July 0672016

 薫風や本を売りたる銭(ぜに)のかさ

                           内田百閒

かさ」は「嵩」で分量という意味である。前書に「辞職先生ニ与フ」とある。誰か知り合いの先生が教職を辞職した。いつの間にか溜まり、今や用済みになった蔵書を古本屋にまとめて売ったということか。いや、その「辞職先生」とは百閒先生ご自身のことであろう。私はそう解釈したい。そのほうが百閒先生の句としての味わいが深まり、ユーモラスでさえある。これだけ売ったのだから、何がしかまとまったカネになると皮算用していたにもかかわらず、「これっぽっちか」とがっかりしている様子もうかがわれる。「銭のかさ」とはアテがはずれてしまった「かさ」であろう。だいいち「カネ」ではなく「銭」だから、たかが知れている。先生もそれほど大きな期待は、初めからしていなかったのであろう。そこまで読ませてくれる句である。それにしても、どこか皮肉っぽく恨めしい薫風ではある。本の重さよりも薫風のほうが、ずっと今はありがたく感じられるのである。私も手狭になると、たまった本を処分することがあるが、その「銭のかさ」は知れたものである。近頃は古書を買うにしても、概して値段は安くなった。百閒には傑作句が多いけれど、「物干しの猿股遠し雲の峰」という夏の句を、ここでは引いておこう。『百鬼園俳句帖』(2004)所収。(八木忠栄)




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