が吹いて 家じゅうのドアをつぎつぎに閉めていく これは何の知らせか 空が鳴り響いて さあっと雨が降りはじめる (早く帰ってきてわたしの幽霊) 草むらに横たわる男とその息子 胸当てのすきまに雨がしみる 二人の頬のあたりに流れ寄る たくさんの花びら わたしは出かける 家の中をからっぽにして 不吉な書類を破り捨てて (わたしのあとについてきてたくさんの鼠たち) 道普請の途中でうち捨てられた崖のふち 黒牛の色と形をした土地の 背中からしっぽにかけて 長々と続く崩れかけた道 左右のへりで土くれが落ちていく 畑の病んだ葉をむしりながら 人々は言った どんな悲しみにも耐えよ あらゆる無惨を私たちにもらさず語ることこそ おまえの務めだと 稲妻に照らされて 男とその息子は 目をつぶったまま微笑んでいる 憂わしい歯の輝き 何かの密約にうなずいて 冷酷な足取りで 二人は行ってしまうのか とんがった岩山に立って わたしは足を踏み鳴らす こぶしで胸を叩く (ここから飛んで行ってわたしのカナブン) エプロンがばたばたと翻り スカーフが吹き飛ぶ からだじゅうの毛が真っ白に逆立つ あしもとで鼠たちがキイキイ鳴き騒ぐ ものすごい叫び声が 杉林の上のひどく高いところで 渦を巻く カナブンが飛ぶ 真横に一直線に 男とその息子は ゆっくりと目を開ける 蘇生のひと呼吸が始まるまで 長い時を わたしはじっと黙っている

Booby Trap No. 16



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転居のお知らせ

関富士子



(春めいてきましたね、 いかかお過ごしですか) 花うごめくころ虫さんざめくご機嫌いかが 胸ときめき恋しさめくるめくいかんせん ことさらめいてあんたのお便りいかがわしき 儀式めき深刻めき謎めきいかばかり (さて、私共はこのたび 下記の住所に転居致しました) さてもさてさて、さてはさてはて それ、いくたび泣いたかあまたたび されば、知らぬ存ぜぬびた一文出せぬ あんたの真心だびに付す間もあらばこそ さては、新居ではたびに日の丸か (くろめ川を見下ろす丘の上にあり、 とても静かなところです) しろめが丘で会ったが百年め はないちもんめの応酬きわめ きんめぎんめ剣先するめ あんたのお披露めとてもグルメね さてもお宅の表札番号ぞろめね (おついでの折には どうぞお立ち寄りくださいませ) お相手差し向かいの折も折 どんな立ち回りも御遠慮くださいますな 老いてもあんた思いで折々恨んで どうぞお見限りくださいますなお忘れくださいますな お引き取りくださいますな御勘弁くださいますな

Booby Trap No. 17



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GEROGEの胸ポケット

関富士子



わたしたちが出会ったとき あなたは緑がかったカーキ色の上着を着ていた アメ横で買ったという米軍払い下げの軍隊服 胸ポケットの折り返しの裏に マジックインキでへたくそに GEORGE と書いてあった こいつは今ごろベトナムで死んでるさ これを着て何人殺したかはわからない あなたが生まれる二年前に太平洋戦争は終わり わたしが生まれた年に朝鮮戦争が始まった 七〇年アンポのあとのキャンパスで わたしたちは恋をして ベトナム戦争が終わった年に娘が生まれた というわけ ある日わたしたちはピクニックに出かけた 幼い娘が真っ赤に熟れた木の実を あなたの上着の胸ポケットに入れた 娘を抱いて歩くうち木の実がつぶれて 上着の胸を真っ赤に染めた あなたが苦しげにうめいて 倒れなかったのが不思議なくらい いくら洗っても落ちなくて 腹を立ててロッカーの奥にしまいこんだまま ずっと忘れていたのについこのあいだ 娘が成田を発った日に ほこりだらけで出てきた 兵士GEORGEの軍隊服の 胸ポケットが鮮やかに染まっていた

Booby Trap No. 23



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記念写真

関富士子



  あなたはファインダを覗いたまま後じさる    ズボンのすそにまといつくシロを払う     くすくす笑う妻と娘と古い友人と      姪や大伯父や兄や従弟や母や       人々は明るい午後の庭で        フレームをはみだす         何の祝だったか          裏がえる光           揺れる            あ           落ちる          溝にはまる         叫びとざわめき        レンズにシロの鼻面       人々はぶれたように笑う      きらめくボタンや徽章や金歯     その面影をシャッターで切り取る    時が巻き戻る一瞬ののち身を起こすと   もうあなたの前から人々は遥かに遠ざかる

Booby Trap No. 23



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人ごみにはぐれて

関富士子



あなたを見失って さよならを言えなかった あたしのさよならが あなたのさよならを 求めて さまよう よふけ なだらかな丘にひろがる ラベンダー色の街を さざめきがいつまでもやまない よごれた裏通りから なつかしい転調のしかたでとぎれとぎれに ラジオの古ぼけた歌が聴こえる さかさまにおちていくよさらさらのすなのさばく よっぱらいのじょうよくによるべなくさらされて ないてもなぜかしらよごとなみだなんかでないさ らんぼうなからさわぎラブソングのようなららら あなたはいつかこう言ったなんでもないさ だいじょぶだよ そうかな あたしはちょっと身震いしながら 指のさ くれをなめていたのだ ひどいま い道に行きくれて 人々はみん 笑って言う さあてレモン イムのお酒でその指を洗いなさい さがしものは見つからない よにもおかしな活劇風のオールナイトシアターの幕間にも なげきのマリアの青銅の胸の谷間にも ライラックの金色な蓬髪のしげみの間にも 〈さてこのぼくだがもう何代目のぼくなのか〉の中にも さよならはもう朝のつめたい光に目をふせて せなかにうすい影をのばして だらだら坂を海に向かって下りていったかもしれない ささやき よびかけ なが ら さざなみ よせてはかえし なが ら

*〈 〉は宮野一世「股眼鏡」より



Booby Trap No. 24



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はっぱ

関富士子



  ひかる      ふるえる          ふくらむ               ほどける                            はる                                ひらく                                   ふれる                                    はねる                               ひる                                   ほたる                                ゆれる                           ささやく                      したたる                    すくう                 すう                 さぐる                さる                 すける                     ざわめく                                  さく                                    しずく                                        すぼむ                                      そまる                                         しめる                                             ながれる                                              にじむ                                          ぬぐう                                     ねじれる                                          のびる                                     ならぶ                                にぎわう             ぬれる          のむ         あびる           うかぶ                あおがえる                あおぐ                         うらがえる                               うらなう                                   うみう                                あつまる                                             あぶ                                             とぶ                                                  わらう                                                    まわる                                                    みみずく                                                 めくれる                                                      まねく                                                   むすぶ                                  もえる                                  きらめく                               かくれる                           くすぐる                                    こすれる                        かわく                             くすむ                                 かわう                                かたむく                                            このはずく                                                  かげろう                                           きこえる                                               くるむ                                                  かさなる                                                         よる                                                      たどる                                                      ちぢむ                                                       つもる                                                     ともる                           *もんだい:はっぱのかげにどうぶつなんびき?

Booby Trap No. 25



あこがれ-透文様雪景色-あなたのすぐ前を泳いでゆく、かれい-アゲハノカンサツ-はい、キタダです-カナブンが雨の中を-転居のお知らせ-GEORGEの胸ポケット-記念写真-人ごみにはぐれて-はっぱ-共寝-

共寝

関富士子



合歓の木が川に張り出して繁っているので その全身が水に映る 頬を染める刷毛のような赤い房が 流れにきりなく落ちている さねかずらが土手をおおって 日は明るく影は濃い そこは何年も前に住んでいた家の近くの川で 小さい子供たちがザリガニ釣りをしていたのだが 今は誰もいない声も聞こえない 目覚めるときに 一晩じゅう川のほとりにいたようだ せせらぎにやさしく洗われて満たされている 少し前まではちがった 男が毎晩やってきて朝までわたしを抱きしめた わたしたちは抱き合いながら 口説いたりののしったりするらしかった 言葉はわからないがさまざまな感情に揺さぶられて 眠りながら泣いたり笑ったりした 目覚めると首や背中に抱擁の疲れが残っていて 快楽のあとのように存分に腰が重かった やはりとても幸福だった 男が来なくなってから 合歓の木が現れる 一晩じゅうたえず見ている気がする ときに日がかげり水に映る影はくろずむ 雲が晴れて小さな波がいくつも輝くこともある なんと静かな合歓だろうか ただいつまでも川面に花が落ちるのである

Booby Trap No. 26



あこがれ-透文様雪景色-あなたのすぐ前を泳いでゆく、かれい-アゲハノカンサツ-はい、キタダです-カナブンが雨の中を-転居のお知らせ-GEORGEの胸ポケット-記念写真-人ごみにはぐれて-はっぱ-共寝-


関富士子



曇り空から聞こえてくる くちゅくちゅくちゅくちゅくちゅじゅくじゅくじゅく 見上げるとくらくらする 雲のすぐ下あたりに浮かんでいる 小さな黒いなにか あれは誰のたましいでもない 生きているヒバリだ 息もつかずにに鳴いている ひいひいひいひいひいちっちちっちちっちぢぢぢぢぢぢぢぢぢ (ヒバリの歌はけっこう複雑でながい小節があり、  口説かれているような気がするときもあります) 道のかたわらはハス池で 葉のあいだからウテナが何本も伸びて わずかな風にも揺れている まるで天国みたいな景色だけど (啓示かなんかにうたれたいです) ここは繁殖期の地上だ どこかに巣がある わたしの帽子と卵までの距離がヒバリにはわかる ハスの葉形にひろがった縄張りの中で わたしは警告されている なにごとかを聞き分けようと耳を澄ます 真上の空の一点でホバリングして 恩寵のような声を降らせるもの ここから出て行け と言っているようなのだが 一歩も動けない

Booby Trap No. 27


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