October 27102015

 どうせなら月まで届くやうに泣け

                           江渡華子

うしようもなく泣く赤子に焦燥する母の姿というと竹下しづの女の〈短夜や乳ぜり泣く児を須可捨焉乎〉があるが、いくら反語的表現とはいえ世知辛い現代では問題とされてしまう可能性あり。ひきかえ、掲句のやけっぱちなつぶやきは、おおらかでユーモアのある母の姿として好ましいものだ。赤ん坊の夜泣きとの格闘は、白旗をあげようと、こちらが泣いて懇願しようと許されない過酷な時間だ。愛しいわが子がそのときばかりは怪獣のように見えてくるのだと皆、口を揃えるのだから、今も昔も変わらぬ苦労なのである。続けて〈「来ないで」も「来て」も泣き声夏の月〉や〈笑はせて泣かせて眠らせて良夜〉にも母の疲労困憊の姿は描かれる。とはいえ、子のある母は若いのだ。健やかな右上がりの成長曲線は子のものだけではなく、母にも描かれる。100日経ったらきっと今よりずっと楽。がんばれ、お母さん。『笑ふ』(2015)所収。(土肥あき子)




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