December 06122014

 蓮枯れて水に立つたる矢の如し

                           水原秋桜子

池の夏から冬への変貌は甚だしく、枯蓮の池は広ければ広いほど無残な光景がどこまでも続く。そんな一面の枯蓮のさまを目の前にして戦を想像し、折れた矢を連想することはあるだろう。しかし作者は、枯蓮が折れているところよりまっすぐなところを見ている。水に立つ、という表現には、危うさとその奥の強さが共存し、よりくっきりと折れた茎の鋭角を思わせる。この句が作られたのは、屋島の射落畠(いおちばた)。源平合戦の激戦地として知られ、源氏の佐藤継信が義経の身代わりとなって命を落とした地であるという。昭和三十年代当時は蓮池に囲まれていたようだが今はその池も無くなっている。水原春郎編著『秋櫻子俳句365日』(1990・梅里書房)所載。(今井肖子)




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