May 0452015

 幾たりか我を過ぎゆき亦も夏

                           矢島渚男

にしみる句だ。そんな年齢に、私もさしかかってきたということだろう。「過ぎゆき」は、追うこともかなわぬ遠くの世界へ行ってしまうことであり、年を重ねるに従って、そうした友人知己の数が増えてくる。そしてもちろんそんなことには頓着なく、いつものように夏はめぐってくるわけだが、加齢につれてだんだん「亦も」の思いは濃くなってくる。季節の巡りを人間の一生になぞらえれば、夏は壮年期に当たる。すなわち、未だ生命の「過ぎゆく」時期ではない。春に芽吹いた命が堅実に充実し結実してゆく季節である。逆にだからこそ、過ぎていった者たちの生命のはかなさが余計にそれこそ身にしみて感じられるのであり、現実世界の非情が炎暑となって我が身をさいなむようにも思われたりするのだ。『百済野』所収。(清水哲男)




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