March 1532016

 網膜に飼ふ鈍色の蝶一頭

                           杉山久子

に焼きつけるとは、見たものを強く記憶にとどめて忘れないようにすることの慣用句だが、実際に日の下でひとつのものをじっと見ると、目を閉じても浮かびあがる。光りの刺激を受けた視覚は、その光りが消えたのちも網膜が持っている残像効果によって視界に残る。掲句が抒情を超えた現実感を伴うのは、誰しもこのような状態を感覚としてよみがえらせることが可能だからだろう。そして、それでもなお詩情を失わないのは、あの軽やかではかない蝶が、大型動物と同じ一頭二頭と数える事実にもある。それによって蝶は突如として巨大で堅牢な存在となり、作者の眼裏にしばらく消えない刻印を残していったのだ。〈ゆふぐれはやし土筆ほきほき折り溜めて〉〈ぶらんこの立ち漕ぎ明日の見ゆるまで〉『泉』(2015)所収。(土肥あき子)




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