71 高田町、下田町、蟹ヶ谷、井田、木月、元住吉駅、武蔵小杉駅(7月15日)



写真71-4  以前、下田町近辺を歩いたときに、「高圧線の鉄塔の左側は、川崎市営井田病院ではないかと思った。確かめるために、またそちらの方まで歩いていくことになるだろう。」(写真63-24)と書いたことがある。こういうことを書いてしまうと、ずっと頭のなかでそのことが引っ掛かってしまう。そこで、律義に確かめに行くことにした。しかし、井田病院まで行って帰ってくるのはちょっとしんどい。どうせそこまで行くのなら、ほかの場所も見たい。そこで、地図を見ながら、武蔵小杉駅まで抜けるルートを考えた。武蔵小杉まで出れば、道中坂下までバスで戻ってこれる。これはなかなかよい考えだ。
写真71-7  まず、高田交差点(写真56-68〜写真56-70)まで日吉元石川線をまっすぐ歩いてみることにする。幹線道路は車で何度も通っているので、ついつい散歩コースからは外しがちだが、車の速度では見えないものが歩きでは見えることがある(かもしれない)。東山田スポーツ会館(写真15-7)の近くのファミリーレストラン(写真71-1)、東山田交差点(写真71-2)、久末に向かう道の分岐点にある洋菓子屋(写真71-3)、倉田屋の看板(写真71-4)、港北消防署高田出張所(写真71-5)、大同メタル(写真71-6)、その向かい側の作業服店(写真71-7)、大型パチンコ店(写真71-8)、小さな児童公園(写真71-9)といったものを撮った。特に気に入ったのは作業服店の看板で、こういうものは確かに車ではゆっくり見られないものである。
写真71-17  高田交差点で左(北)に曲がり、新城駅行きのバス通りを蟹ヶ谷(写真56-11)まで歩く。華屋与兵衛高田店(写真71-10)を通り過ぎて天満宮交差点(写真71-11)までは、日吉からの帰りに一度通っている(写真56-66、写真56-67)。そこから上り坂になり(写真71-12)、坂を上り切ったところはやはり一度来ている(写真71-13)。ここから下田町バス停(写真71-14、写真71-15)を通り、もう1つ坂を上って(写真71-16〜写真71-18)、蟹ヶ谷バス停付近(写真71-19、写真71-20)は日吉に行く途中に1度通っている。
写真71-29  ここで右に曲がって、川崎と横浜の市境になっている道に入る。ここからは今まで1度も歩いていない場所である。蟹ヶ谷のアパート(写真71-21)、下田町の社宅(写真71-22)、ヤマハ研修所(写真71-23)、その近辺の市境の道(写真71-24)を撮り、写真71-25からは川崎市側が蟹ヶ谷から井田に変わる。新日鉄先端技術研究所(写真71-26)、三菱自動車日吉寮(写真71-27)、日吉ハイツ(写真71-28)を通り過ぎ、左側が新日鉄の敷地でなくなった頃に、井田病院が見えてきた(写真71-29)。冒頭の写真63-24に写っていた建物は、やはりこの病院だったようである。
写真71-37  市境の道は、井田病院の前でバス通りと合流し(写真71-30、写真71-31)、病院の前を通って(写真71-32)、東端のバスターミナル(写真71-33)まではバスがすれ違える程度の太さの道になるが、そこからはまた細い道に逆戻りする(写真71-34)。そして、井田2丁目14番(写真71-35、写真71-36)で、市境の道を離れ、左の川崎市側に入る。これは、地図での計画通り。市境の道は、一貫して尾根道になっていたので、ここからは下り坂になる。前が開けたところで見ると、この坂を下りたところからは、今までの散歩では珍しい平坦な土地が広がっていることがわかる(写真71-37)。日吉(写真56-45)との間には一山ある(写真71-38)。坂を下り切ると、銭湯があり(写真71-39)、振り返ると井田病院が見えた(写真71-40)。
写真71-42  銭湯のすぐ先の大正橋(写真71-41〜写真71-43)で矢上川を渡り、井田2丁目から井田1丁目に入るとすぐ、善教寺(写真71-44、写真71-45)がある。入口の石仏(写真71-46)が印象的だった。また見かけた小さな稲荷社(写真71-47)を通り過ぎると、井田消防署前交差点(写真71-48、写真71-52)で尻手黒川道路(写真71-49、写真71-50)を渡ると、交差点の名前通りに消防署がある(写真71-51)。ここからの道はほぼ碁盤目になっている。すべての交差点が90度に曲がっていて歩いている道はまっすぐ続いていて変化がない。これは東京の下町と少し似ている。風景は違うが、道の感じと地名の付け方が似ている(道に起伏がないことも)。井田中ノ町(写真71-53)、井田杉山町、井田中学校(写真71-54)とまっすぐ北に歩き、井田三舞町(写真71-55)交差点で右に曲がった。
写真71-69  元住吉の駅にまっすぐ行きたければ、井田中ノ町交差点で右に曲がればよかったのだが、ここまで来たのは、父の母校の法政第二高校をちょっと覗いてみたかったからである。道の左側にまず法政大学のグラウンドが見え(写真71-56)、続いて法政第二高校の時計台が見えた(写真71-57)。しかし、こちらは裏口らしい。御用の方は小杉側の入口に回ってくれと書いてあった。ここから南に戻る。木月祇園町(写真71-58)などという洒落た地名のところを通り、月影学園という幼稚園(写真71-59)の前から木月町に入る。このあたりはちょっと裏通りめいている(写真71-50)。そして、駅前のブレーメン通りに入った(写真71-61〜写真71-63)。どうしてブレーメン通りなのか、よくわからない通りではある。駅のすぐ手前で再び少し北に入り、住吉神社(写真71-64〜写真71-66)を見る。なぜ、元住吉という駅名なのか、今まで気付かなかったが、それはもちろんこの住吉神社があるためだ。神社は駅のホームのすぐ横にあり、境内から駅が見える(写真71-67)。最後にもう1度ブレーメン通りまで戻って、駅の入口(写真71-68)と駅前の踏み切り(写真71-69、写真71-70)を撮る。
写真71-87  もういい加減疲れていたのだが、ここからだと私の家の近所までのバスはない。何がなんでも小杉に出るしかないので、鉄道沿いの道を歩く。再び住吉神社の横を通り(写真71-71、写真71-72)、その先の踏み切りで駅を振り返り(写真71-73、写真71-74)、関東労災病院を眺めて(写真71-75)歩いて行くと、二ヶ領用水のところで道は終ってしまった(写真71-76)。用水沿いに歩いて行くと(写真71-77)、法政通りというのがあった(写真71-78、写真71-79)。これを通れば間違いなく駅に行けるに違いない。府中街道を渡ると、聖マリアンナ医科大学の東横病院があり(写真71-80)、武蔵小杉駅前という雰囲気になってきた(写真71-81)。イトーヨーカドーの横を通り過ぎると(写真71-82)、南武線にぶつかった(写真71-83)。ガードを潜り(写真71-84、写真71-85)、南武沿線通りに出ると(写真71-86)、もう車でも通ったことのある道である。駅の正面まで出て(写真71-87〜写真71-90)、ちょうど停まっていた道中坂下行きのバスに乗って帰った。

参考地図[井田病院][元住吉][武蔵小杉]

99/12/22


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