84 東山田、久末、子母口、千年、新作、末長(4月4日) |
写真84-7 4月に入り、桜がちらほらと咲き始めると、また散歩の虫が騒ぎ出した。どうせなら、遠くまで行ってみたい。田園都市線の駅は、梶ヶ谷から江田まですべて行った。それなら、梶ヶ谷の次の溝口に行ってみよう。溝口で元気があったら、二子玉川園くらいまで行ってみようと思った。裏のバス通りから出発(写真84-1)。観音寺の桜を見て(写真84-2、写真84-3)、第三京浜横の有馬川に架かった橋を渡って(写真84-4)川崎市内に入り、久末交差点で写真42-83、写真68-3の方向に入る(写真84-5)。梅林(写真84-6)の横までは、写真68-1から写真68-5までの道筋と同じである。妙法寺は、約1年前に門前の桜を撮った(写真25-12)が、そのときにはなかに入らなかった。今回はなかに入ってみる(写真84-7)。元禄時代、直訴によって引き上げられた年貢の引き下げに成功し、ために死ななければならなかった農民を供養するための久末義民地蔵(写真84-8)を見られたのが収穫だった。 写真84-16 県営久末アパートまでは、写真25-10から写真25-13までのルートを歩いた。県営久末アパートの敷地内は初めて歩く(写真84-9〜写真84-11)。端まで歩くと、横浜と川崎の市境の道に出る。この市境の道から先は写真42-53〜写真42-64のルートを逆に歩く(写真84-12〜写真84-14)。久末谷中バス停の近くには、桃(たぶん)の花が咲いていた(写真84-15)。久末谷中の交差点で左に曲がれば五反田橋(写真42-41)に出るが、橘樹神社に行きたかったので、曲がらずにまっすぐ行く。すぐに矢上川にぶつかり、上鷹巣橋(写真84-16)を渡ると、子母口に入る。子母口子供文化センター(写真84-17。子母口老人いこいの家を兼ねる)という建物の前を通ったが、以前、梶ヶ谷でも梶ヶ谷子供文化センター(写真68-34)という建物を見かけたことがある。横浜市の地区センター(写真21-11、写真51-50、写真52-34、写真73-39)と同じような機能を果たしているのだろうか。 写真84-25 歩いていった道は、綱島からの新城行きバスが通る県道106号線にぶつかり(写真84-18、写真84-19)、そこで終点。綱島からの道も、尻手黒川道路にぶつかって(写真84-20、写真84-21)そこで終点(のようなもの。進入禁止なので車では通れないが、子母口交差点で市民プラザ通りまで道自体はある。30年前によくここを車で通ったが、その頃は一方通行の規制はなかったと記憶している)。ここから野川交差点(写真42-31)に向かって尻手黒川道路を少し歩く(写真84-22)。蓮乗院はこちらという看板が出ていたので、当面の目的地である橘樹神社ではないが、覗いてみる気になり、北側にのびる側道に入る。蓮乗院(写真84-23、写真84-24)は川崎大師と同じ宗派だという宣伝文句で墓地を分譲していたが、その左の方に鳥居が見えた。そこが橘樹神社だった(写真84-25)。かつての郡名が付いているわりには小さな神社だったが、橘樹という地名が弟橘姫に由来していることがわかった。 写真84-35 蓮乗院から橘樹神社に向かっていた道は、橘樹神社の先の方までのびていたので、少し歩いてみたが、県営たちばなホームズというアパート(写真84-26)で行き止まりになっていたので、引き返し(写真84-27)、尻手黒川道路に戻った(写真84-28)。目の前に円融寺(写真84-29)という日蓮宗の寺が見えたが、尻手黒川道路の向こう側なので素通りする。円融寺の先には、円融寺前という交差点があった(写真84-30)。さらに少し歩いて五反田橋交差点(写真84-31)に出る。ここで右に曲がって、能満寺交差点(写真84-32、写真84-33)で中原街道にぶつかる。ここは、写真65-7〜写真65-11でも通ったところである。ここから中原街道を東京方面に歩く。以前、車でここを通ったときに、まるで峠のような道だなと思ったことがある。影向寺バス停(写真84-34、写真84-35)を頂点として両方から上ってくるのだが、歩いてみるとそれほど急な坂ではなかった。下り(写真84-36、写真84-37)もそれほど急ではなく、千年交差点(写真84-38〜写真84-40)でその下り坂も終わる。ここで交差しているのは、市民プラザ通りで、新作から梶ヶ谷までは以前歩いたことがある(写真65-34〜写真65-48)。 写真84-41 この千年交差点から市民プラザ通りに入る。駐車場の奥に桜が咲いている風景を珍しく思ったところ(写真84-41)、その横に千年神社があった(写真84-42〜写真84-45)。千年神社の入口には、写真には写っていないが、「祝二千年」という看板が立っており、キリスト教の2000年なんか関係ないじゃないかと思ったが、“千年”という地名から、「二千年」が他人ごとのようには思えなかったのだろう。きわめて日本的な話ではある。千年神社を出て、市民プラザ通りに戻る(写真84-46、写真84-47)。橘小学校交差点(写真84-48、写真84-49)を通り過ぎると、第三京浜が見えてくる(写真84-50)。ここには、区役所の出張所もある(写真84-51)。 写真84-52 橘交差点(写真84-52、写真84-53)で梶ヶ谷駅に向かう市民プラザ通りと溝の口駅に向かう県道14号線が分かれる。これら2本の道の間には、新作、末長の丘陵地が広がっている(写真65-36参照)。橘交差点の近くには、通称イロハ坂(写真65-31、写真65-33)の入口もある(写真84-54)。入口と出口はそれぞれ一方通行になっていて、第三京浜のこちら側とあちら側に離れている。ここから先の市民プラザ通りは1度通っているし、何よりもまず、今日の目的地は溝口なので、県道14号線に入る。交差点からの県道14号線に沿って橘中学校がある(写真84-55)。その向かい側には、郵便局がある(写真84-56)。橘中前交差点(写真84-57)を通り過ぎると、第三京浜のガード下(写真84-58)で、ここから千年を離れ、新作に入る。 写真84-66 第三京浜のガード下からは、私にとっては車でも通ったことがない道なので、興味がある。最初の交差点は、その名もずばり新作というところだった(写真84-59、写真84-60)。ここで左に曲がると、すぐに上り坂で、坂の上の方には市営新作団地が見える(写真84-61)。団地の入口は階段になっていた(写真84-62)。階段の下に掲げられていた地図によると、迂回すれば階段を通らなくても済むようだったが、階段を上がれば新作八幡神社への近道になる。そこで、階段を上り、左を見ると、道の奥に鳥居が立っているのが見えた(写真84-63)。境内に入ってみると、本殿(写真84-64)は団地とはあさっての方に向いており、本来の参道は、何やらすごい山道だった(写真84-65)。この参道を歩いたら戻ってくるのが大変そうだったので、行っていない。それよりも、新作八幡は坂と階段を上ってきただけあって、高いところにあり、見晴らしがよかった。第三京浜の高架も、眼下に見えた(写真84-66)。 写真84-74 再び団地のなかの道を通り(写真84-67)、階段を下りて(写真84-68、写真84-69)、新作交差点に戻った(写真84-70)。新作は東西に長く、南北には狭い街なので、新作交差点を過ぎてしばらく歩くともう終わり(写真84-71)で、末長に入る(写真84-72)。次の信号のある交差点は末長交番前(写真84-73)である。ここから東に向かう側道に入ると、富士通ゼネラルの本社工場がある(写真84-74、写真84-75)。あとで地図を見ると、もう少し我慢して奥まで歩いていけば正門前に出られたようだが、裏門だけ見て帰ってしまった(写真84-76)。県道14号線に戻ってさらに溝口の方に向かって歩いていくと、南武朝鮮初級学校(写真84-77)がある。末長もこのあたりで終わりで、次は久本という町になる(続く)。 (参考地図、[子母口]、[千年]、[新作]、[末長]) 00/4/24 |
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