January 0612016

 はつ夢や誰(た)が見しも皆根無し草

                           三遊亭圓朝

夢のような噺「怪談牡丹灯籠」「怪談乳房榎」や「心眼」を始めとする、因果応報の傑作落語をたくさん作った“落語中興の祖”圓朝。名作は古びることなく今日でもさかんに上演されているけれど、彼はいったいどんな初夢を見ていたのだろうかーー。「根無し草」とはうまい指摘ではないか。例外もあろうけれど、夢はおよそ根無し草かもしれない。圓朝の言葉でそう言われると、うーん、説得力がある。「初夢」という言葉は『山家集』(鎌倉時代)に初めて登場するらしい。その時代は立春が新年の始まりとされ、節分から立春にかけての頃に見る夢のことを言ったらしい。今日では元日の夜から二日にかけてみ見た夢を「初夢」と言っている。諸兄姉はどんな初夢をご覧じたか? 七福神の宝船の絵に「なかきよのとおのねふりのみなめさめなみのりふねのおとのよきかな」(長き夜の遠の眠りのみな目覚め波乗り船の音の良きかな)という回文の歌を書いて、枕の下に置いて寝ると良い夢が見られる、と言う習慣は江戸時代に確立された。たとえ「根無し草」であっても、良い夢を見たいのが人情。一富士二鷹……。圓朝の新年の句には「をしげなくこぼしてはいる初湯かな」がある。永井啓夫『三遊亭圓朝』(1962)所収。(八木忠栄)




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