90 北山田、センター北、中川、荏田南、川和町(5月9日)



写真90-1  前回書いたように、端っことはいえ、東京都内まで歩いていけたのは自信になった。また、あのように大きな散歩をしたいと思っていたが、なかなか出かけられるものではない。その間に、いい本を2冊買った。1冊は、神保町に出かけたときにたまたま地方・小出版流通センターの直売店、書肆アクセスで見付けた小寺篤『鶴見川・境川 流域文化考』(230クラブ新聞社)で、4つの論考が収められているのだが、そのうちの1つが「鶴見川流域の開拓─鶴見川を中心に─」というものだった。これは、鶴見川流域に杉山神社という名前の神社が多い理由を推論する論考だが、何よりもうれしいのは、現存する杉山神社の一覧表が載っているのである。これを見ると、各地の杉山神社の祭神はばらばらで、杉山明神というような神はいないらしいことがわかる。また、この本によって戸倉英太郎『杉山神社考』という本があることを知った。『杉山神社考』は、横浜市立図書館のHPによれば、市内各地の市立図書館に所蔵されているそうだが、こちらはまだ見ていない。
写真90-4  もう1冊は、文庫大の地図である。遠くまで歩くと、途中の道を覚えきれないし、せっかくの見所を見落としてしまうと、次になかなか来れないだけに痛手が大きい。そこで、地図を持たずに歩くという今までのポリシーを取り下げて、小さい地図を持ち歩くことにした。しかし、小さい地図で見開きで区全体が載っていたりするようなものでは、たとえば神社や寺なども全部書いてないので意味がない。ところが、1万分の1の縮尺で横浜、川崎が全部載っているといういいものを見付けた。『まちずmini 横浜18区川崎7区』(人文社)がそれで、少々分厚いが、今まで家で見ていた1万2千分の1の地図で漏れていた大熊町の杉山神社なども載っている。準備は整った。今度は田園都市線を反対の長津田方面に向かうことにしよう。『鶴見川・境川 流域文化考』の一覧表によると、市ヶ尾、中山、長津田を結ぶ三角形のなかには杉山神社が7社ある。1日で今までに見たのと同じ数の杉山神社を見てしまおう。
写真90-5  今から考えれば、市バスの港北ニュータウン営業所(写真62-108)までバスに乗れば、楽に回れる目的地ではあった。しかし、バスに乗らずに全部歩こうと思ったのが間違いの始まりだったのかもしれない。確かに途中にも気になるポイントはいくつかあった。連休明け、1日仕事をしてから1週間分の天気予報を見ると、一日じゅうすっきり晴れるのは9日だけだった。ちょっと急だったが、前日は早寝をして、当日はいつになく早起きをして、10時に事務所を出発した(写真90-1)。ビュープラザセンター北(写真90-2)を通って、センター北へ(写真90-3)。都筑阪急の横に新しく完成したセンター北歩道橋を通った(写真90-4、写真90-5)。本来なら、ここからさらに遊歩道が続くところだが、まだ工事中で先には行けない。
写真90-8  中山北山田線に下り(写真90-6)、スカイラーク(写真36-42)の横から慈眼寺(写真70-27)、なでしこ公園(写真70-31)の方に向かう。写真には撮り損ねたが、観覧車に乗ったとき(87回)に、東善寺の裏のあたり(写真61-22)に新しい公園ができているのが見えたので、それを見ておこうと思ったのである。地図を持っていても新しい公園は載っていないので、当てずっぽうに歩いていくと、入口が見えた(写真90-7)。八幡山公園という。名前の通り小さな丘を中心とする公園なので、上まで上らなければならない。センター北(写真90-8)もセンター南(写真90-9)も中川(写真90-10)も見えたが、頂上(写真90-11)まで上ると息が切れた。4月よりも暑いせいか、余計に疲れるような気がする。矢崎橋交差点(写真61-26〜写真61-28)が見えたので、そちらに下りる。
写真90-21  ここから山崎公園に向かう道(写真90-13、写真90-14)は歩いたことがない。といっても400mほどだが(写真90-15、写真90-16)、とにかくそれだけ歩いて、1年数ヶ月ぶりに中崎橋を渡り(写真90-17)、荏田小学校(写真90-18)から田んぼのなかの道に入る。以前、バス通りを通ったとき(写真60-35〜写真60-46)に、田んぼの向こうに見えた道である(写真90-20)。今度は逆に、田んぼの向こうに剣神社が見える(写真90-19)。まだ田植えには早い時期で、田んぼは空っぽで、近くには野の花が咲いていた(写真90-21)。
写真90-27  みずきが丘(写真90-22)から荏田高校入口交差点(写真90-23)までは歩いたことがあるが、荏田高校入口交差点から田辺交差点(写真62-106)までは歩いたことがない。しかし、私が素直に車道をまっすぐ歩くはずがなく、華蔵橋(写真90-24)の上(写真90-25、写真90-26)に上ると、そこから続いている遊歩道を見つけて歩いてしまった(写真90-27)。遊歩道には地図が置いてあるので、自分の地図を引っ張り出すまでもない。荏田南幼稚園(写真90-28)で右に曲がった。なかから「おべんとおべんとうれしいな〜」という歌が聞えた。歌が終わると「いただきます」。随分早いお弁当だなと思ったが、時計を見ると11時半で、もう1時間半も歩いている。自分も腹が減ってきたな、ちょっと疲れたな、とこのとき初めて思った。
写真90-36  幼稚園の向かい側のみのり公園(写真90-29)には誰もいなかった。南に遊歩道を歩く。荏田南小学校(写真90-30、写真90-31)、荏田南中学校(写真90-32、写真90-35)と学校が続いていて、牛が谷公園で行き止まり(写真90-33)。右か左に曲がらなければならない。市ヶ尾に行くには右の方が近いが、最近、koji-sさんから出光興産グラウンドの桜が伐られてなくなったというメールをいただいたことを思い出し、左に曲がる(写真90-34)。遊歩道とグラウンドの敷地の間には柵が立っていてわかりにくいが、半年前には確かにあった並木道が消えて、ショベルカーが右に行ったり左に行ったりしていた(写真90-36)。
写真90-38  本格的に腹が減ってきたので、田辺交差点近くのマクドナルドを目指す。鴨池公園への分岐点(写真90-37)、しいの木台ハイツ(写真90-38)までは今来た道を引き返し、出光興産グラウンドと牛が谷公園の間の道に入る(写真90-39)。牛が谷公園が見下ろせる(写真90-40)。写真62-99の道に出て、牛が谷公園の隣のさくら公園(写真90-41)の前を通り、バス通りに戻る(写真90-42)。ここから田辺交差点まではすぐ(写真90-43)。マクドナルドで昼食と水分補給。暑いときには、水分補給が必要である。
写真90-47  マクドナルドを出たときには、もう12時を回っていた。早起きして作った時間は、ここまでで使い果たしてしまった。バスに乗ればよかったかな。ここから市ヶ尾町は目と鼻の先だが、川和町に行ったとき(83回)に見落とした八幡神社と天宗寺に迷いながらも行くことにする。そこで、川和高校北側交差点(写真90-44)から西に入っていく。地図を見て初めて知ったのだが、この道は新旧の横浜上麻生線をしっかりと結んでいるのである。この連絡道に入ってすぐ、川和町と見花山の境界に気付いた。ニュータウン区域と非ニュータウン区域の境界だが(写真90-45)、それほど両側に大きな差はない。川和町側には、藤の花が咲いていた(写真90-46、写真90-47)。そのうちに以前(写真62-102、写真62-103)見付けられなかった川和高校の正門の前に出てきた。ここでシャッターを押した記憶はあるのだが、帰ってみると写っていない。反対側は市ヶ尾町の端で、バス通りになっている(写真90-48)。こちらは写っていたが、このあと数枚撮った写真は、なぜかカメラがリセットされていて、小さなサイズでしか写っておらず、ボツ。川和高校の裏側は都筑ヶ丘住宅という住宅地になっていて、おそらくニュータウンよりも前から街になっていたようだった。
写真90-50  都筑ヶ丘住宅のなかにある第3公園の裏でカメラの異常に気付き、設定をし直す(写真90-49)。細い曲がりくねった道を歩いて天宗寺に着いた(写真90-50)。予想していたよりこじんまりした鉄筋の本堂で、少々拍子抜けしたが、参道に並べられている無縁になった墓石(写真90-51)を見ると、少なくとも江戸時代から続いている寺なのだろう。歩き始めてから地蔵堂に気付き、引き返してなかを覗いてみる(写真90-52)。赤い帽子で顔全体が隠れている。
写真90-53  ここでまっすぐ八幡神社に行っていればまだ近いのだが、以前川和町を歩いたときに瑞雲寺の近くで見た大きな木をもう少しじっくり見ておきたくなる。実際、天宗寺からは300mほどなのである。そこで、つい足をのばしてしまう。木の下には果たして庚申の石像がいくつも置いてあった(写真90-53)。庚申は村の境に置かれ、外から邪鬼が来るのを防ぐとされている(ということを最近学習した)のだが、外界の邪鬼というのは、死者のことでもあるらしい。黄泉の国から逃げてきた伊邪那岐命が境界の黄泉の坂に石を置いて追ってきた伊邪那美命から身を守るエピソードが古事記にあるが、この石と庚申には関係があるようなことも学習したような記憶がある。そして、八幡神社に向かって歩き始めると、木の向こう側に墓地があるのを見て驚いた。初めて見たときにぎょっとしたのも無理はない。
写真90-61  庚申塚からの道は畑のなかを通っていた(写真90-54)。野菜の販売ボックスがある(写真90-55)。川和小学校前交差点(写真90-56)で旧道の方の横浜上麻生線に出た。ここから200mほど横浜上麻生線を歩くと、道から少し外れたところに八幡神社入口の鳥居があった(写真90-57)。本殿にたどり着く前に参道を横切る車道が1本あり、その向こう側にもう1つ鳥居があった(写真90-58)。ここから本殿(写真90-59)まではすぐである。末社がいくつもあったが、それらがみな石造のモニュメントになっているのが珍しかった(写真90-60、写真90-61)。八幡神社に行くために横浜上麻生線から外れたついでに、くねくね曲がる裏道を歩いていくと、川和高校北側交差点(写真90-44)からの道に出た(写真90-62、写真90-63)。次に出てきた道の横には、小さな川が流れていた。すぐ近くの鶴見川に流れ込むのだろう。そろそろ川和町と市ヶ尾町の境界である(続く)。

参考地図[八幡山公園(東善寺の北のぽっかり空いたところ)][牛が谷公園][川和八幡]

00/5/18


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