September 2892015

 雀らの友となりたる捨案山子

                           矢島渚男

作農家の子のくせに、案山子とはほとんど縁がなかった。我が家に限らず、私の田舎では、案山子を立てる家は少なかった。おそらくは案山子によって追い払われる純情な雀らなど、もはや存在しなかったからだろう。鳥たちには鳥たちの学習能力があって、最初は人間の形にだまされても、だんだんと動かない案山子が無害であることに気づき、平気で無視して飛び回るようになったのだ。だから人間の側にしても一工夫も二工夫も重ねる必要があり、鳴子を使ってけたたましい音を発することにより、ときどき驚かしては追い払ったりすることなどを試みていた。我が田舎では、この鳴子方式が主流だったように思う。それでも一種のおまじないのように立てられていた案山子がなかったわけではない。人間にしてみれば、どうせまじないなのだからと、案山子の衣裳も顔も素朴なもので、子供の目にも「やっつけ仕事」で作られたように思えた。例の「へのへのもへじ」顔の案山子である。したがって、収穫のシーズンが終わっても大切にしまわれることもなく、そのままうっちゃっておかれる「捨案山子」がほとんどだった。『越年』所収。(清水哲男)




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