March 0832015

 菜の花の風まぶしくて畔蛙

                           森 澄雄

蟄(けいちつ)を過ぎると、蛙は冬眠の穴から出てきます。しかし、散歩する人は、かなかな気づくことができません。鳴かず、跳ばず、不動の石のようにじっとしているからです。蛙は、穴から出てきたものの地上の生き方をすっかり忘れています。自分が跳べることも、鳴けることも忘れていて、その生を初めからやらなければなりません。私は若い一時期、蛙の観察に凝っていました。三月上旬に出会った一匹のヒキ蛙は、一歩を踏み出すまでに三十分ほどかけていました。舞踏に微足という超スロー歩行訓練がありますが、啓蟄の蛙は微足の師匠です。厳寒を越えた田んぼの畔(あぜ)は、枯れて灰白色の色あいですが、一日ごとに草の芽の緑もふえ、「畔青む」という晩春の季語もあります。掲句の畔には菜の花が咲いていて、花が風に揺れると、一面黄色くドローイングされるような光景です。暗黒の穴の中、ひと冬眠っていた蛙にとって、あまりにもまぶしい春の黄色い光です。作者は、目を細める蛙を見て、自身もまた目を細めているのでしょう。『花眼』(1969)所収。(小笠原高志)




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