December 28122014

 空蝉や触るも惜しき年埃

                           永田耕衣

蝉という日本語には、雅ではかない情感があります。十七歳の光源氏が心魅かれた女性の名が空蝉でした。光源氏の夜の訪れを察して、薄衣を残して去った幻の女性です。耕衣の書斎には、自筆の書画のほかに小物、小道具、珍品が小さな博物館のように有機的かつ無造作に置かれていたと聞きました。句集では、掲句の前に「空蝉の埃除(と)らんと七年経つ」があるので、「年埃(ねんぼこり)」は、七年物です。合理主義者ならそれを、七年間放置されているゴミとみなして捨てます。年末の大掃除のときなら尚更でしょう。しかし、耕衣は「触るも惜しき」心を表明しています。蝉の抜け殻は脱皮後の抜け殻ですが、蝉がこれから生きていくためには、まったく必要のない廃棄物です。ところが、耕衣はそれを七年間書斎に置き、はじめのうちは抜け殻そのものの造形美を見ていたのが、見つづけるうちに埃が堆積してきた変化を楽しみはじめます。空蝉に堆積しつづける年埃は、砂時計が一粒ずつ落ちることによって時の経過を示すように、時間を可視化しています。拾ってきたセミの抜け殻をコレクションにしたがるのは子どもに多く、耕衣は、幼児性が抜けていないおじいちゃんであったこともしのばれます。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)




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