August 1682015

 盆のともしび仏眼よろこびて黒し

                           飯田龍太

の本堂でしょうか。「盆のともしび」の字余りが、そのまま細長く伸びる灯明の光になっています。その光には、槍の剣先のような鋭い緊張がありますが、それは同時に仏像の切れ長の眼を照らし、微笑しているように見えてきます。漆黒の仏像は盆のともしびを得て、見る角度によって、また、見る者の心模様によって喜びや慈悲の表情を見せるのでしょう。ふだん、寺の本堂に足を運ぶことはなく、最近の葬儀はセレモニー会場で行なわれることがほとんどなので、観光や展示以外で仏像を見ることは 少なくなりました。しかし、仏像は常に在って不動です。夜は、闇の中に同化して、その存在も無に等しくなっているのでしょうが、陽が射し始めるとふたたびその存在は顕在し始めます。灯明が点火されると多様なコントラストを得て、仏像は、見る者の心のあり様を見せてくれるのでしょう。そう思うと、盆には仏事らしきことの一つでもしておかなくてはという気持ちにさせられました。仏像を見ていないのに、仏像の句を読み、少し心おだやかになりました。『麓の人』(1965)所収。(小笠原高志)




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