November 30112014

 池を出ることを寒鮒思ひけり

                           永田耕衣

鮒が池を出る方法は三つある。一つ目は、飛び跳ねて池辺りに出ることだが、これは自死である。二つ目は、青鷺のような大きな鳥に捕獲されることで、これも死ぬことになる。三つ目は、腕利きの釣り師にうまく釣り上げられることだ。この寒鮒の棲まいは、湖でも川でも海でもない池です。商業的な目的で作られた管理釣場に生きる鮒は、日々、鼻先にエサを突きつけられていて、食欲に関しては不感症になるくらいスレています。狡猾な釣り人とのかけひきに暮らしていますから、人間の浅知恵 くらいは学習しているはずで、少なくとも、この池の中で生き抜く能力では人知を凌駕しています。ところが今日、今まで見たことのない針の動きを目にしました。ふつうの針は、自然に漂っているように見せかけながら、しかし、釣り師の欲望は竿から糸、糸から針へと伝わってきて、それは、魚類特有の嗅覚で感知できます。ところが、この針にはそんな臭いがしない。まるで、水を釣りに来たような無欲な針である。寒鮒は、この針を目にして、釣り師の顔を見たくなったのではないでしょうか。スレているゆえに、天の邪鬼な性質(たち)なのです。さて、釣り師は、本当に水を釣りに来た無欲な御仁であったかどうかは定かではありませんが、寒鮒の口元を損なうことなくきれいに釣り上げました。その後 、リリースしたのか、自宅の水槽で飼うことにしたのか、鮒鮨にしたのか、これも定かではありません。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)




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