May 2552015

 「お父さん」と呼ぶ娘も 後期高齢者に

                           伊丹三樹彦

意は明瞭。この事実には「ほう」と思うが、おおかたの読者の感想はそこらあたりで終わってしまうのではなかろうか。この事実に、もっとも愕然としているのは作者当人である。伊丹三樹彦は1920年生まれだから、今年で95歳だ。後期高齢者の娘さんがあっても、べつに不思議ではない。不思議ではないけれど、作者にしてみれば、この事実を突きつけられることで、現在のおのれの老いをいわば客観的に示された思いになる。多くの局面において老人にとって、いや誰にとっても、年齢はあくまでも「他人事」なのである。年齢を意識させられるのは相対的な関係においてなのであり、普段はわが事として受けとめつつも、半分以上は自分に引きつけて考えることもない。普段おのれの老いを認めてはいても、それだけのことであり、精神的にぐさりと年輪を感じることはあまりない。しかし、このような身内(子供)の老いを客観的につきつけられると、何か不意打ちでも食らったかのような衝撃が走る。小さいころから「お父さん」と呼びつづけていた子供がここにきて「急に」老いてしまった……。この娘はいつだって、自分とは比較するきにもならないほど、若い存在であった。その思いが急に我が身を老いさせる。このようなことは、起きそうでいてなかなか起きるものではないだろう。思わずも、読者にどう思われようとも、句にしておきたいと思った作者の気持ちがよくわかるような気がする。『存命』(2015)所収。(清水哲男)




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