March 1832015

 肩ならべ訪ふぶらんこの母校かな

                           柳家小三治

句では「ぶらんこ」は「ふらここ」「ふらんど」「鞦韆」「秋千」など傍題がいくつかある。その状況や句姿によって、さまざまな遣い方があるわけだ。小学校だろうか、何かの用があって友人と一緒に母校を訪ねたのだろう。単に訪ねたというだけでなく、その折に昔よく遊んだぶらんこが懐かしく、二人そろって乗ってみたときの情景である。その気持ちはいかにも「母校かな」(!)であろう。ところで、こんなことが数年前にあった。ーー四谷四丁目に、しっかりした木造の廃校になった校舎をそのまま活用して、区民の公共施設として今なお使われている大きな旧小学校がある。私が参加しているある句会は、ここで毎月開催されている。この旧小学校にかつて柳家小三治が学んでいたことを、何かで知った私は俳句もやっている小三治師に、その旨ハガキを出した。さっそく返事が来て「四谷第四小学校卒業生・柳家小三治」とあった。さすが落語家、シャレたものです。愉快! 但し、掲出句の「母校」が旧四谷第四小学校か否かはわからない。二期四年間務めた落語協会会長を昨年任期満了で退任された。他に「天上で柄杓打ち合う甘茶かな」がある。『五・七・五 句宴四十年』(2009)所載。(八木忠栄)




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