December 07122014

 寒鮒の口吸う泣きの男かな

                           永田耕衣

作年代はバラバラですが、掲句を三連作の最後として位置づけてみました。最初が「水を釣つて帰る寒鮒釣一人」。次が「池を出ることを寒鮒思ひけり」。この二つの「静」から、序破急の「動」が始まります。釣り師が鮒を釣り上げる。その時、まれに相思相愛の糸が赤く染まることがある。針に傷ついた鮒の唇を、男は泣きながら吸っているのである。なぜ泣くのか。泣くとはどういうことなのか。笑いは、瞬間的な落差の結果生ずることが多いのに対して、涙は、時間の蓄積によって溜まった結果流れます。その時間には、苦痛や迷い、希望や落胆が入り交じっていますから、泣くことも、一つの意味や感情に限定されにくい絵巻物のような現れ方をします。釣り師は、寒鮒との長い駆け引きの中で糸を引かずとも、一途な思いを寄せてきました。それは、「水を釣つて帰る寒鮒釣一人」に表れています。では、鮒の方はどうでしょう。「池を出ることを寒鮒思ひけり」です。釣り師は、長い間その気配を感じ続けてきた一方で、寒鮒は、長きに渡る針の漂いに、この唇を託してもいいという決意をしたのではないでしょうか。釣り師と寒鮒が恋に陥り、男が接吻の涙を流す。しかし、ここは人と魚。口吸いは短く終えて、水槽に移さなくてはなりません。異種恋愛には制約が多く、過去には『人魚姫』の悲恋もありますが、この恋はいちおう成就されたようです。たぶん、寒鮒も涙を流していて、これは芭蕉の「行春や鳥啼魚の目は泪」以来の魚類の涙です。ただ、耕衣の後に芭蕉を読むと、ちょっとオトメチックですね。耕衣は激しいますらをぶりです。掲句を17歳の少年に読ませたら、「マジっすか?」と言われそう。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)




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