March 0232016

 をさな児の泪のあとや春日暮る

                           那珂太郎

児が親に叱られたか、友だちと喧嘩したかして泣いたあと、しばしして泪が乾いてきた時の「泪のあと」であろう。よくそういう場に出くわしたことがある。当人はまだ辛いだろうけれど、他者から見れば、それは微笑ましくも可愛いものである。ようやく長くなってきた春の一日がもう暮れようとしているのに、「泪のあと」が夕日にテカテカ光っているのかもしれない。そんな光景。太郎は晩年十年余り、眞鍋呉夫や三好豊一郎、司修らとさかんに俳句の席にのぞんでいた。呉夫らとよく歌仙を巻いた沼津の大中寺には、「万緑の緑とりどりに緑なる」の句碑が建っている。太郎らしく韻を連ねている句である。掲出句は1941年(19歳。東京帝大入学)の作。歿後に刊行された『那珂太郎はかた随筆集』(2015)に、「句抄」として1941年に詠まれた56句が収められている。他に「猫の目の硝子にうつる夜寒かな」がある。(八木忠栄)




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