August 1382015

 曇天や遠泳の首一列に

                           曾根 毅

泳と言えば平泳ぎ、波に浮き沈みする頭が沖へ沖へと連なっているのだろう。私が若い頃赴任した山口県秋穂の中学校では遠泳大会があり、湾を囲むように突き出た岬から岬へ1年から3年まで全員が泳いだ。もちろん先生が舟に乗って監視をしながらではあるが。都会育ちで金槌の私は役立たずということで砂浜に座って沖へ連なる頭を見ているしかなかった。ここでは「首一列に」という表現に胴体から切り離された打ち首が並んでいる様子を想像せざるを得ない。空は夏の明るさはなくどんよりと曇っている。その色を映して海も灰色で夏の明るさはないだろう。夏の眩しさと対照的に日本の夏は原爆と敗戦と同時に加害者としての戦争の記憶を拭い去ることは出来ないだろう。一列に続く遠泳の首のイメージはその暗さを象徴しているように思える。『花修』(2015)所収。(三宅やよい)




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