March 1632015

 ものの芽の出揃ふ未来形ばかり

                           山田弘子

意は明瞭だ。なるほど「未来形ばかり」である。誰にでもわかる句だが、受け取り手の年代にによって、読後感はさまざまだろう。中学生くらいの読者であれば、あまりにも当たり前すぎて、ものたらないかもしれない。中年ならば、まだこの世界は微笑とともに受け入れることが可能だろう。だが、私などの後期高齢者ともなると、思いはなかなかに複雑だ。つまり、みずからの未来がおぼつかぬ者にとっては、ちょっと不機嫌にもなりそうな句であるからだ。「ものの芽」ばかりではなく、私たちは、日々こうした「未来形」の洪水のなかで生きているような気分であるからだ。考えてみれば、これは今にはじまったことではなく、いつの時代にも、人々は「未来形」ばかりに取り囲まれてきた。作句年齢は不明だが、作者はそこらあたりの人生の機微をよく承知していたのだと思う。「未来形」ばかりの世の中でひとり老いていくのは、人の常とはいえ、神も非情な細工をしてくださると言いたくもなる。『彩・円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)




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