101 綱島東、樽町(7月11日)



写真101-3  南日吉交差点(写真100-78)から、綱島街道を南に歩く。200mほどで北綱島交差点(写真101-1)に出るが、ここから綱島に入る。ここで目に付くのは松下通信工業の工場である(写真101-2、写真101-3)。私が子供の頃(30年ほど前)には「ナショナル」というカタカナの看板が建っていたように思うが、今は「松下通信」と「Panasonic」である。端(写真101-1)から端(写真101-4)まで300mほどもある。ここで東横線沿いの道に入ると、計測機器のリーダー電子という会社がある(写真101-5)。再び綱島街道の方に戻ると、長福寺交差点に出る。東横線の踏み切りの方から綱島街道に出ようとすると、停止線のあたりでは綱島街道は見えず(写真101-6)、綱島街道は停止線のところから左に曲がったところにある(写真101-7)。この交差点(写真101-8)から先の綱島街道の東側の緑は、綱島諏訪神社の杜だが、諏訪神社に行く前に信号の名前になっている長福寺に行ってみる。
写真101-12  綱島街道から少し踏み切りの方に戻り、道祖神の立っている辻(写真101-9)から細い道に入っていくと、長福寺の入口がある(写真101-10)。ここにあるのは本当に入口だけで、寺自体は、東横線を渡る歩道橋の向こう側にある。この歩道橋(写真101-17、写真101-18)は写真52-12、写真52-13を撮った歩道橋よりも少し日吉寄りで、鐘楼などはここから見ないとよくわからない。歩道橋の終点まで来ると、門があってその脇からなかに入れる(写真101-12)。入ってすぐ正面に本堂(写真101-13)、左手に太子堂(写真101-14)と親鸞、蓮如像(写真101-15)がある。ここからもわかるように、この寺は真宗で、武田信玄の家来の武士が出家して建てたものらしい。本堂の右側には、幼稚園がある(写真101-16)。再び歩道橋を渡って戻ってくると、長福寺会館というものがあった(写真101-19)。東横線のこちら側もあちら側も長福寺なのである。
写真101-23  長福寺交差点から綱島街道を100mほど南に歩くと、写真101-8からも見えた杜のなかに入っていく坂道がある(写真101-20、写真101-21)。坂道を上り切ると、反対側に階段があって(写真101-22)、またも裏口から神社に入ってしまったことを知る。この坂の上から後ろを振り返ると、諏訪神社の本殿がある(写真101-23)。この諏訪神社も、長福寺を建てた武士と関わりがあるらしい。諏訪神社への信仰は武田信玄に倣ったものである。本殿の左側には、稲荷などの末社がある(写真101-24)。それにしても、本殿の手前の石柱(写真101-25)には、諏訪神社ならではの意味があるのだろうか。
写真101-29  写真101-22の階段を下りて、正面入口を見てみることにする。階段の途中(写真101-26)にも、小さな石の祠があった(写真101-27)。鳥居(写真101-28)の隣には力石(写真101-29)が2個飾ってあった。北綱島と南綱島に対応するものらしい。今は東横線の東が綱島東、西が綱島西になっているが、もともとは北綱島町、南綱島町というように南北に分かれていた。力石の右には道祖神と刻まれた石が立っており(写真101-30、写真101-32)、その右にさらに庚申塔が立っていた(写真101-31)。道祖神も庚申塔も本来は同じものなので、念の入ったことである。
写真101-37  庚申塔を通り過ぎてそのまま歩くと、とても細い路地だが(写真101-33)、突き当たりで左に曲がると再び長福寺交差点(写真101-8)に戻ってきた。諏訪神社の杜(写真101-34)とは反対側にもう1つ杜があって(写真101-35)、余り掃除されていない急な階段が1つある(写真101-36)。こちらは神明社の杜だが、階段を上ってみると建物はなく、大きな石の柱が1本立っているだけだった(写真101-37)。もっとも、足場の石は、昔小さな祠の礎石だったと言われても納得できるようなものである。杜からは写真52-12、写真52-13を撮った歩道橋(写真101-38)やマルエツ(写真101-39)、綱島駅東口の路地(写真101-41)などが見えたが、写真ではわかり辛い。綱島温泉とか横浜貿易新報社といった文字が見える比較的新しい石碑があったが、何なのだかよくわからない(写真101-40)。階段の上にある鳥居の向こうに諏訪神社の杜が見えることを確かめて(写真101-42)、階段を下りる(写真101-43)。上ってしまったのを後悔するような階段だったが、下を見ないようにしてなんとか下りた。写真101-35と向かい合う位置から見ると、神明社と諏訪神社の杜が道の左右に見える(写真101-44)。
写真101-46  神明社を通り過ぎると、綱島温泉の建物があって(写真101-46)、綱島の街に入ったという感じがする。この近所で見た医院(写真101-45)、旅館(写真101-47)は、昔の綱島の街の雰囲気を留めている。綱島温泉の交差点(写真101-46)で綱島街道を離れて、東側に入ってみる(写真101-49)。この道は200mほど先で左右二股に分かれていたが(写真101-48)、ここで右を見ると、鶴見川の堤が見えたので(写真101-50)、そちらに向かって歩いていく(写真101-51)。道の右側はゴルフ場、左側は下水道局の南綱島ポンプ場(写真101-52、写真101-53)になっている。堤に上がって振り返ると、諏訪神社の杜が見えた(写真101-54)。東横線の西に回れば、同じような位置に綱島公園の緑があるわけで(写真52-7)、綱島は鶴見川と小さな丘に囲まれた天然の城のような地形である。
写真101-60  鶴見川の堤は、49回にも歩いたが、そのときは東横線の西側だった。今度は東横線の東側である。東側からは東海道新幹線がよく見える(写真101-55)。もちろん、東横線も見える(写真101-56)。対岸の樽町の方にはラブホテルが見えた(写真101-57)。堤から下りて、ゴルフセンターの横を歩く(写真101-58)と、綱島交差点(写真101-59〜写真101-62)に出てきた。これは、高田交差点(写真56-68)に向かうバス通りと綱島街道(写真101-46)が交差する場所で、北側を見ると綱島温泉の建物が見える(写真101-61)。しかし、もうこれ以上綱島の街を歩くのはやめて、大綱橋(写真101-64)に向った(写真101-63)。橋は車道と人道に分かれていて、人道は自転車がたくさん通っていたので、私はたぶん邪魔だったことだろう(写真101-65、写真101-66)。
写真101-73  橋を渡り切ると大綱橋交差点(写真101-67、写真101-68)があり、樽町に入る(写真101-69)。綱島街道から分かれて東横線の近くに入っていく側道もあるが(写真101-70、写真101-71)、樽町交差点(写真101-72、写真101-73)までは綱島街道を歩く。この樽町交差点からの県道140号線は、川崎、鶴見への抜け道で、車では何度も通ったことがある。本当は、こちらの方に行けば樽町の杉山神社や駒岡の神明社があるのだが、そろそろ疲れてきたので、あまり遠回りをせずに新羽に向かうことにして、路地を抜けて先ほどの側道に出た(写真101-74)。東横線の向こう側(写真101-75)は大曽根である(続く)。

参考地図

00/7/31


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