April 0342016

 バケツなれば凹みもありし四月馬鹿

                           辻 征夫

つて、バケツはブリキ製でした。教室の隅に汚れたぞうきんとともに置かれていて、一応、掃除の時はぞうきんを絞ったり汚水を運んだりしていましたが、その存在は誰にも顧みられずにひっそりと佇むばかりです。時に、やんちゃ坊主はそれを叩いたり蹴飛ばしたので、学年度末のバケツは凹んだり歪んだりしていました。教室内の備品のヒエラルキーを考えてみても、教卓や黒板、チョーク入れ、定規などは生徒からみて正面に据えられた上部構造に位置するのに対して、掃除道具一式は下部構造といってよく、ブリキのバケツに関しては、小中高の12年間にわたって使用していたにもかかわらず、それを大切に扱いましょうという気持ちをもったことはありません。むしろ、教室内の備品の中でも、バケツはぞうきんと並んで最も蔑まれた存在でした。では、バケツ全般が軽蔑の対象になるのかというとそれは違います。かつて、北海道の冬の教室は、石炭ストーブで暖をとっていましたが、その煙突の下には、真っ赤なペンキを塗られた防火用バケツが水をたっぷりと溜めていて、ある種、厳かな存在感を発揮していました。悪ガキどもも、これを蹴飛ばしてはバチが当たると本能的に察知していました。一方で、ブリキのバケツは相変わらず日々の汚れを受け入れて、色も匂いもドブネズミみたいです。もし、辻さんが自嘲の句として、自分を四月馬鹿のバケツだと思っていたのなら、ブルーハーツのリンダリンダリンダみたいにその心は美しい。『貨物船句集』(2001)所収。(小笠原高志)




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