January 1012015

 寒苺われにいくばくの齢のこる

                           水原秋桜子

苺は本来、冬苺とも呼ばれる野生の実で、これが冬苺ですよ、と言われ丸くぷちぷちとしたそれを口にした時のすっぱさと共に記憶にある。しかしこの句の寒苺は、寒中に出回っていた温室栽培の冬の苺。というのも、売っていたものを買い求め、そのつややかな色を描こうとして見つめている時に作られた句であるからだ。確かに、思わず自らの老いを自覚してしまう感覚は、大粒でみずみずしい真紅の苺の輝きがなくては生まれない。しかし、寒苺の句として読んでも、冬枯れの野に小さく実をつけた冬苺の赤を愛おしむようなやさしさがにじんで、自らの老いはとうに自覚している、というまた違った趣の一句となる。ただ、われにいくばくの、とあえて字余りのひらがな表記の中八には前者の方がぴたっとくるだろう。六日の寒の入から月も欠け始めいよいよ寒さもこれからである。『霜林』(1950)所収。(今井肖子)




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