28 中〆 |
私が使っている地図の「港北ニュータウン」のページに含まれている場所には、前回の新吉田町行きでほぼすべて出かけたことになる。以前誤ってこのページに含まれているのは幅2km、高さ1.4kmと書いたが、正しくは幅4km、高さ2.8kmである(今、誤って書いた方も訂正した)。2時間程度で歩ける距離には一通り行ったと言ってよいだろう。港北ニュータウンに限って言えば、第1地区に含まれている場所には、このページの範囲を越えるところ(中川、牛久保、センター北)も含めて、一通り出かけた。ここで宴会で言うところの中〆をしておいてもよいだろう。ここで帰りたい人は帰る、しかしまだ飲みたい人は朝まででもとことん飲みましょうというわけである。 今回は特別な回なので、実際に散歩して出かけたわけではないあるものについての話をする。出かけたわけではないが、今まで散歩に出かけたあちこちの場所で見かけたものである。それは、センター北駅からも見えたし(写真14-4)、国際水泳競技場からも見えた(写真16-11)。国際競技場から見えるくらいだから、もちろん山田富士からも見える(写真21-3)。既出の写真でそのほかにそれが写っているものとしては、写真20-20(研究所近くの市境の道)、写真22-12(南野川小学校の横)、写真23-7(大棚の丘)、写真24-60(牛久保交差点)などがある。実際、それは私の家の2階のベランダからも見えるのである(写真28-1)。
1984年とは随分早いなと思った。私が引っ越してきたのは1992年だが、その頃は空地だらけだった。今度は住宅都市整備公団のHPを見た。まちづくり年表というページがあって、1965年の計画スタート(三里塚と同時期!)からの歴史が書かれているのだが、1983年3月に第2地区第1時供用開始、1984年3月に第2地区第1回宅地分譲となっている(1984年3月の環境事業局都筑工場竣工は書かれていない)。ゴミ焼却場は家が建つ前に完成しているのである。なんだそうだったのか。それを知って、住宅都市整備公団のHPのあちこちに書かれている「まちづくり」の理念の美しい言葉が白々しく思えてきた。何が書かれていても、でも、「まち」より先にゴミ焼却場を作ったんでしょ、と思ってしまうのである。ちなみにこの年表には、1984年11月の項目として、都筑ふれあいの丘オープンというものがある。これはゴミ焼却場の余熱を利用した温水プール、老人福祉施設である(温水プールは私も利用したことがある)。 その後、厚生省の調査結果が載っているHPを教えてもらった(ごみ焼却施設排ガス中のダイオキシン類濃度について)。都筑をはじめとする横浜の各工場は、他地域と比べてダイオキシン濃度がかなり低い方だということがわかって、少し安心した。
99/4/26 |