 写真49-13 新吉田つりぼりセンター | 中〆の回(28回)のときに、普段使っている地図の私の家の近所が描かれている「港北ニュータウン」のページは網羅したと書いたが、実際には、ちょっと漏れがある。もちろん、面全体を覆うことはできないし、すべての道を歩いたわけではないのだが、ここで言う漏れというのはもう少し大きなもので、右下隅(南東)の新吉田町のなかにまだ行っていない寺が2つも含まれているのである。いつか行こうと思っていたのだが、ニュータウンの第2地区のなかのあちこちに出かけることに夢中になっていたので、延び延びになっていた。しかし、前回、遠いと思っていた鷺沼駅(写真48-39)についに行ったので、今度は反対方向の綱島駅に行ってみたくなった。綱島に行くなら、まだ行っていないこれら2つの寺にも寄ることができる。
のちめ不動交差点(写真49-1)からその近くの百石橋交差点(写真49-3)を通って新北川橋(写真49-4)に出る道に入り(写真49-2)、27回の新吉田町行きのときと同じように新北川橋から新吉田町に入る(写真49-5)。27回のときには、工場街に入ってすぐ、農業地域に入る階段(写真27-5)を上っていったが、今度は工場地帯を新吉田第2小学校(写真49-10〜写真49-12)まで歩く(写真49-6〜写真49-9)。ここで右に曲がり、地図に書いてあった新吉田つりぼりセンターというものを見ようとしたが、つりぼりセンターは廃業していた(写真49-13、写真49-14)。
 写真49-27 円応寺山門 | つりぼりセンターの先で左に曲がり、変形十字路で真ん中の上り階段(写真49-15〜写真49-17)を選んだところまでは予習通りだった。しかし、予習したときには、この道が階段になっているとは思っていなかったので、ちょっと戸惑ってしまい、あとは予習内容を忘れてしまっていた。階段を上ってからの道(写真49-18)をまっすぐ歩いて丘の下に出ると(写真49-19、写真49-20)、先に行くはずだった円応寺ではなく、浄泉寺の近くに来ていた。浄泉寺名で何やら標語が書かれているところがあったのである。しかし、その浄泉寺がどこにあるのかもわからない。ちょっと道に迷った(写真49-21)が、標語が書かれている場所の近くの細い道を入っていったら、思いがけず山門を通らずに浄泉寺の本堂の前に出ていた(写真49-22)。割と小さな寺である。本堂から入口(山門らしきものはなかった)に逆に出て(写真49-23)、しばらくすると十字路があった(写真49-24)。円応寺が浄泉寺よりも西にあることは覚えていたので、ここで右に曲がると、畑のなかにお堂があるのが見えた(写真49-24)。これが円応寺かと思ったが、入口が見付からない。よく見ると、普通の家の敷地内に建っているのだ。これではないようだ。さらに先まで歩いていくと(写真49-25)、蓮池があって(写真49-28)、その横に間違いなく円応寺と書かれた入口があった(写真49-27)。ここまでに通った工場地帯や農業地域とは異なり、山と森に囲まれている寺だった(写真49-29、写真49-30)。新吉田町には色々な風景があって面白い。
 写真49-50 青山学院グラウンド横の早渕川 | 同じ道を途中まで引き返し、そこから早渕川を目指して東に歩いた(写真49-31)。そして、日本無線の大きな工場(写真49-32)を過ぎたところで早渕川岸に出た(写真49-33〜写真49-35)。早渕川は、新北川橋から日吉元石川線に沿って流れており、高田交差点から先は綱島駅に向かうバス通りに沿って流れている。だから、早渕川に沿って歩いていれば、黙っていても綱島駅に着くのである。道順としては単純だが、ここは車では通れない道であって、もちろん歩くのも初めてだから、楽しく歩けた(写真49-36〜写真49-57)。バスの車窓でも目立つ新吉田町のマンション群(写真49-38、写真49-46)も間近で見ることができたし、峰大橋(写真49-40、写真49-42からバス通りをちょっと覗いてみたりもした(写真49-43〜写真49-45)。吉田橋では、新羽方面に行くバスも撮れたし(写真49-47)、新川橋から三歩野橋(写真49-53〜写真49-56)にかけての広大なスペースを占有している青山学院のグラウンド(写真49-48〜写真49-51)には、馬術部の馬がいるのを見て驚いたりもした(写真49-49)。そして、早渕川が鶴見川に合流するところ(写真49-57)を初めて見た。恥ずかしながら、東山田に引っ越してきてからしばらくたっても、私は鶴見川と早渕川をごっちゃにしていたのである。
 写真49-71 綱島駅前の交差点 | 鶴見川の横まで出ると(写真49-58〜写真49-66)、最初はかなり遠く感じられるものの、東横線も見えるし(写真49-59、写真49-66)、イトーヨーカドーも見える(写真49-64)ので、すっかり綱島に来たという感じである。そして、東横線の橋の手前で街に入っていった(写真49-67〜写真49-79)。実は、綱島は父が育った街であり、結婚するまでは私の本籍も綱島だった。今も伯母と従姉妹が住んでおり、私も子供の頃から何度か来たことがある。私が記憶している限りでは、70年代の途中までは、綱島は“おはなれ”の街だった。駅前のバス通りには、綱島温泉と書かれた大きなアーチがかかっていて、そこから左に曲がって伯母の家に向かうと、塀でしっかりと囲まれた平屋か2階建ての木造家屋が並んでおり、入口にたとえば「水月 おはなれ」というような表札がかかっていた。子供だったので“おはなれ”がどういう意味かわからず、あの“おはなれ”に行ってみたいと言っては親を困惑させていた。もちろん、“おはなれ”は子供が入っていくような場所ではなかったのである。それらの“おはなれ”は、70年代のいつの頃かどんどん潰れてマンションや店になっていった。イトーヨーカドー(写真49-64)なども、その“おはなれ”の跡地に建ったものである。今は道の狭さは昔のままだが、すっかり住宅地、商業地になってしまった。
 写真49-76 綱島ラジウム温泉 | しかし、当時の雰囲気を思い出させる建物が1つだけ残っていたのには驚いた。その建物は、横浜市職員の共済組合の保養所であり、“おはなれ”とごっちゃにしてはいけないのだが、昔はたしかにこのような雰囲気の建物がこのあたりを埋め尽くしていたのである(写真49-68)。ここからはよく知った道を駅まで歩いた。中学生のときに半年だけ伯母の家に仮住まいしていたことがあったので、イトーヨーカドー前の商店街から綱島駅までの道(写真49-70〜写真49-74)も毎日往復していたのだが、ほかの道はあまり知らない。昔より明るくなったような感じがするが、その頃愛用していた中華料理店がなくなったり、駅前の本屋がなくなったりして、風景は変わっている。ガード下の改札口の前を通り過ぎて(写真49-75)東口に出ると、思いがけず綱島ラジウム温泉が残っていた(写真49-76)。要するに、これが“おはなれ”の街の源だったわけである。文字の具合といい温泉マークといい、昔のままの姿で残っているのだろう。実際のところ、東山田に住むようになってから、都内に出るために綱島駅は何度か利用しているのだが、いつもいつもバス停を下りてからまっすぐに改札口に向かっていたので、この綱島温泉が見えるところには来たことがなかったのである。ほんの少し足を延ばしただけで、懐かしいものが見られてうれしかった。
(参考地図[円応寺]、[峰大橋]、[綱島駅])
99/6/16 |