January 2312016

 木の葉とは落ちてもじつとしてをらず

                           大久保白村

時記の「木の葉」の項を見ると「木を離れて了ふと単に木の葉としての存在となる。それと同時に散り残つた乏しい木の葉も亦木の葉といふ感じが強くなる」(虚子編 新歳時記)とある。生い茂っている時には幹と枝と共に一樹をなしている葉は、散った瞬間に生物としては終わりを迎えるが木の葉としての存在感を得る、ということか。そう思うと、木の葉、という言葉には、落葉や枯葉には無い永遠性が感じられる。掲出句の作者は、かつて樹としてざわめいていた葉が木の葉となってもなお風に遊ぶさまを見つめている。本質を観ながらやさしい視線だ。他に〈老いてなほ花子と呼ばれ象の冬〉〈日向ぼこしてゐるうちに老けにけり〉など。『続・中道俳句』(2014)所収。(今井肖子)




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