June 0262016

 とほくに象死んで熟れゆく夜のバナナ

                           岡田一実

の少年雑誌に象牙の谷の話があった。象は自分の死に時を悟ると自ら身を隠し象の墓へ向かう。密林の奥深くあるその場所は象牙の宝庫だという話。本当に象がそんな死に方をするかはわからないが揚句の象はそんな野生の象だろうか。バナナと象は時間的、空間的、離れていて因果関係もない。しかし両者が「で」という助詞で接続されると大きな象の死とバナナの房が黄色く熟れてゆくことに関係があるように思えてしまう。死んだ象とバナナに夜はしんしんと更けてゆく。密接すぎても陳腐だし離れすぎても理解しがたい。そして何よりも句を生み出す根底に切実さがないと言葉は働いてくれない。そんなことを考えさせられる一句だ。そういえば井之頭公園の象のはな子も死んでしまった。空っぽの象舎を見るたび最後に横たわっていた姿を思い出しそうだ。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)




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