April 2742015

 臍の緒を家のどこかに春惜しむ

                           矢島渚男

句自解で、作者はこう書いている。「小さな桐の箱に入った自分の臍の緒を見たことがあった。たしかここだったと思って、もう一度探したが出てこない。どこかへいってしまったらしい。どうしたのだろう。そんな思いがあって浮んだ句だった」。私も、まったく同じ体験をしたことがある。母から臍の緒を見せられたのは、小学生のころだったが、その桐の箱は母が嫁入りのときに持ってきた桐の箪笥の小さな引き出しにしまわれていた。その箪笥は数度の引越しのたびに新居に納められ、いまでも実家の六畳間に健在だ。しかし、箪笥は健在だが、引き出しの臍の緒は忽然と姿を消していた。まるで春の霞か靄のように、いつしか霧消していたのだった。この句の「春惜しむ」も、そんな気分の表現なのだろう。『木蘭』所収。(清水哲男)




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