December 07122015

 俺たちと言ふ孫らきて婆抜きす

                           矢島渚男

しはやいが、新年の句を。このとき、お孫さんは小学校低学年くらいだろうか。まだ十分に幼く可愛らしい顔をしているのに、突然「俺たち」などといっちょまえの口をきいて、作者を驚かす。だが、いっしょに婆抜きをはじめてみると、そこはそれ、やっぱり手付きも考えも幼くて、勝負にはならない。というか、こちらが上手に負けてやるのに一苦労する羽目になってしまう。たいていの家庭での正月の孫とのつきあいはこのようであり、コミニュケーション・ツールとしてのカードや双六は、それなりの成果をあげてきた。かつての我が家でも、カードなどが引っ張り出されるのは、年に一度の正月だけだった。が、最近の孫たちとのつきあいはずいぶんと様変わりしていて、大変なようだ。第一にいまどきの子供たちは婆抜きなどには興味を示さない。彼らの得意はひたすらに電子的なゲームにへだたっており、老爺が相手になりたくても、まずは簡単な操作がままならない。上手に負けるなんて芸当はとてもできないから、弱過ぎてすぐに相手にならないと飽きられてしまう。そこで「俺たち」は俺たち同士で遊ぶようになり、年寄りはみじめにも仲間外れにされてしまうのだという。時代といえば時代だけれど、孫に限らず、世代間をつなぐ遊びのツールが失われたことは、大袈裟ではなく、世も末の兆候ではないか。「延年」所収。(清水哲男)




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