April 2042015

 待ちどほしきことなくなりぬ春の闇

                           矢島渚男

田夕暮のこの歌「木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな」は、青春時代の愛唱歌だった。この句を読んで思い出した。結婚は人生上での大きな「待ちどほしきこと」であり、歌に込められた歌人の待ち遠しい思いは、十代の少年にもよく理解できたのだった。若い間の待ち遠しいことどもは、結婚、あるいは進学や就職などのように、多く社会制度に関連しており、そのシステムに参加することで実現されてゆく。子供のころの運動会や遠足などについても同様である。したがって、実現の度合いに満足できるかどうかは別にして、たいていの「待ちどほしきこと」は、待っていればそのうちに実現するものだと言ってよいだろう。一見社会的システムへの参加とは無関係のような、たとえば創作意欲の実現などについても、よく考えてみれば、これまた社会制度と無関係ではあり得ないことがわかる。ところがある程度の年齢を過ぎると、当人の存在そのものが物理的に社会システムのあれこれから外れていくから、句のようなことが起きてくる。しかも、そのことを受けとめる気持ちは淡々としたものなのだ。この気持ちのありようが、「春の闇」にしっくりと溶け込んでいる。『延年』所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます