July 2272015

 吾妹子も古びにけりな茄子汁

                           尾崎紅葉

書に「対膳嘲妻」とあるから、食膳で妻と向き合って、妻が作った茄子汁を食べながら、おれも年をとったけれど、若かった妻も年をとってしまったなあ、と嘲る気持ちが今さらのように働いている。「吾妹子」として妻に対する親愛の気持ちがこめられているから、そこに軽い自嘲が読みとれる。古女房が作る味噌汁は腕が上がってきて、以前よりずっとおいしくなっている。そのことに改めて気づいたのである。悪意や過剰な愛は微塵もない。これまでの道のりは両者いろいろあったわけだろうけれど、この場合、さりげなくありふれた夏の茄子汁だからいい。たとえば泥鰌汁や鯨汁では、重たくしつこくていけない。古びてさらりとした夫婦の「対膳」である。今の季節、水茄子、丸茄子、巾着茄子など、いろいろと味わいが楽しめる茄子が出まわるのがうれしい。唐突だが、西脇順三郎の「茄子」という詩に素敵なフレーズがある。「人間の生涯は/茄子のふくらみに写っている」と。凄い!「茄子のふくらみ」にそっと写るような生涯でありたいものだと願う。紅葉の他の句に「一人酌んで頻りに寂し壁の秋」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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