April 2642015

 いづかたも水行く途中春の暮

                           永田耕衣

は、水行く季節でもあったのですね。雪解けの水は、山から谷へ、谷から里へ流れて行きます。樹木、草花、農作物は、根から水を吸います。昆虫も魚も鳥も動物たちも、水行く季節になると捕食と生殖活動を活発化させていき、体液の循環も盛んになるでしょう。動植物を支えている大気から地表、地下水まで、水行く水量は増していきます。それは、暖かくなってきたからです。温度が上がると水の分子の運動も活発になる。当たり前ですね。そんな暮春の候の句ですが、ここからは、二つの見解が可能です。一つ目は、中七で切って読む場合です。森羅万象の活動は、人も含めて全て「途中」なのだという見解で、水行きには終点がないということです。水は循環している から常に「途中」です。 二つ目は、中七で切らない場合です。そうすると、「春の暮」が句の主眼になってきて、冬を過ぎて暮春になったから、水行きは活発なんだという見解になります。どちらを選ぶかは、各人の好みになるでしょうが、句から驚きを得られるのは、前者です。なぜなら、無常観を「途中」という俗語で言い表しているからです。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)




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