August 0282016

 香水に思い出す人なくもなし

                           清水哲男

俳満了まであと6日。今日が最後の火曜日です。読者であった10年と、書き手となった10年の思い出が錯綜します。パソコンにはショートカットキーなるものがあります。ことによく使われているのがundo(アンドゥ)と呼ばれる復活のコマンドです。左隅のCtrlキー(macだとコマンドキー)を押しながらZを押すと、ひとつ前の動作に戻ります。これを覚えておくと、うっかり消してしまった画面や、誤った選択をしたとき元に戻ることができるのです。人生にはたびたびこの復活のコマンドが使えたらどんなによいかと思う瞬間が訪れます。掲句で思い出される人とは、遠い過去の知り合いでしょう。香りの記憶はさまざまな思い出を引き連れて、やや強引に迫ってきます。下5の言い回しは作者特有の恥じらいと、すべて思い出すことへのためらいを感じさせます。作者はふっと横切る香りのなかで、復活のコマンドを使うことなく、おそらく固有名詞さえ思い出すことを封じて「なくもなし」と完結します。清水さんの俳句作品には〈四股踏んで雀の学校二学期へ〉〈だるまさんがころんだ春もやってきた〉のような相好が崩れる愛らしいものと、掲句や〈釣忍指輪はずして女住む〉〈糸の月人に生まれて糸切り歯〉のような臈長けた色香が混在することも特徴です。ときに甘やかに、ときにクールに、絶妙な匙加減で読者を楽しませてくれるのです。『打つや太鼓』(2003)所収。(土肥あき子)




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