May 3052015

 山滴り写真の父は逝きしまま

                           辻 桃子

くなられたお父様の写真が窓辺に飾ってある。その窓は正面に山、雪に閉ざされている間は白一色だ。そして次第に色をほどいて光に包まれ、さらに緑を深めつつ新緑から万緑へふくらんでゆく。窓辺の写真は変わらず優しい微笑みを投げかけているが、その微笑みは永遠であるがゆえ、もう二度と蘇ることはない。山に命の源である滴りが満ち溢れる季節にはひとしお、淋しさが滲んでくるのだろう。ちなみに常用の歳時記には、滴り、はあるが、山滴る、は載っていない。『合本俳句歳時記』(2008・角川学芸出版)には、「夏山蒼翠として滴るが如し」から季語になった、と書かれているが確かに、春秋冬の、山笑ふ、装ふ、眠る、に比べると、山を主語に考えた時異質な気がする。もちろん景はくっきりと分かるのだけれど。『馬つ子市』(2014)所収。(今井肖子)




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