March 1132015

 春の夕焼背番「16」の子がふたり

                           ねじめ正也

番号「16」と言えば、わが世代にとって巨人軍の川上哲治と決まっていた。文句なしに「スーパー・スター」だった。「16」は特別な数字であり、当時の子どもたちはいつでも「16」という数字にこだわっていた。私などは今でも下足札で「16」にこだわっていることがあって、思わず苦笑してしまう。日が暮れるのも忘れて、野球に夢中になっている子どもたち。背番号「16」を付けた子がふたり……いや、みんなが「16」を付けたがっていた。そんな時代があった。今でも忘れない、千葉茂は「3」、青田昇は「23」、藤村富美男は「10」、別当薫は「25」etc. 正也はねじめ正一の父で俳人だった。この句は昭和33年に詠まれた。正也33歳、正一10歳。正也は川上哲治の大ファンで、「あの川上の遠心力を使ったようなスイングが魅力的だった」とよく語っていたという。正一も野球少年で、小六のとき草野球チームに入っていて、大の長嶋ファンだった。父はキャッチボールの相手をしてくれたという。(私なども小学生だった息子を相手に、よくキャッチボールをしたものだ。)今の野球少年たちにとって、憧れの背番号は何番だろうか? 野球よりもサッカーで「10」か。正也には息子を詠んだ「啓蟄や俳句に父をとられし子」がある。嗚呼。『蝿取リボン』(1991)所収。(八木忠栄)




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