December 17122014

 たましひの骸骨が舞ふ月冴えて

                           那珂太郎

書に「大野一雄舞踏」とある。老年になってからの大野一雄の舞踏であろう。那珂さんが大野一雄の舞踏に、興味をもっていたとしても不思議ではないけれど、お二人の取り合わせはちょっと意外な感じがする。私も若いころから、大野さんの舞踏を大小さまざまな場所で拝見する機会が多かったし、晩年の車椅子での“舞踏”も何回か拝見した。「たましいの骸骨」とか「骸骨が舞ふ」という捉え方は詩人なればこそ。舞踏評論家でそういう捉え方をした人は、おそらくいないであろう。ずばり「骸骨」は凄い。言われてみれば、たしかに「たましいの骸骨」の舞いであった。ここで「骸骨」という言葉は、もちろん嫌な意味で使われているわけではなく、まったく逆である。むしろ余計なものをふり捨てて「生」を追いつめた、清廉で荘厳な「生命体」として捉えられている。ステージを観客はみな尊崇の表情で見つめていたが、その舞踏は「荘厳」とはちょっとちがう。敢えて言えば「荘厳な骸骨」としか言いようのない舞踏だった。この句の「たましひ」という言葉こそ重要であり、至上の響きをはらんでいる。那珂太郎の俳号は「黙魚」。眞鍋呉夫らと「雹」に属した。掲出句は「雹」3号(2000)に発表した「はだら雪」十五句のうちの一句。他に「炭つぐや骨拾ふ手のしぐさにて」がある。『宙・有 その音』(2014)には191句の俳句が収められた。(八木忠栄)




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