March 0532015

 園児らの絵の春山は汽車登る

                           後藤比奈夫

どもの描く絵は楽しい。遠近法の呪縛に囚われないでまずは自分の感性でインパクトを受けたもの中心に描くからだろうか。「園児ら」になっているから、一人ではなく多数で写生しているのか、目前で見ている景色は同じでも描き方は違う。だけどぼっこりふくらんだ緑の山の斜面を大きな黒い汽車が煙を吐きながら登っていくところは共通しているのかもしれない。「絵の春山は」と強調しているところから作者が見ている絵の主役は汽車ではなく春山で、園児らがクレヨンで描くおおらかさが春の山の持つ解放感を引き出している。そのむかし校庭で写生をした折に緑一色で裏山を塗り始めたわたしに、「よく見てごらん、この芽吹きの季節に同じ緑でもいろんな色が混じっているだろう。一番山がきれいなときだ。空の光り方だって違うだろう」と言ってくれた美術の先生を思い出す。掲句の園児の絵のように気持ちを解放することも出来ず、節穴の目のまま年月は流れたが、今年も春の山はいきいきと冬の眠りから目覚め始める。『祇園守』(1997)所収。(三宅やよい)




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